北海道新幹線・奥津軽いまべつ駅構内で開かれたジャズ・コンサート=2019年12月(筆者撮影)

雪に覆われた北海道新幹線・奥津軽いまべつ駅(青森県今別町)で2019年暮れ、ジャズ・コンサートが開かれた。

大都市なら駅でのコンサートも珍しくはない。しかし、人口2400人と「日本一小さい新幹線のまち」をうたう町の新幹線駅、しかも改札内の小スペースが会場とあれば趣が異なる。新幹線の開業直前の様子は以前、当連載でも紹介した(2016年3月21日付記事「若者を惹きつける『日本一小さい新幹線の町』」)。あれから4年、駅の様子はどうなっているのか。北海道新幹線で出掛けてみた。

改札内がコンサート会場

新青森駅から「はやぶさ15号」で15分、2019年12月15日13時36分に奥津軽いまべつ駅へ到着した。エレベーターでコンコースに上がると、ふだんは静かなフロアがざわめきに包まれている。聴衆は町内の人を中心に30人ほど。会場はJR津軽線をまたぐ連絡通路かと想像していたが、改札内のこぢんまりした空間だった。やがて、演奏が始まった。


この連載の記事一覧はこちら

雪模様の天気に合わせるようにしっとりと、あるいは軽快にリズムを刻んだのは、地元で活躍する「小松由美子トリオ&さくら」のメンバーだ。

2部に分かれて、「A列車で行こう」「ホワイト・クリスマス」など十数曲を披露。見慣れたエントランスが、大きく豊かなステージに生まれ変わった。

コンサートには、JR北海道の宮越宏幸・函館支社長、今別町の中嶋久彰町長も顔を出した。北海道新幹線やJR津軽線を見渡せる連絡通路では、野菜などを煮込んだ郷土料理「あづべ汁」の振る舞いや、コンブ、農産物などの直売が行われた。ささやかながら、地元の思いが濃集された催しである様子が伝わってきた。


改札口から見た奥津軽いまべつ駅のコンサート会場。小ぶりだが音響はよいという=2019年12月(筆者撮影)

演奏メンバーは青森市と弘前市、五所川原市、鶴田町から駆けつけた。津軽地方をほぼカバーする顔触れだ。セッティングを手掛けたのは、青森県で唯一、国の「観光カリスマ」に認定されている角田周さん。作家・太宰治を生んだ五所川原市金木地区の出身で、1980年代末、「地吹雪体験ツアー」をスタートさせ、ネガティブな自然現象を観光資源化した実績を持つ。

2010年12月の東北新幹線全線開通・新青森駅開業時には、民間の立ち位置からその効果を最大化しようと、県内外のメンバーを集めて「あおもり観光デザイン会議」を組織し、フォーラムなどを展開した。

音はよいが最後まで聴けない…

この活動の傍ら、2013年に「あおもりスペース活性化プロジェクト」を仲間とスタートさせ、寺院や酒醸造元、居酒屋、カフェといった施設でジャズ・コンサートや公開講座を企画してきた。今回の演奏は「会場が新幹線の構内と聞いて驚いたが、響きがコンサートホールのようによくて感動した」という。コンパクトな駅の構造に、意外な効用があったという“お墨付き”だ。

一方、今別町役場は2016年3月の北海道新幹線開業後、同年10月から駅でのイベントを始めた。毎回10万円ほどの予算を組み、地元に伝わる人形劇「金多豆蔵」(きんた・まめぞう)の上演や高校の三味線部の演奏、郷土芸能、地方アイドル「りんご娘」のコンサートなどを重ね、今回が16回目になる。

残念ながら、演奏を最後まで聴き届けることはできなかった。15時35分発の上り「はやぶさ30号」を逃すと、次の列車は約4時間後だ。奥津軽いまべつ駅に止まる列車は1日7往復、うち東京までが5往復、盛岡・新青森までが各1往復しかない。滞在2時間、新青森からの交通費は自由席(特定特急券)でも片道2190円。どんなプログラムなら、この条件でお客を呼べるだろう。

当日、新幹線でコンサートを聴きに来たのは、筆者とJR北海道の函館支社長だけだったようだ。

コンサートの合間に、改札口の外でもう1つ、節目となる光景を目にすることができた。津軽鉄道の終点・津軽中里駅(中泊町)と奥津軽いまべつ駅を結ぶ連絡バス「あらま号」がリニューアルされた姿だ。 愛称は今別町の郷土芸能で青森県無形民俗文化財の「荒馬(あらま)」にちなむ。


津軽中里駅と奥津軽いまべつ駅を結ぶ「あらま号」=2019年12月(筆者撮影)

「奥津軽」はもともと、津軽平野から日本海岸にかけての五所川原市と西津軽郡、北津軽郡を指す地域名だ。1980年代の終わり、弘前市のイメージが強い「津軽」と別の地域ブランドをつくろうと五所川原青年会議所が提唱した。当時は「なぜ、わざわざ“奥地”というイメージを打ち出すのか」と異論もわき上がったが、30年ほどの間にすっかり定着した。

