なぜ、世界は薬物の「非犯罪化」に向かっているのか? 米・薬物政策問題の第一人者に聞く
日本で覚せい剤やMDMAなどの薬物を自己使用したり、大麻を所持したりする行為は「犯罪」となり、刑罰が科されることになる。
しかし、世界では薬物を自己使用した人を「罰する」のではなく、薬物の使用による健康被害やダメージを減らすことを目的とした「ハームリダクション」政策が広まっている。この政策を実施しているポルトガルは、2001年に違法薬物の自己使用や少量所持を「非犯罪化」(非刑罰化)した。
かつては違法薬物を厳しく取り締まってきたアメリカでも「ハームリダクション」が広がりつつある。また、大麻は「合法化」がすすみ、医療用大麻は33州、嗜好用大麻はワシントンD.Cをはじめ11州で合法化されている。
このようなアメリカの薬物政策改革で主要な役割を担ってきた男性がいる。「ドラッグ・ポリシー・アライアンス(Drug Policy Alliance=以下「DPA」)」という組織を立ち上げ、薬物政策の改善を訴え続けてきたイーサン・ネーデルマン氏だ。
来日したネーデルマン氏に話を聞いた。(編集部・吉田緑)
●<なぜ「非犯罪化」と「ハームリダクション」なのか?>ーーネーデルマン氏は「非犯罪化」や「ハームリダクション」を推奨していますが、薬物の自己使用や所持を「非犯罪化」するとは、どのような意味でしょうか。
「非犯罪化」するという場合、薬物は依然として「違法」という扱いになります。生産することはもちろん、売ることも「違法」です。しかし、消費者には刑罰が科されないか、わずかな罰(罰金など)が与えられるのみになります。
政府としては「合法」にはしたくないが、消費者を刑務所には入れたくない。そのような場合におこなわれるのが「非犯罪化」です(編注:「刑罰を科さない」という意味で、「非刑罰化」という場合もある)。
違法薬物の自己使用や少量所持を「非犯罪化」(非刑罰化)したポルトガルでは、使用や所持で何回逮捕されたとしても、刑務所に入れられることはありません。逮捕された人には、必要な支援をおこなったり、回復プログラムにつないだりするなどしてサポートしています。
ーー「ハームリダクション」とは具体的にどのような政策ですか。
薬物を「やめさせる」「使わせない」のではなく、薬物使用による健康被害やダメージを減らすことを目的とした政策です。
たとえば、「注射器交換プログラム」(HIV感染を予防するために使用済の注射器を新品に交換するなど)、「メタドン維持療法」(ヘロインと同じような効果があり、効き目が長い鎮痛剤の投与)などさまざまなアプローチがありますが、成功例がたくさんあります。
紙タバコから加熱式タバコ(IQOSなど)に変えることも「ハームリダクション」です。
ーーアメリカには「ドラッグ・コート」(薬物専門裁判所)がありますが、どのように考えていますか。
【ドラッグ・コート:参加者(薬物関連事犯で逮捕され、要件をみたした人のうち、参加に同意した人)は1〜2年の間、回復プログラムなどを受けるように命じられ、裁判官が法廷でプログラム修了まで集中的に監督する。プログラムを修了すれば公訴が棄却される。最初のドラッグ・コートは1989年にフロリダ州に設立され、現時点の数は3000をこえる】
1980年代は”War on Drugs”(薬物戦争)が宣言され、薬物犯罪に対して厳しい取締りがおこなわれました。そのような中、できるかぎり薬物事犯者を刑事司法手続から外すための手法としてドラッグ・コートが創設されました。
もちろん、中には素晴らしい裁判官もいますが、薬物使用や薬物依存についての知識を持っていない裁判官も少なくありません。
そのため、たとえば、ヘロイン使用者に効果的とされる「メタドン維持療法」を許可しないなど、参加者が必要な支援や治療に結びつかないという問題もあります。また、プログラムに失敗した場合は刑務所に収容されることになります。
ほかにも、健康や人権の観点から、ドラッグ・コートはさまざまな問題を抱えています。そのため、私はドラッグ・コートには複雑な見解をもっています。
【編注:ドラッグ・コートに参加する際は「ドラッグ・コートに参加しますか?それとも刑務所に行きますか?」と問われる。そのため、実際は薬物を使用していなかったり、治療が必要なかったりするにも関わらず、刑務所に行くことを回避するために参加を決意する人もいるとされる。また、同意を得た人が参加できるとしているが、強制的な同意なのではないかという指摘もある】
ただ、近年はドラッグ・コートも「ハームリダクション」の方向に向かいつつあります。「薬物の自己使用は健康問題として(刑事司法の外で)対応すべき。薬物を自己使用しただけの人ではなく、それに加えて窃盗などの犯罪をした人を受け入れたい」というドラッグ・コートもあります。裁判所だけではなく、人びとの理解もすすんできています。
いまアメリカで注目されているのは、法執行補助部門(LEAD)のプログラムです。逮捕された人を警察署ではなく、薬物依存症の回復プログラムなどに連れて行く。刑事司法制度が介入せずに、その人に必要なサポートをおこなうというものです。
●<「合法化」「非犯罪化」に反対する声について>ーーアメリカでは「オピオイド」(麻薬性鎮痛薬)が社会問題になっていると報道されていましたが、人びとはどのように考えているのでしょうか。
