目黒女児虐待死、実父の親族「雄大も優里も殺してやりたい」結愛ちゃんの遺骨は今
「自分でお腹を痛めて産んだ子なのに、なんで助けんかったんか。結愛もきっと最後の力を振り絞って書いたんや。
私らも報道を見るたびに何もできんかった自分を恥じよる。優里ちゃんの実家を訪ねたり、ちゃんと面倒をみているのか、知る努力をするべきやった。結愛に謝っても謝りきれん」
と、打ちひしがれるのは香川県内に住む結愛ちゃんの実父方の曾祖母(71)。曾祖父(72)も「報道で結愛が出るたびに泣いとった」と力なく話した。
「雄大も優里も殺してやりたい」
東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(5)に対する、保護責任者遺棄致死の疑いで、警視庁が継父の雄大容疑者(33)と実母の優里容疑者(25)を逮捕したのは6月6日のこと。
3月に傷害で逮捕されていた雄大容疑者は2月末ごろ結愛ちゃんの顔面を殴るなどし、結愛ちゃんは寝たきりの状態に。嘔吐なども繰り返していたという。
優里容疑者は結愛ちゃんを病院へ連れて行かなかった理由について「虐待がばれ、立場が危うくなると思った」などと供述したという。
まだ外も暗い朝の4時。結愛ちゃんは毎朝その時間に起き、ひらがなの練習をさせられていたという。
《もっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてください ゆるしてください お願いします》
その小さな手で両親に許しを請う言葉を綴ったノートを残し、結愛ちゃんは3月2日に息を引き取った。
この事件を受け、政府は7月20日、児童虐待の緊急総合対策をまとめた。社会が変わろうとしているが、
「政治家は票集めにもっともらしいことを言う。法律や制度ができたら虐待死が減るかもしれん。ただ、申し訳ないが、俺らからしたら終わったこと。結愛は帰ってこんきに」
そう話すのは、結愛ちゃんの実父方の祖父(43)だ。
「児童相談所が強制的に結愛を確認していれば死ななかった。様子を見に行って確認できませんでしたと帰ってくることがおかしい。
新聞の勧誘やないんやけ。新しく法律や制度が変わっても建前にしか思えん。すでに児相というシステムがあるのに、なんで助けられんかったんや」
と祖父は吐き捨てる。さらに両容疑者について、
「雄大も優里も殺してやりたい。殺せるもんなら殺してやりたいよ。結愛が感じたのと同じか、それ以上の恐怖を与えてやりたい。どれだけ怖かったんやろうか。毎日そんな恐怖が続いていたなんて……」
体格のいい祖父は、肩を震わせ、顔を真っ赤にし、詰まりながらも言葉を絞り出す。
事件後に息子(結愛ちゃんの実父)と食事をしたという。
「息子はな、気を遣ってかなんも言いよらん。俺も思い出させるのはかわいそうやけ、あえて触れんようにしとる。ずっと抱えて生きるのはあまりにかわいそうやけ」(祖父)
ただ、実父がずっと胸に秘める思いがあるのだという。
「離婚後にな、息子が小さい子どもの面倒を見よったときがあった。そしたら“オレ、別れてから(結愛のことを思い)涙が出よった”ってポツリと言ったんや。大事に思っていたし、会いたかったと思うよ。でも、優里に男ができたら会いにいけんやろう……」
結愛ちゃんは“前のパパがよかった”ともこぼしていた。実父はどのような思いで報道を見ていたのか。
「もうそっとしておいてほしいんや。何をしたって結愛は帰ってこんきに」
と祖父は涙をぬぐった。
実母である優里容疑者の父親は、
「結愛を最後に見たのは東京へ送り出したときです。もしおかしなことがあれば止めていた。優里がどういう状況に置かれていたかわかりませんし、これ以上、お話しすることはありません。後は裁判で明らかになると思います」
結愛ちゃんの遺骨が納められた墓石には、“行年7才”と刻まれていた。それはあまりにも短い生涯であり、同時につらく長い時間だった。