森保監督のサッカーが“見えにくい” パターン化した言葉、漫然と戦ったチームの姿
【識者コラム】「ライオンを食べる」フランス人と官僚の答弁のような森保監督
カルロス・ゴーン元日産自動車CEOの逃亡先レバノンでの会見映像を見ていて、「はて、どこかで見た覚えが……」と思ったサッカーファンもいたのではないだろうか。
元日本代表監督のバヒド・ハリルホジッチ氏、もっと遡ればフィリップ・トルシエ氏を思い出した人もいたかもしれない。
「フランス」が3人の共通項だが、フランス人が皆、彼らのような喋り方をするわけではない。日本の情報番組を見ていたら、「(ゴーン氏は)ライオンを食べたようだった」というフランス人記者のコメントが紹介されていた。「ライオンを食べる」は、エネルギッシュで元気があふれている様子をたとえた言い方である。もちろん、フランス人がライオンを食べているわけではなく(カタツムリは食べるが)、彼らにしてもゴーン氏の独演ぶりは一種異様な感じで受け止めていたのだろう。
話しているうちに、もっと話したいことが出てきて、どんどん付け加えているうちに収拾がつかなくなる――日本代表の試合後の記者会見で、ハリルホジッチ氏は時々そんなふうになっていた。
その最後が2018年3月のベルギー遠征で、二つの低調な親善試合を最後に彼は代表から退けられた。解任には各種陰謀論も囁かれ、今もって本当のところはよく分からないままだ。ともあれ、あのベルギー遠征はハリルホジッチ監督が新しい戦い方を導入しようとして大失敗した2試合として記憶されている。
導入しようとしたのは、言ってみればリバプールのスタイルだ。速く縦へ攻め込む、相手ボールになっても構わない、とにかく「縦に速く!」。ボールが相手に渡ったら、そのまま敵陣でプレスして奪い返す。奪ったボールを奪い返された相手には必ず隙がある。だからまずは陣地を取れ。至極大雑把に言うと、そういうスタイルだったと思う。
リバプールがユルゲン・クロップ監督の下で、昨季のUEFAチャンピオンズリーグ王者となり、現在そのプレースタイルが脚光を浴びているが、当時の日本代表に導入するにはかなり無理があったのは確かだ。ただ、ハリルホジッチ監督はそうしたかった。それが良いと思い、実現するための情熱は溢れかえっていた。結果が不首尾だったのでライオンを食べたようにはならなかったが、ヤギを食ったぐらいの熱量は感じられた。
どうやって点を取るつもりなのか、サウジ戦の日本からは見えてこなかった
現在の日本代表を率いる森保一監督は、ハリルホジッチ氏やゴーン氏とは真逆の、もの凄く抑制の効いたコメントの出し方をする。ある種、官僚の答弁のようだ。ファン、サポーターへの感謝から始まり、見たとおりの試合経過の説明から、「次へ向けて頑張ります」的に締めれば一丁上がりだ。完全にパターン化していて、まるで時候の挨拶を聞くような気分にさえなる。
もちろん、森保方式の良さもあると思う。話し方は丁寧だし、どこにも失礼がなく、失言もゼロだ。ただ、何かを話したい人の喋り方ではない。話したいことが次々に溢れてくるタイプでは全然ない。できれば何も話したくない人の話し方だ。
話したいことがないのは構わない。でも、やりたいことがないのは困る。森保監督も、やりたいことは沢山あるはずだ。きっと、彼がチームに植え付けようとしていることは、あまりにも日本サッカーの現状と同化しすぎていて見えにくいだけなのだろう。赤色の絵の具に黄色を垂らそうとしたハリルホジッチ監督と違って、灰色に少し白色を落とした程度なので目立たない。
U-23アジア選手権の初戦(サウジアラビア戦/1-2)を見ると、どうやって点を取るつもりなのか見えてこなかった。戦術がない、何も準備していないチームのようだった。良くも悪くも引っかかりがない、良くも悪くも違和感がない。ただ漫然とプレーしているだけに見えた。
先日、パブロ・ピカソの製作過程を追った古いドキュメンタリー映画を観た。太陽の降り注ぐ海辺のリゾートを描いていたら、どんどん塗り重ねていって、家も海もなくなり、何十人かいたはずの人間は3人になって巨大化し、太陽は消えて夜になり、ついに暗黒になってしまった。「どんどん悪くなる」「これは酷いな」と、ピカソ本人が話していたのには笑ってしまったが、「うん、描きたいものが分かった」と言ってイチから描き直したものは、ピカソ的な華やかなリゾート地の絵になっていた。最初の絵を見ていないとそうとは分からないかもしれないが……、ライオンを三頭ぐらい食った人の仕事だと思った。(西部謙司 / Kenji Nishibe)