「“産みたい”より“育てたい”が上だった」里子・養子を選んだ夫婦が築く家族のカタチ
「不妊治療をしている方にとって里子や養子を迎えるのは“最後の選択肢”になっていますが、8年間、里子を育ててきた今、思うのは“最初から”でもいいんじゃないということ。それくらいおすすめしたいです」
と話すのは、里親制度の政策提言や啓発活動をするNPO法人『日本こども支援協会』代表理事の岩朝しのぶさんだ。里親とは、生みの親に特別な事情があるとき一時的に子どもを預かる制度。養子縁組とは異なり、戸籍の変更は生じない。
「産みたい」よりも「育てたい」が上だった
岩朝さんも30代のころに一時期、不妊治療を受けていたが、子どもは授からなかったという。
「治療は最後まであきらめていませんでした。小さいころから病気や勉強、仕事などどんなことも頑張って克服してきたので、あきらめるという選択をできなかった。だから治療と並行する形で里親登録をしたところ、不妊治療からは自然と足が遠のいていきました」
夫婦の子どもであることへの執着はもともとなかった。岩朝さん自身、血のつながらない父親と暮らした経験があったからだ。
「私は実父よりも母の再婚相手(継父)を慕っていたので、もともと血縁へのこだわりがありません。時間や交流の積み重ねが家族をつくることに実感がありました」(岩朝さん)
岩朝さんと交流のある養子縁組家族交流団体『絆の会』相談役のSさんも、16年間、妻とともに不妊治療に取り組んだ末、特別養子縁組を選択している。特別養子縁組は養子縁組の一種で、『子どもの福祉』を目的とした縁組で実親との関係が完全に消失するものだ。
「不妊治療を行っている中で特別養子縁組のことを知りました。妻に言い出すタイミングが難しかったですね。少しずつ不妊治療を減らしていくなかでお互いに、産みたいのか育てたいのかを改めて考えてみたら、ふたりとも“育てたい”が上だった。それで養子を選択しました。
そのころちょうど熊本の慈恵病院が『こうのとりのゆりかご』(赤ちゃんポスト)を始め、活動に賛同し応援の意味でメールを送りました。そのご縁で子どもを迎えることができました」
里子の喜びを得られたことに感謝
Sさん夫婦はその後もうひとり養子を迎え、現在は12歳と8歳の子どもを育てている。2人とも生まれてすぐからともに暮らしているため、普段は養子と意識することがないという。
「養子だと忘れてしまうことも多々あります。子どもが熱性けいれんを起こしたとき、救急病院で“ご両親はこういう病気をしたことがありますか?”と聞かれて真剣に考えてしまった(笑)。しばらくして、そういえば血縁がないというのを思い出しました」
子どもをもたず、夫婦ふたりで暮らすという選択は考えなかったのだろうか。前出の岩朝さんは当初、夫と意見が分かれていたと話す。
「夫は、夫婦ふたりでよくない? と言っていました。僕は君と一緒になりたくて結婚したんだからと。でも私は子どもが大好きで、子育てをしない人生など考えられなかった。だから離婚も頭をよぎりましたが、それを話したら夫が考え直してくれました(笑)」
岩朝さん夫婦と娘の関係は良好だ。4歳で家に迎えた娘は今、12歳になる。
「この前、久しぶりに会った知人が“だんだん本当の親子みたいになってきたな”と言ったら、娘が凍りついてしまって。あとで聞いたら“あんなふうに言われたら逆に、本当の親子じゃないと言われたみたいで傷つく”と。以前は、夫婦だけでいいと言っていた夫も、今では“里親をやらない人生なんて考えられない”と言っています。
里子は虐待を経験した子も多いので大変さもありますが、この喜びを知ることができて本当によかった。血縁はなくても、年月で家族にはなれるんです」
岩朝さんは興味をもった人にはぜひ、知る勇気を出してほしいという。
「私も不妊治療をしていたときは本当に世界が狭くなっていました。次の周期のことしか考えられず、今思うと、まったく私らしくなかった。治療と並行でいいので、実際に養子や里子を迎えた人に会ってみるなど、一歩前に進んでもらえたらと思います。どんな形にせよ、子育ては楽しいですよ」
《PROFILE》
岩朝しのぶさん ◎NPO法人『日本こども支援協会』代表理事。養育里親としての経験をもとに、さまざまな理由で保護されている子どもたちを取り巻く問題に取り組んでいる。