プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 G.G.佐藤(後編)

契約金2千万円が実際は300万円! 衝撃の前編はこちら>>

 プロ野球で「天国と地獄」を経験した元選手に、お金にまつわる様々な話を徹底的に聞くシリーズ企画。埼玉西武ライオンズや北京オリンピック日本代表でも活躍したG.G.佐藤氏が語る前編では、世間で伝えられる契約金と実際に受け取った金額のギャップに驚かされた。

 それでも、現役時代のG.G.氏は持ち前の豪打で好成績を残し、プロ野球選手なら誰もが憧れる1億円プレーヤーの仲間入りを果たす。ついに到達した夢の高額年俸──。しかし、そこには同時に大きな期待と責任がともない、成績が落ちるやいなや、たちまち収入も急降下していくのだった。

 上がったり下がったり、ジェットコースターのようなプロ野球人生を送ったG.G.氏は、いま当時を振り返って何を思うのだろうか。


ロッテでプロ野球に復帰したG.G.佐藤、やっぱり日本はキモティーー!

プロ野球選手は商品価値がなくなったらバッサリ!

──実力さえあれば、確かにプロ野球選手は儲かる職業なのでしょうが、最近は高年俸の選手が大幅ダウンを食らったり、クビになったりするケースが目立ちます。

佐藤 年俸1億円以上の選手は40パーセント、それ以下の選手は25パーセントを超えて減額されないという規定がありますが、本人の同意を得てその制限以上に下げられることが多くなっています。ダメなときはバッサリ! そのあたりは容赦がないですね。

──佐藤さんの場合は、32歳の2010年シーズンに推定年俸が1億500万円になりましたが、翌年は6300万円にダウンしてしまいます。

佐藤 まさに”満額ダウン”ですね。もう一回ごねてやろうかとも思いましたが、世間の目もあるから、成績が悪いときにはおとなしくしておこうと思い直しました。ハッスルするとまた叩かれちゃうんで、こういうときは素直に一発サインだと思って。

──「やっと1億円プレーヤーになったぞ」と思った2年後には戦力外通告を受けて、翌年から年俸0円。厳しい世界ですね。

佐藤 私の場合、気持ちが切れちゃった部分があるんですよね。当時の土井正博ヘッドコーチには「3年間、成績を残してやっと一人前だ」と言われて、頑張って1億円に到達してから目標を失ったような感覚になりました。

──2007年は136試合に出て25本塁打、打率.280。2008年は21本塁打、打率.302、2009年は25本塁打で打率.291でした。押しも押されもせぬレギュラーですね。でも、2010年は53試合、6本塁打、打率.204と成績を落とし、翌2011年のオフには戦力外になってしまいました。いったい、何が起こったのでしょうか。

佐藤 理由がわかったらよかったんですけど……急に打てなくなりました。ケガもしたし。球団を経営する側からすれば、選手は商品です。商品価値がなくなれば、バッサリ切られるのは仕方がない。プロ野球の世界はそういうもんだと思っていました。だからこそ、いつ切られてもいいようにプレーしていましたし、球団に媚びるつもりもありませんでした。自分が切られたときも、「そういうもんだな」と素直に受け入れました。

──野村克也さんは、教え子たちに「引退するまでに20億円は貯めとけよ」と言っていたそうですね。

佐藤 40歳くらいから死ぬまで仕事しないとするならば、そうでしょうね。

──佐藤さんは2008年の北京オリンピックに日本代表として出場しました。あの期間に特別な手当ては発生しましたか?

佐藤 オリンピック前後に1カ月くらい所属チームを離れますが、その期間でもらえるのは20万円くらいだったと記憶しています。あとは、もし金メダルを獲れれば報奨金として300万円もらえるくらいかな。

──となると、日本代表選手のモチベーションは何ですか?

佐藤 お金じゃなくて、名誉のために試合します。モチベーションは金メダルを獲ること。星野仙一監督は「金メダルしかいらない」と言っていました。あのときは優勝したら、星野監督が高級時計をプレゼントしてくれるという噂があって、モチベーションが上がりましたね。

──佐藤さんはライオンズを退団したあと、2012年にはイタリアのプロ野球リーグでもプレーしました。どういうリーグなんですか?

佐藤 セリエAには、北はミラノから南はローマまで、全部で6チームがあります。僕はボローニャという真ん中あたりの街にいたんですけど。

──現地での待遇はどうでしたか? 

佐藤 給料は月20万円で、車と住むところと食事に関するお金は全部チームから出ます。選手たちが行きつけのレストランが街にあって、そこでは何を食べてもタダなんです。

──チームが提携しているお店だったら「いくらでもどうぞ」という感じなんですか?

佐藤 そうです。ですから、月20万円でも普通に生活できるくらいの感じ。ただショッピングの国なんで、やっぱり使っちゃいますね(笑)。


──実際にプレーしてみて、雰囲気はどうでしたか?

佐藤 イタリアという国は楽しかったですね。みんな大好きだから野球をやっている。プレーしているのは、ほとんどイタリア人です。助っ人が各チームに3人くらいいて、そのなかにはアメリカ人もいました。試合が終わると、すぐにワインパーティーが始まる。ダブルヘッダーのときには、試合と試合の間のランチのときにワインが出てくるんですよ。

──さすが、イタリアですね。

佐藤 選手だけじゃなく、審判もワインを飲んじゃって、2試合目のストライクゾーンがやたら広くなるんです(笑)。

──そのあと、2013年からは千葉ロッテマリーンズでプレーすることになりました。改めて「日本は恵まれているなあ」と思ったんじゃないですか?

佐藤 お客さんがたくさん見ている前でプレーできるのは何よりも楽しい。応援が力になります。イタリアでは野球はマイナースポーツで、スタジアムには家族くらいしかいないから。

──観客は数えられるくらいですか?

佐藤 だいたい、いつも同じ顔です。「あ、今日も来たね、チャオ、チャオ、チャオ」みたいな。だから、日本の球場でお客さんが入っているエキサイティングな状況はすごく楽しかった。

──「やっぱりプロ野球選手はいいなぁ」と感じましたか?

佐藤 はい。熱いファンに応援してもらって、野球をしてお金ももらえて、いい職業です。ただ、ひとつだけ思うことがあります。私にも黄色い声援があれば……。プロ野球人生を振り返ると、いつも子どもと男性ファンに後押ししてもらってうれしかったけれど、女性ファンの声援も欲しかったな、一回くらい(笑)。


──ある資料によると、佐藤さんはNPBの選手として、3億5250万円を稼いでいます。ユニフォームを脱ぐと、これほどの大金を稼ぐことはなかなかできないでしょう。

佐藤 プロ野球でお金を稼ぐのは大変でしたが、普通の社会では、倍々ゲームで年収が上がるような仕事はほとんどありません。コツコツ頑張って、それ相応のお給料をもらう形なので、どうしてもギャップはあります。

──プロ野球選手のセカンドキャリアが話題になりますが、苦労している人も多くいます。

佐藤 プロ野球選手は働いた分の成果を求める習慣がついているので、引退してからも大きな見返りを求めてしまうのかもしれません。そこが難しいところですね。

──佐藤さんの現在のお仕事は?

佐藤 トラバースという住宅の測量・地盤改良の会社に勤めていて、千葉営業所の所長をしています。実際に現場にも行きますし、営業もします。野球の仕事は、野球教室くらい。いわゆる普通の会社員、サラリーマンです。経営に興味があって、いずれはビジネスの世界で成功したいと考えています。

──サラリーマンになってみて苦労したことは?

佐藤 パソコンが難しいですね。それまではなんでもiPhoneでやっていたんで。

──プロ野球選手にとって、お金よりも大切なものは何ですか?

佐藤 お金よりも大切なもの? それは、お金で買えないものです。

──それは何でしょう?

佐藤 お金で買えないものは、すべてお金より大切だと思います。例えば、健康もそう、信頼も買えません。いくら高くても、お金さえあればたいていのものは手に入れることができますが、そういうのはあまり好きじゃない。いま、私は父親にもらった、21万キロも走ったトヨタのクラウンに乗っています。これまで親父と過ごした時間やストーリーが詰まっているから、この車には価値がある。だから、ビンテージものが好きなんです。何かしらのストーリーがないと、心が動きません。お金で買えないものは、本当に大事です。


──引退した他のプロ野球選手とも交流はありますか?

佐藤 今後は、プロ野球選手のセカンドキャリア支援を積極的にやりたいと思っています。いま、同じ会社に8人の元プロ野球選手が働いていて、これからも採用することになっています。みんなで、「いつか大きいことをやりたい」という夢を描きながら、地道に仕事をしています。「人生のピークは常に未来にある」を合言葉に、プロ野球で稼いだ年収を全員が超えることを目指してコツコツ頑張っています。

G.G.佐藤
1978年、千葉県生まれ。本名・佐藤隆彦。桐蔭学園、法政大学を経て、アメリカ・マイナーリーグのフィラデルフィア・フィリーズの1Aでプレー。2003年ドラフト7巡目で西武ライオンズから指名を受けた。2007年からレギュラーになり、3年連続で20ホームラン以上を記録。2008年には日本代表として北京オリンピックに出場した。2011年限りでライオンズを退団。2013年、2014年は千葉ロッテマリーンズでプレーした。通算成績は、587試合に出場して打率2割7分6厘、88本塁打、270打点。現在は、株式会社トラバース千葉営業所所長を務めている。

トークイベント「プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」

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