9月23日、デジタル改革関係閣僚会議で発言する菅義偉首相(右端)(写真:時事)

首相に就任した菅義偉氏はとにかくつねに何か仕事をしていないと気が済まないワーカホリックな人だ。敬老の日をはさむ9月の4連休も連日、ホテルや議員会館の事務所に出かけ、経済やITの専門家らから話を聞いている。何かと制約が増える首相になっても、このスタイルは変えたくないようだ。

安倍晋三氏のみならず、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎とセレブ感漂う世襲議員の首相が続いていた反動もあってか、「たたき上げ」を売りにする菅内閣の支持率は随分と高い数字を記録している。

地方出身で苦学して大学を卒業。恵まれない環境から出発して立身出世を成し遂げた人物、という古典的成功者のイメージがマスコミを通して一気に広がっている。義理や人情を大事にするだろうという人間像が出来上がり、世論調査では「人柄のよさ」が高い評価につながっているようだ。

イデオロギーの香りなき政治家

しかし、菅氏に実際に会ってみると、ウェットな人間関係を大事にするというよりも、むしろ現実的で合理的、実務的な話を好む人のようだ。天下国家について大言壮語を語ることなど決してない。政策にも権力闘争にも細部に目を光らせ、緻密な計算をする政治家であり、派閥を率いて激しい権力闘争をしたかつての大物政治家とはまったくタイプが異なる。

首相就任後初の記者会見も菅氏そのものだった。国民の受けを狙うような派手なパフォーマンスは何もない。表情にほとんど変化がなく、余計な形容詞など無駄な言葉がほとんどない、地味で実務的な内容を淡々と語った。前任者とは好対照である。

それでもなぜか聞く者に改革の心意気は伝わってきた。おそらく話が具体的だからだろう。携帯料金の値下げ、マイナンバーカードの普及、不妊治療の保険適用など、いずれも国民生活に身近な問題ばかりだ。しかも、成果が数字でわかりやすく示される。菅氏がこれまで手がけてきた自信作であるふるさと納税や訪日外国人観光客(インバウンド)政策、農産品の輸出の促進なども同様である。

ただ、1つひとつの政策に脈絡がないことから、菅氏の描く国家像がはっきりしないなどという批判が早くも出ている。欧米主要国の政治が極左と極右に二極化し、対立を深めている時代に、思想やイデオロギーの香りがまったくしない例外的なタイプの為政者である。

その菅氏が初めての会見で個別政策のほかに強調したのが、「行政の縦割り」「前例主義」の打破であり、「既得権益にとらわれない規制改革」だった。こちらは統治システム全体にかかわる問題意識ではあるが、特別目新しいものではない。

似たような言葉はこれまで多くの政権が掲げてきた。いずれも標的は霞が関の官僚組織であり、返す刀で政治主導の実現を唱えていた。

死語に等しい「官邸主導」

安倍政権で官邸主導の政策決定が定着した今、「官僚主導」という言葉はもはや死語に等しい。にもかかわらず菅氏が改めて行政の縦割り打破などを打ち出すのは、官僚組織を自らが掲げる改革を実現するための障害物と位置づけているからだろう。

しかし、官僚を抑え込めさえすれば改革が実のあるものになるわけではない。政治、経済、社会あらゆる分野に閉塞感が漂ういま、菅氏の掲げる改革が本物なのかどうか、それを見極めるための指標をいくつか考えてみたい。

1つ目は、官僚組織を自分の意のままに操れば改革が実現するわけではないという点だ。自民党も産業界もつねに既得権を守ろうとする。

かつて小泉純一郎首相が、「自民党をぶっ壊す」と言ったように、本気で既得権にとらわれない規制緩和を実行しようとすれば、官僚組織のみならず自民党とそれを支持する業界団体もその前に立ちはだかる。

多くのマスコミが指摘しているように、菅氏の権力の源泉は官僚組織に対する人事権の行使と幅広い情報だ。自らが打ち出した新たな政策に異を唱える官僚らを平気で排除し、政策を強行する手法は広く霞が関で恐れられている。では自民党に対してはどうだろうか。

菅氏の本気度は政策決定過程に現れてくるだろう。主要政策を閣議決定する前に、自民党の各部会や政務調査会、総務会がどこまで関与してくるのか。小泉首相は党内の声をしばしば無視し、対立を演出した。「安倍一強」と言われた安倍首相時代は党内からの異論がほとんど出てこなかった。党内基盤の弱い菅首相が自民党内の抵抗に遭ったとき、どう対応するのかがポイントとなりそうだ。

政策決定を透明にできるか

2つ目は政権内の政策決定過程のあり方である。安倍政権では官僚出身の首相補佐官や秘書官らが次々と新政策を打ち出し、各省にその実施を迫った。こうした政策には支持率維持のための、言葉だけのものも少なくなかった。成果の有無がわからないまま、国民の目をそらせるために新たな政策が間断なく打ち出されていった。

最大の問題点は決定過程がきわめて不透明なことだ。いつ、どこで、誰が政策を提起し、どこで議論し、誰が責任者なのか、まったくわからない。

いくつかの政策は国会などで問題点が指摘されたが、決定過程が十分に説明されないばかりか、それを記録する公文書は改ざんされたり、廃棄されたりした。その結果、政策決定過程の検証は困難になっている。こうした手法が森友・加計問題を生み出したことは否定できない。

では菅内閣は、主要政策をどういう手法で決定していくのであろうか。安倍内閣時代の「官邸官僚」と呼ばれた補佐官や秘書官は、菅氏が信頼している和泉洋人氏以外はポストを外れた。

体制の変更とともに、一部の側近が恣意的に政策を決める手法ではなく、経済財政諮問会議など公の場を使って議論し、その過程を含めて記録が公表され、責任者も明確な透明性の高い形での政策決定が行われることが必要であろう。もちろん、最初に結論ありきの強権的手法ではなく、官僚組織や民間の知恵を大いに活用すべきであることは言うまでもない。

3つ目は国会との関係だ。安倍内閣の特徴の1つが国会軽視だった。与党が圧倒的多数を占めていることをいいことに、野党の国会召集要求や首相の出席要求を拒否し続けたことは記憶に新しい。答弁に立っても安倍氏はまともに答えず、「ご飯論法」などと揶揄されるような不誠実な対応に終始した。そのことが政府の政策の不透明感を高めた。

消え去った官僚主導の政策

真に改革を進めるのであれば、一部の国民の痛みを伴うことは避けられない。従って国民の理解を得るためにも国会での説明は不可欠であろう。菅氏の国会対応は、本気度を見るうえでの重要な指標になる。

菅首相の記者会見を聞いて、筆者の知人のある事務次官は「行政の縦割りや前例主義を打破というが、安倍政権の官邸主導の下でそんなものはとっくに姿を消してしまった。今や霞が関は官邸から何が降りてくるかを戦々恐々として待っているだけだ」と語った。

この20年間で「政」と「官」の関係は大きく変わり、政策決定過程における官僚主導はほとんど姿を消した。政治が前面に出て主要な政策を左右する仕組みが出来上がってきた。そんな中、政治家への抵抗力を失ってきた官僚組織をことさら敵役に仕立てて成敗する姿を国民に見せることでは、改革は不十分なものに終わるであろう。

麻生内閣時代に自民党の支持率が急落し、民主党の勢いが増していたころ、菅氏は「森内閣のころから自民党は賞味期限が切れている。特定の人や団体の政党になってしまい、国民から離れてしまった。党を変えなければならない」と語ってくれたことがある。この問題意識も実践していただきたいものである。