イタリア在住の日本人女性が「コロナ禍をこの国で過ごせてラッキーです」と語る理由
新型コロナウイルスの感染が拡大し、世界中の人々が未曾有(みぞう)の事態への対応を迫られている。コロナと共存して生きる「Withコロナ」時代に突入した今、世界各国で暮らす日本人はどんな日々を送り、どんな思いでいるのか? ノンフィクションライターの井上理津子さんが生の声を取材する。そこには私たち日本人が気づかないコロナへの向き合い方があるかもしれない。
ロックダウンが段階的に解除されるイタリア
感染者数23万2664人、死者3万3340人(5月31日時点の厚生労働省とりまとめ)を数えるイタリアで、2か月近く続いたロックダウン(都市封鎖)措置が緩和されたのは5月初旬だ。
「5月4日から段階的に経済活動が再開されるようになり、5月18日以降は商店や飲食店も、入り口で消毒して手袋をつけるなど一定のルールを設けて、営業を再開しました。子どもが走っていたり、ストリートミュージシャンも戻ってきたり、外の風景も変わってきています。もっとも個人的には、友人のカフェにスイーツをテイクアウトしに行くようになったくらい。試験前なので、封鎖中とあまり変わらない生活をしています」
こう話すのは、ボローニャ在住の中村美希さん(44歳)。「試験前」というのは、実は中村さんは、ボローニャ大学哲学科に留学中だからだ。中村さんは日本で客室乗務員などの職を経て、2018年10月から、同じく留学生の夫とともにボローニャで暮らしている。イタリア北部にあるボローニャはエミリア・ロマーニャ州の州都で、中世時代の建造物が多く残る、歴史ある街だ。
当初は「ヨーロッパの震源地」とまで言われ、医療崩壊や死者数の増大が伝えられるイタリアの状況は深刻に思われるが、中村さんは、
「私、このコロナ禍をイタリアで過ごせて、ラッキーです」と、意外なことをおっしゃる。なぜ? 順を追って、お話しいただこう。
毎日放送される記者会見が
信頼につながる
イタリア初の感染者が出たのは1月31日。中国からの旅行者だったが、2月21日に国内での感染が確認され、その後、各地に広がった。
「3月8日に、コンテ首相が翌9日からの北イタリアの複数の地域を封鎖すると発表したんですが、一夜明けると、人々がいっせいにマスクをしていた。使い捨てのビニール手袋をつけて歩いている人までいて、驚きました」
その翌10日から全土封鎖に。外出に「正当な理由」を記した「自己宣誓書」の携帯が義務づけられる(正当な理由と認められなければ、罰金が課せられる)。食料品店や薬局、金融機関、公共交通機関以外のすべての店が閉まり、あたかもゴーストタウンと化した。
原則「外出禁止」となったのだが、「毎日、夕方6時から1時間にわたって保健省など国の専門機関の専門家らによる記者会見がテレビで放映され、状況を理解するために必要な情報が発信されたため、政治の判断を信頼できたんです」と、中村さん。記者会見で印象に残るのは、「死者が激増するイタリア北部の重症者がドイツ空軍によりドイツへ移送された」といった報告、「医療者用のマスクが不足しているので、みなさん、買い控えて」などの呼びかけ。「気持ちのこもった言葉」での会見だったそうだ。
大学は、いち早くオンライン授業が開始されたとのこと。ロックダウン中の中村さんの1日は?
「朝、ラジオ体操をし、朝食をとった後、9時からオンライン授業を受けました。授業は1コマ2時間で、多くの日は3コマぶっ続け。とてもハードで、終わると午後3時です。その後、必要に応じて夫が買い物に行き、私は休憩。6時からテレビで記者会見を見て、7時ごろから食事の準備をし、8時ごろからお酒を飲みながら食べる。食後は、メールのチェックをしたり、日本の状況を調べたり。その繰り返しでした」
「玄関前に地ビール」さりげない隣人の心遣い
日本の友人たちから、在イタリアを気遣うメールが多数届いたが、イタリア人の友人たちからのメールはひと味違った。 “おもしろ動画"がどんどん送られてきたのだ。「クスッと笑える30秒ほどの動画。こんなときだからこそ、明るくいようね、というメッセージですよね」。大いに共感した。中村さんも、転送して、拡散したという。
「明日、夕方6時に窓を開けて、歌を歌おう。楽器を奏でよう。これが成功すると、イタリア全土がコンサート会場になるかもしれないね」というメールも届いた。
日本でも報道された、窓やベランダから、いっせいに歌声が響いた、あの試みだ。そのただ中で、中村さんは、『ベッラ・チャオ(さらば恋人よ)』を歌った。ナチスとファシズムへの抵抗を続けたパルチザンの讃歌として、広く国民に知られる曲だそう。それまで知らなかった隣人らとも、窓to窓で微笑(ほほえ)み合う。「音楽でお互いの士気をあげようと、素晴らしい思いつきですよね。大成功したようです」。
届いたのは、メールばかりではなく、ある日、玄関ドアの前に地ビールが1本置かれていたこともあった。
「オンラインで6本注文したので、おすそ分けよ」と、同じアパートに住む女性からだった。その人は、別の日、小津安二郎監督の映画のDVDを「見たことある?」と言い、貸してくれた。「日本から来て、大変ね。でも、私はあなたのことをずっと気にかけているからね」という、言わずもがなの心遣いだ。中村さんはじ〜んとした。
「人がいて、自分がいると感じるんです。コロナは、感染した誰々さんの問題ではなく、みんなの問題。みんなでつながり、分かち合おう。そうして、希望をつむいでいこう──という、この国の人ならではのポジティブさ、大好きです」
6月3日からは国内すべての移動制限が解除される予定だ。ロックダウンの「完全解除」が近い一方で、感染再拡大、経済の落ち込みがささやかれるイタリアだが、この日、中村さんの声はとことん明るかった。過酷な状況に不安が募り、他人の行動を糾弾する“自粛警察"などが問題になる日本。中村さんの話を聞き、前向きでいること、人を思いやる気持ちを忘れずにいたいと、改めて思う。
取材・文/井上理津子(いのうえ・りつこ)
1955年、奈良県生まれ。タウン誌記者を経てフリーに。著書に『葬送の仕事師たち』(新潮社)、『親を送る』(集英社)、『いまどきの納骨堂 変わりゆくお墓と供養のカタチ』(小学館)、『さいごの色街 飛田』(新潮社)、『遊廓の産院から』(河出書房新社)、『大阪 下町酒場列伝』(筑摩書房)、『すごい古書店 変な図書館』(祥伝社)、『夢の猫本屋ができるまで』(ホーム社)などがある。