2016年11月3日、パロマ瑞穂スタジアム。試合終了を告げるホイッスルが鳴り響くと、スタンドが静かにざわつき始める。声という声にならない、落胆、悲しみ、あきらめ、そして怒りの感情か。

「絶対に落とさないって約束したじゃねぇか! どういうこうとだよ、ふざけんじゃねぇよ。(小倉隆史)GMはどこいったぁ?」

 目を血走らせたサポーターが関係者席に向かい、怒鳴り声をあげる。それに連鎖するように、各所で野次が飛ぶ。どれも剣呑(けんのん)とした響きがある。

 もっとも、大半の人々は心配げに見守るしかない。

「今年を謙虚に反省し、1年でJ1に戻れるように......」

 久米一正社長が試合後の挨拶に立つと、読み上げたような空疎な言葉が、怒気を含んだブーイングにかき消された。

 93年のJリーグ開幕以来のメンバーである名古屋グランパスはこの日、J2に降格することが決まった。

 なぜ、名門は降格することになったのか? それはミステリーではない。

 首脳部のマネジメントが杜撰(ずさん)だった。それに尽きるだろう。

 目に見える形では、GM補佐だった小倉が監督経験なしに監督に就任、GMまで兼ねた点が際立つ。

 開幕以来、選手は「素人」監督に混乱した。奮戦すればするほど袋小路に入った。

「(田中マルクス)闘莉王と契約を更新しなかったのは、実績のあるベテランの影響力を新米監督が嫌ったから」と関係者は洩らした。発言内容の真偽は別にして、世間の目にもそう映ったことだろう。つまり、監督が統率力を発揮できなかったのだ。

 サッカー監督は、日本人が考える「監督」よりも難易度が高い。例えばジョゼップ・グアルディオラ、カルロ・アンチェロッティ、ジネディーヌ・ジダンのような「真のレジェンド」でさえ、下部リーグから監督実績を積んでいる。それもコーチではなく、決断を下す監督として。そうやって培った経験なしでは、重圧の中でまともに仕事はできない。

「敗北の落胆を読み取られる指揮官は選手の信頼を得られない」と言われるが、小倉監督は連戦連敗の中、試合後のインタビューで憮然(あるいは悄然)とした姿を見せていた。

 小倉監督は、日々のトレーニングで守備の原則すら植え付けることができなかった。チームは最多失点でディフェンスから崩壊。攻撃に関しても、頭から蹴り込むだけの試合もあって、何ひとつ手をつけられていない。

 もっとも、小倉監督は最悪のクラブマネジメントの一端でしかないだろう。

「もっと早く見切りをつけ、監督交代をしていれば」という意見は正しいが、本質ではない。小倉を監督に据える組織が、正しい監督交代のタイミングを図れるはずはないのだ。

「自分はグランパスで優勝させてもらって、(歴史や伝統を)肌で感じてきている。(降格は)悲しすぎる」

 田中マルクス闘莉王は言葉を選びながら、意味深長な発言をしている。

「もう一度、強いグランパスを作るには、全員が同じ方向に向かって手をつないで前進していかなければいけない。ただ、僕ら選手にはやれることは限られる。降格は自分の責任、力が足りなかったということですけど」

 小倉を監督に据えたのは、トップの久米社長ではない「派閥」と言われるが、ここですでに権力の分裂が起こっていた。クラブとしてのガバナンスが正常に働いていなかった。別の派閥のトップにとっては、現チームの不振に痛痒(つうよう)は感じない、という「ねじれ」が起こった。戦犯は「誰か」よりも、「クラブの体質そのもの」だったのである。

 降格が決まった翌日、久米社長は引責辞任を発表した。リーダーとして当然だろう。その流れで、ボスコ・ジュロヴスキー監督、闘莉王の退団も確定していったと言われる。

 しかし、その体質は変わらない。「かつて監督を務めたアーセン・ベンゲルに監督の推薦を依頼する」という報道も出たが、日本のトップクラブがいつまで遠い過去の栄光に寄りかかるのか。

<落ちるべくして落ちた。落ちてよかった>

 クラブが降格すると、そんな声をしばしば聞く。しかし、それは「これ以上、深刻な問題を見たくない」という半ば投げやりな心理ではないか。落ちること自体は、なんの解決にもならない。なぜなら落ちようと落ちまいと、壊死した部分を切り取って健全にしない限り、全体を腐らせるまで進行は続くからだ。事実、ジェフ千葉を筆頭に、幾つものクラブが負のスパイラルから今も抜け出せずにいる。

<降格は負の連鎖を加速させる>

 名古屋はその現実に向き合い、再出発するべきだろう。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki