帰化選手が最も多く在籍するアイスホッケー韓国代表【写真:Getty Images】

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メダル計17個、韓国の躍進の裏にあった「帰化選手問題」とは

 韓国で1988年ソウル夏季五輪以来30年ぶりに開催された平昌冬季五輪は、開幕直後に様々な問題が噴出したが、大会組織委員会がしっかりと対応したことで問題の拡大を防ぎ、当初の想定よりもはるかに成功を収める結果となった。

 大会前に掲げたメダル獲得数は、「金8、銀4、銅8」の計20個という目標だったが、結果的には「金5、銀8、銅4」の計17個で目標には届かなかった。お家芸と呼ばれるショートトラックでメダルラッシュとならなかったためだ。それでも、これまで韓国では苦手と言われてきたスキー競技とそり競技でメダル獲得が続出して、不人気スポーツに対して韓国国民が関心を持つきっかけを作り、関心が高まったことは言うまでもない。過去のメダルはほとんどスケート競技で獲得していたが、今回は国を挙げての強化策が成果を見せて、スケルトンで初めての金メダル、カーリングやスノーボード、ボブスレーでそれぞれ銀メダルに輝いた。そんな中で、「メガネ先輩」のニックネームなどで盛り上がったカーリング女子の大活躍は、韓国や日本でも大きく取り上げられるなど一躍ブームとなった。

 今回の平昌五輪では地元開催の五輪に出場する栄誉を得た韓国代表チームが大活躍を見せたが、その中には帰化選手が19人いた。2014年ソチ五輪に参加した国家代表中の帰化選手は女子ショートトラック選手が1人だけだったことと比べてみても、今回の五輪での帰化選手増加は顕著だった。

 なぜ、これほどまでに帰化選手が誕生して、韓国五輪代表になったのか。それは、やはり自国で五輪を開催するにあたり、自国選手が出場しない種目があっては恥ずかしいこと、またできれば多くのメダルを獲って活躍をしてもらいたいこと、そして底辺が狭い冬季スポーツの人気を呼び起こすことなど、いくつかの理由が挙げられるだろう。

 スケート以外の冬季スポーツの実力がほとんどなかった韓国は、今回の五輪で金メダル8個を目指して総合4位を狙っていた。その切り札にしようとしたのが、特別帰化制度(元の国籍を放棄せずに韓国籍を与えること)を使った帰化選手を誕生させたわけだ。どちらかと言えば、これまでは「純血主義」的な考え方で外国人の帰化にも消極的だっただけに、この特別帰化政策については賛否が分かれたが、そこは国を挙げての30年ぶりの五輪開催となる平昌大会を成功させることが先決ということで採られた施策だった。

韓国人記者に聞くと、かなり肯定的な意見…その理由とは?

 五輪取材に来ていた韓国メディアの江原日報記者に韓国代表の帰化選手事情を聞いたら、かなり肯定的な意見で驚いた。

「お察し通り、これまでの韓国では帰化選手については否定的な考えが多かったです。しかし、平昌五輪をきっかけに、その考え方がかなり変わったことは確かです。なぜなら、開催地なのにアイスホッケーや他の競技でも競技人口の底辺が不足していて、世界水準にかなり遅れているという面があったため、帰化選手を活用して世界のレベルに合わせていかなければいけないことを国民たちが納得し、今回の五輪開催を契機に、それまでのような否定的な意識がなくなったように思います。五輪開催が最も重要なきっかけになったと言って間違いないです。

 また、多くのプロスポーツで海外の選手が活躍している中で、帰化する選手が一人二人と増えてきて、徐々に認識が変わってきていたかもしれません。そういう面でも、以前はタブーだったことが崩れて、全体的にグローバルなマインドに変わってきたことで、拒否感がなくなっているような気がします。私の記憶では、この冬季五輪から帰化選手が増えたはずです。今回は特異なケースで全種目に(韓国人選手が)出ないと行けないから。競技力の弱く、認知度が低い競技のところを中心に、戦略的に帰化政策を取っていたと思います」

 大韓体育会(韓国オリンピック委員会)は2010年から体育分野の優秀な人材を特別帰化として積極的に受け入れてきたようで、通常は帰化すれば元の国籍を失効するところを、特別帰化では元の国籍を放棄しなくても良くなったことで、ハードルが低くなったことが後押しした。

 今回の平昌五輪で帰化選手19人は5種目に出場。種目別では、アイスホッケーが一番多く、女子4人、男子7人の計11人、バイアスロンではロシア出身の女子選手が3人、ドイツ出身の女子リュージュ選手が1人、そしてフィギュアスケートのアイスダンスでは日系米国人の女子と米国出身の男子のカップルがいた。帰化選手の中には、女子アイスホッケー選手の1人とクロスカントリー選手の1人は、多文化家族(両親のどちらかが韓国人で二重国籍)として生まれ、国籍選択時に韓国を選んだ選手である。

 帰化選手たちでメダルを獲った選手はいなかったが、それでも予想以上の出来で入賞した選手はいた。リュージュ女子ではドイツ出身の帰化選手が8位入賞して、韓国リュージュ史上最高の成績だった。また、ロシア出身の帰化選手が出場したバイアスロンでも活躍が光り、韓国国籍の選手として最高順位を記録してみせた。

スポーツに国籍がどこかというレベルで語ることは不必要に

 今回の平昌大会で韓国五輪代表チームが帰化選手を多く起用したとして注目が集まったが、この現象はもはやスポーツ界では特殊なことではなく、当たり前のような動きになっているのではないだろうか。例えば、アイスホッケーでは国籍を移して大会に出場することはすでに一般化しており、日本代表の中にも日系人や帰化選手が加入している。

 また、冬季スポーツに限らず、すでにサッカーや野球、バスケットボール、バレーボール、卓球などのスポーツではもう国籍がどこかというレベルで語ることが不必要になっていると言っていい。個人レベルで言えば、自分がしたいスポーツができる場所を探し出し、自分が出たい大会(特に五輪)に出られる方法が国籍を変えることであれば、それを厭わないスポーツ選手が出現している現状がある。それだけ、スポーツの世界では国籍は関係なく、グローバルなのだ。ましてや、五輪の創設者であるピエール・クーベルタン男爵は「参加することに意義がある」との考えを持ち、五輪憲章には「個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と記載されていることをみても、スポーツの世界で1人の選手が活躍の場を求めて帰化することについて非難するべきことではなく、至極当然のこととして受け止めていいのではないだろうか。

 平昌五輪を応援する韓国国民の多くは、本当に純粋にスポーツを楽しみ、実力を出そうと懸命に取り組んでいる選手たちを自国選手だろうが、帰化選手だろうが、海外選手だろうが、分け隔てなく応援していた。それが何よりも印象に残った韓国での30年ぶりの五輪だった。(辛仁夏 / Synn Yinha)