ごく平凡な「輝いていない瞬間」を共有する写真アプリ「Minutiae」──「いいね!」もシェアもない、その不思議な世界
自分のカメラロールを表示し、勢いよくスワイプすると、たくさんの写真が目にも止まらぬ勢いでスクロールしはじめる。そのスクロールを止めたらどんな写真が表示されるだろうか。犬の写真やセルフィーだろうか、それとも美しい夕暮れを完璧なタイミングでとらえた写真かもしれない。きっといろいろな写真があるだろう。だが、そこには退屈な日常の瞬間が写っている写真もあるはずだ。
カメラロールは、Instagramに投稿できなかったボツ写真ばかりになりがちだ。それはあたかも、素晴らしい瞬間をとらえはしたものの、ソーシャルメディアに投稿できるほどの出来栄えではなかった写真のたまり場のようだ。
ダニエル・ウィルソンとマーティン・アドルフソンは、このような状況を変えたいと考えていた。この神経科学者と写真家のペアは2017年初頭、 『Minutiae』というアプリをリリースした。日常のさして魅力的ではない瞬間を簡単に記録できるようにしたのだ。
ランダムな瞬間をユーザーに撮らせる型破りなアイデア
使い方はこうだ。まず、ユーザーは1日に1回、ランダムな時間に、写真を撮るよう「Minutiae」から指示される。1分以内に応えなければ、その通知はその日には二度と表示されない。アプリを開き、カメラを構え、5秒以内にその瞬間を撮影しなければならない。構図を考えているヒマはない。かっこいい被写体を探すチャンスもない。その結果、よりリアルなユーザーの生活の写真が撮れるとウィルソンは説明する。「通常なら記録に残さないようなものを撮影するのです」
ソーシャルメディア全盛のいま、これは型破りなアイデアだ。テクノロジーのおかげで、日常生活を記録するのはますます簡単になった。しかし同時に、Instagramのようなアプリのおかげで、私たちは写真を撮る前に、「撮影する価値はあるのか」をまず考えるようになっている。「いいね!」の評価を互いにつけ合うソーシャルメディアが、ほかの人たちを喜ばせるような写真だけを撮影してシェアすべきだと私たちに学習させているのだ。
「われわれはこれを『セルフプレゼンテーションの憂うつ』と呼んでいます」と、ニューヨーク大学で行動マーケティングを研究するアレクサンドラ・バラシュは言う。「シェアする目的で写真を撮るとき、私たちはまず、ほかの人たちがその写真をどう評価するのか考えるようになります」
次の問いに正直に答えてほしい。
写真を撮るときに、あとでフィルターで加工することを考えながらカメラを取り出したことが、いままでに何度あるだろうか。シェアできるほどかっこよくなかったとか、面白くなかったといった理由で写真を消したことが、いままでに何度あっただろうか。
コロンビア大学の研究者ティン・チャンによれば、人々は平凡な瞬間を記録するのを控え、かわりに結婚式や卒業式、大騒ぎした夜など、人生の大きな出来事をカメラにおさめるようになっている。「おかげで私たちは、たいして重要ではない瞬間を見逃すようになっています。しかしそうした瞬間が、実は私たちの日常を特別なものにしていることが多いのです」
結局は、平凡な日々を記録するほうが、特別な出来事を記録するよりも幸せな気持ちになれるという調査結果もある。たとえば、誕生日パーティーなどの写真は、もちろん大切な思い出となるだろう。だが、ナイトテーブルの上に積み重ねられた本など、何気ない光景を思い返すことの喜びを過小評価していないだろうか。
「私たちは、いまの自分にとって日常的なことは、これからもずっとありきたりなことだと考えがちです」とチャンは言う。「でも実際は、状況の変化によって、それまで当たり前だと思っていたことが突然そうではなくなるのです」
人気アプリも「何気ない日常」を記録する機能を次々搭載
ソーシャルメディア・プラットフォームも、こうした考え方を取り入れはじめている。BemeやNarrativeといった会社は、特にどうということはない日常の瞬間をとらえることに重点を置いたサーヴィスを提供していた(どちらの会社もすでに閉鎖している)。またSnapchatは、Instagramよりもリアルな日常に近い瞬間をシェアできる機能を最初から提供している。
Instagramは、素敵なライフスタイルを表現するために写真をつくり込む行為を正当化できる場所だ。そのInstagramでさえ、よりリアルなものを求めるトレンドの高まりに合わせて、「ストーリー」やライヴ動画といった機能を導入している。
だが、あまりつくり込んでいない写真の投稿をうながすこうした機能も、投稿者が写真をほかの人にシェアすることを意識しているという点で、どうしても効果が弱まる。
ウィルソンとアドルフソンは「Minutiae」で、ソーシャルメディア・プラットフォームの逆を行くようなアプリをつくりたいと考えた。ユーザーは1日に1回写真を撮るよう指示されるが、その時刻を指定できないため、実際の生活の様子がよりリアルに記録される。
また、写真のプロフィール情報はなく、写真がシェアされることも「いいね!」で評価されることもない。そればかりか、アプリを利用できる時間も1日1分に制限されている。「延々とスクロールを繰り返しても満足は得られません」とアドルフソンは言う。「無限にスクロールを繰り返す行為は、とても疲れてしまいます」
「輝いていない瞬間」を誰かと共有する面白さ
「Minutiae」でいまどきのソーシャルメディアサーヴィスの名残をとどめているのは、名前のわからないほかのユーザーの生活(撮影された写真たち)を1回に60秒間だけ垣間見られるという奇妙な機能だけだ。ユーザーは「Minutiae」を開くたびに、自分と同じように平凡な日常を撮っている世界の誰かとつながる。
このアプリを使っていて、筆者がこれまでに見かけた写真は、スウェーデンのアイロン台、カリフォルニアの夕食会、そして食べ残しをせがんでいるニューヨークの犬だった。反対に、筆者の写真が偶然表示された人は、コメディドラマ『Master of None』が表示されているノートパソコン、鏡に映った筆者の顔と背景にあるゴミ袋、バーで撮った2人の友人のぼやけた顔、それに仕事中のデスクの写真を見ることになるだろう。
「Minutiae」で撮影された写真は、退屈で謎めいたものになることが多い。しかもほとんどの場合、まったくひどい出来栄えだ。こうした写真がInstagramに投稿する価値があるかと言えば、おそらくない。だがよく考えてみれば、本当の生活がいつも輝いているはずなどないのだ。