リーチ・マイケルの愛され留学生時代、実力不足から母校に銅像が建つまで
少年が日本に降り立ったのは15歳。現日本代表のキャプテンであるリーチ マイケル(30)は、交換留学生としてニュージーランドから来日した。
「ラグビーできるかな、やっていけるかな……というのが最初の印象でしたね」
そう語るのは札幌山の手高校ラグビー部の佐藤幹夫監督。
「身体が細かったので、ふっとばされることも多かった。試合で“あの外国人、たいしたことないな”とか陰口もあった。“みんなに申し訳ない”と悩んだりもしていました。当時の実力はまだまだでしたが、アイツはとにかく身体を強くしたいと、部の練習後にタイヤを引いたり、筋トレをいつもやっていましたね。そうとう悔しい思いを重ねていたんでしょう」(佐藤監督、以下同)
真摯な人柄は愛され、信頼される男に
“外国人”として期待されながらも、その期待を裏切る場面も多かった。しかしリーチは地道な努力を続けた。
「最初は体重が75kgくらいしかなかったのに、2年生になったら90kgくらいになって、卒業のころには100kg近くになっていましたね」
ひたむきに頑張るリーチが2年生のころ、実家に不幸が。
「家が火事で全焼したんです。大変だから国に帰っていいぞって話したんですが、彼は“みんな無事なんで大丈夫です”って言うんです。それで募金集めようって私がとっさに思って、先生方や生徒、あとは地域の人に呼びかけて、70万円くらい集まった。みんなマイケルのことを気にかけて心配してくれました」
真摯な人柄は地元で愛された。近所の食堂ではサービスされ、そば店では店主の子どもに英語を教え、無料でそばを食べさせてもらった。
高校卒業後は、東海大学へ。東海大学ラグビー部の木村季由監督は、
「彼の魅力はスピードと手脚の長さ、そしてタックル。長い手脚を生かした本当にしつこいディフェンスが素晴らしかった。あとは彼の性格。勤勉な姿勢ですね」
そして大学時代、地道な努力で日本代表に上り詰める。高校時代の佐藤監督は、
「高い目標を持つように、“日本代表になったら学校に銅像を建ててやる”って言ってたら、大学2年生でなっちゃって(笑)。“先生、日本代表になりました!”って電話がかかってきたので、“まだ早すぎる。日本代表のキャプテンになったら建てよう”って先延ばしにしたんですけど、今度はキャプテンにもなっちゃって。そしたらマイケルから今年“銅像送っていいですか”って電話がきました」
ワールドカップのオフィシャルスポンサーである『三菱地所』は8月、ラグビーを盛り上げるイベントの一環として東京・丸の内にリーチの銅像つきのベンチを製作した。
「今度送られてくることになってるんですよ(笑)。校長先生に頼んで学校に置いてもらうことになりました」
両恩師が観戦に訪れると、必ずと言っていいほど“今どこにいるんですか?”と連絡を入れ、会いに行くというリーチ。まっすぐな人柄は少年のころから変わっていない。