たしかに、オピオイドの問題は深刻です。昨年は5万人がオーバードーズで亡くなりました。ただ、人びとは「刑罰」を与えることで、彼らを助けることはできないと思っています。
「フェンタニル」(合成オピオイド)が大きな問題となったバンクーバーでは、薬物依存症者に「メタドン」をはじめとした他の「合法」の薬物摂取を許可するなど、さまざまなことをおこなっています。人びとを「死」に追いやるのは(「違法」な薬物がある)「闇市場」だからです。
ーー日本では、「薬物=悪」の傾向が強く、大麻合法化に反対する声もみられます。
アメリカも”War on Drugs”(薬物戦争)が宣言された後は違法薬物について厳しい態度でした。しかし、それから約30年が過ぎた今はバランスが取れているといえます。大麻の合法化についても、65%の人が賛成しています。
大麻については、アルコールやタバコよりも害がないとされています。タバコよりも依存性が低いですし、暴力との関連性もありません。これについては、すでに科学的な根拠(エビデンス)が示されています。
もし、科学者に危険性のランクづけをしてほしいと頼んだならば、ほとんどはアルコールやタバコをトップクラスとするでしょう。しかし、アルコールやタバコは私たちがよく「知っているもの」で、文化の一部でもあり、馴染みがあります。危険だと考える人は少ないでしょう。
一方、大麻は私たちが「よく知らないもの」です。そのため、恐ろしいものではないかと想像します。科学者は「アルコールやタバコの方が危険」といいますが、人びとは大麻の方が危険だと信じてしまうのです。
●<アメリカの薬物報道と啓蒙活動>ーー日本では、芸能人が違法薬物の使用・所持で逮捕されるたびにバッシングが起きたり、非難の声が上がったりします。アメリカではどうでしょうか。
オピオイドについては、問題になっていることもあり、使用した芸能人に対して人びとが同情することがあります。
また、幻覚剤(LSDやマジックマッシュルームなど。PTSDやうつ病などに効果があるという研究報告もある)の使用をオープンに語る芸能人もいますし、逮捕された芸能人が薬物使用を語ることも少なくありません。ただ、アメリカでもコカインやヘロインの使用については、まだ「スティグマ」が強いといえます。
むしろ今、厳しい目が向けられているのはタバコです。これまで芸能人が喫煙している写真はふつうに公開されていましたが、今はそのような写真を隠そうとします。ネットで画像検索をしても、喫煙している最近の芸能人の写真はなかなかみつからないと思います。
ーーアメリカでも「ダメ。ゼッタイ」のような広報活動がおこなわれているのでしょうか。
有名なフレーズとしては、ナンシー・レーガン元大統領夫人が使った”Just say no”(「ただノーと言おう」)があります。しかし、うまくいきませんでした。
そこで、私たち(DPA)が始めたキャンペーンが”Just say know”(「ただ知っていると言おう」)です。「薬物を使ってはいけない。もし、使うのであれば、薬物に関する科学的な知識と真実を知らなければならない」という意味です。
私たちは若い人たちが薬物を使わないということには賛成です。ただ、そうは言っても多くの若者は薬物を使ってしまう。だからこそ、正しい知識が必要だと訴えています。若者に対する「性教育」と同じ考え方です。
また、私たちは”Safety first”(「安全第一」)という「薬物教育」もおこなっています。多くの親は「子どもたちに薬物を使ってほしくない」と願っています。でも、もっとも重要なことは「安全を確保すること」です。そのような視点からの教育です。
●<日本における「非犯罪化」と「ハームリダクション」の可能性>ーー日本でも「非犯罪化」や「ハームリダクション」の必要性を訴える声も上がっています。しかし、まだ日本で議論されることは少ないといえます。
日本では、「非犯罪化」や「ハームリダクション」をはじめ、世界でなにが起きているのか、科学の世界でどのように言われているのかがあまり報道されていないように感じます。
まず必要なのは、「医療大麻」問題への関心や理解を深めることです。今、医療大麻はさまざまな国で合法化されています。大麻を「医薬品」として使用できることへの理解が深まれば、人びとの考え方が変わってくると思います。
それから、過去に薬物問題を抱えたことがあり、今は回復の道を歩んでいる人たちが自分の経験(現在の制度がいかに「真実」を話すことを困難にしたかなど)を話すことも1つの方法として考えられるでしょう。
※本インタビューのコーディネートは、イーサン氏が支援している「日本薬物政策アドボカシーネットワーク」の古藤吾郎氏がおこなった。
【プロフィール】イーサン・A・ネーデルマン(Ethan A. Nadelmann)ニューヨーク生まれ。ハーバード大学で博士号を取得後、政治学者としてプリンストン大学で教鞭を執る。ジョージ・ソロス氏から資金的援助を受け、リンデスミスセンター(薬物政策研究所)を創設。その後、DPAを創設し、2000 年から2017 年まで代表を務めた。アメリカの月刊誌「ローリング・ストーン」では、薬物政策改革運動の「先鋒(the point man)」であり、「真の薬物政策の指導者(the real drug czar)」と紹介された。現在はタバコの「ハームリダクション」に取り組んでいる。