奥津軽いまべつ駅がある今別町は、津軽海峡に面し、東津軽郡、地元では「上磯地方」と呼ばれる地域に属する。本来なら「奥津軽」のエリア外だ。とはいえ、北海道とのつながりでみれば、駅は「奥津軽」への玄関口に当たる。駅も、開業前は長く「奥津軽(仮称)」の名で呼ばれていた。しかし、開業に際し、今別町の意向で「いまべつ」の文字が加わった。

新幹線開業と同時に運行開始

奥津軽いまべつ駅と津軽中里駅の距離は約33km、間を結ぶ公共交通機関はない。そこで、北海道新幹線開業と同時に連絡バスが走り始めた。1日4往復で所要1時間、運賃は片道1200円だ。

しかし、利用は1便平均1人前後と伸び悩んだ。今別町役場に事務局を置く連絡バスの運行協議会は、開業1周年に合わせてバスを「あらま号」と名付けたり、割引制度を試行したり、モニターツアーを重ねたり……と対策を講じてきた。しかし、奥津軽地域と今別町は通婚圏にあるものの、ともに人口が少ないうえ、その減少と高齢化が著しい。

特に今別町は2019年11月現在の推計人口(国勢調査をベースに自然増減・社会増減を加減した人口。青森県庁のデータによる)が2408人、同年2月現在の高齢化率が53.45%と、青森県の人口減少・高齢化の最先端にいる。互いを行き来する地元の需要そのものが細っており、また、観光客だけでバス利用者を確保することも容易ではない。

今回のリニューアルは、利用者サービスやホスピタリティの点で、ようやく一歩踏み込んだ形だった。 今別小学校の児童による停車アナウンスや、地元の観光アテンダントによる津軽弁アナウンスが流れる。車体には大きな「あらま号」の文字と、金木出身の作家・太宰治などのイラストが描かれた。

「あらま号」をめぐる模索は、人口減少下で、地域を新たにつなぐ営みの難しさを浮き彫りにしている。筆者は2017年度、このバスの利用実態を調査し、特に冬の「大人の休日倶楽部」期間には、津軽鉄道のストーブ列車を目当てに周遊する人が多い状況などを確認した。

利用者数はもっと伸ばせそう

北海道・東北新幹線、JR五能線・津軽線、そして津軽鉄道と、多くの路線を多くの人々が、しかも予想を超えた旅程を組んで移動していた。


線路網と「あらま号」ルートの略図(地理院地図から筆者作成)

もちろん、個々の旅客の動線をその都度、可視化できない環境下では、隣接地域同士といえども行政の連携には限界がある。それでも、旅客の視点に立った情報の掲出や発信、利便性の段差の解消に本気で取り組めば、利用はまだまだ伸ばせると実感した。

それだけに、津軽をカバーするジャズ・プレーヤーたちが手を携え、奥津軽いまべつ駅で息の合った演奏を披露する姿を目の当たりにし、「人が地域と地域をつなぐこと」の意義や可能性について、いろいろ考えさせられた。

町の出生数はここ数年、1桁台にとどまり、1948(昭和23)年に開校した町内の高校(元・今別高校、現・青森北高校今別校舎)は2019年度限りでの募集停止が決まった。新幹線で青森市内の高校に通学している生徒もいる。


県外から訪れる若者が支える「荒馬まつり」=2017年8月(筆者撮影)

一方で、4年前の記事で紹介したように、町に伝わる「荒馬」を支えているのは、県外から集まる若者たちだ。毎年8月の「荒馬まつり」には200人以上が担い手として集結する。

加えて、町は東京オリンピックのホストタウンに名乗りを上げ、モンゴルのフェンシング・チームの事前合宿を受け入れている。もともと、今別町は青森県のフェンシング発祥の地でもあり、オリンピック選手などを輩出してきた。地域再生計画として「フェンシングの聖地いまべつ」拠点整備計画を策定、2018年には奥津軽いまべつ駅の北方200mに「いまべつ総合体育館」を建設した。

今別が示す日本の近未来像

全国の大半が人口減少と高齢化に向かう中、今別町の現状は、日本そのものの近未来像にも重なる。見方を変えれば、今別町は「新幹線はどのように、あるいはどの程度、人口減少社会の再デザインに役立つか」という問いの先進地でもある。音楽や祭り、スポーツと新幹線の組み合わせは、まちの将来像をどう変えうるのだろう。


道の駅いまべつ(手前)とJR津軽線、北海道新幹線。奥は建設中のいまべつ総合体育館=2018年2月(筆者撮影)

「日本一乗降客が少ないと言われる奥津軽いまべつ駅のランキングを、ワンランクずつ上げる方策を今別町役場と考えていきたい。まずは、新幹線を降りてからの目的となる、四季折々を彩る企画を模索している。それを毎月、進化させていきたい。観光客だけでなく地域住民も楽しめる、遊べる企画が要る」。角田さんは抱負を語る。

北海道新幹線の沿線をみると、新青森駅でも最近、改札内でのゴスペル・コンサートなどが開かれるようになってきた。新幹線駅を何にどう活用できるか。それがどんな未来につながるのか。「日本一小さい新幹線の町」の試みは、多くの示唆と論点を投げかけてくる。