本田圭佑がゴールを求める理由 サッカー人生で2度目の「非現実的」な挫折とは?
元MLBジーター氏の運営するサイトでサッカー人生を熱弁 「でかい目標だけ言ってきた」
日本代表MF本田圭佑(パチューカ)が、元MLBヤンキースの内野手デレク・ジーター氏が運営する米ウェブサイト「プレイヤーズ・トリビューン」のインタビューに応じ、自らのサッカー人生について熱く語った。
そのなかで、オランダのVVVフェンロ時代に経験した2部降格を「非現実的な感覚」だったと振り返っている。
2005年に石川県の星稜高からJ1名古屋グランパスへと加入し、プロキャリアをスタート。08年1月に念願叶って海を渡り、当時オランダ1部のVVVフェンロへと移籍した。
しかし、そこで待っていたのは、チームの2部降格という受け入れ難い現実だった。本田は当時を振り返り、次のように語っている。
「(VVVへ)1月に移籍したんですけど、1月から6月はヨーロッパのリーグだと後期なんですよね。そこで降格したんですよ、いわゆる2部に。僕は、ずっと小学校の頃からでかい目標だけ言っていて、いずれヨーロッパのビッグクラブでプレーするんだ、W杯で優勝するんだと言っていた。まさかヨーロッパに渡ってから半年で降格すると思ってなかった。本当にショックでした。でも、チャンスは一つあったんですよ…」
その年の夏には、北京オリンピックが控えていた。本田はその大舞台を「僕にとっての一つの就活」の場と位置づけて臨んだという。だが、日本はグループリーグで3戦全敗。本田は自身初の世界大会で爪痕を残すことができなかった。
オランダ2部降格は「忘れることのできない大きな失敗の一つ」
その二つの苦い経験は、自身のサッカー人生で2度目の大きな挫折となったという。
「(北京五輪で)アピールすれば他のチームに獲ってもらえる。ただ、そこで全敗して就活も大失敗に終わった。僕に残された道は、日本に戻るか、オランダの2部で1年間プレーするかのどっちかしかなくなった。その時に、いくつか日本の素晴らしいチームからオファーをもらったんですけど。それも普通の人だったら行く可能性もあると思うんです。オランダで2部ですから。
僕としてもまさか自分が2部でプレーするなんて非現実的な感覚に陥っていた。想像もできなかったです。自分が2部でプレーするなんて。他人事だと思っていたので。そこは僕の、一つは中学校から高校でユースに上がれなかった挫折と、2回目の挫折。忘れることのできない自分の大きな失敗の一つですね」
本田は中学時代にガンバ大阪のジュニアユースでプレーしていたが、ユースへの昇格を果たせず、高校サッカーの道に進んだ。オランダでの経験は、自らのサッカー人生に大きな影を落とした。
「単なるパサーではいられない。スコアラーになる必要があった」
だが、そんな逆境のなかで、本田は新たな成長の糧を見つける。オランダに残る決断を下し、2008-09シーズンに背番号10を背負って16得点13アシストという圧倒的な数字を残した。チームを2部優勝と、1年での1部復帰に導くとともに、自身もMVPを受賞。その存在価値を証明した。「非現実的」だったという2部でのプレー経験が、自身のサッカー観にも大きな影響を与えたという。
「VVVでの失敗は貴重なレッスンになりました。成功のためには、ゲームを変える必要がある、と。それまでの単なるパサーではいられない。ゴールスコアラーになる必要があったんです」
この経験によってゴールへの欲求や、チームを勝利へと導く責任が芽生えた。のちのCSKAモスクワ、ACミランへとステップアップを果たす本田を支えていった。自身の集大成と位置付けていたロシアW杯。「どれだけ結果にコミットできるかどうか。勝つためにやれることを全部やる」と語っていた本田は、途中出場から1得点1アシストをマーク。ゴールを、そして勝利を希求したプレーで、その存在を改めて世界に示した。
(Football ZONE web編集部)