学生の窓口編集部

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今年、ノーベル生理学・医学賞を見事受賞した大村智氏。しかし、大村氏が本当にすごいのは、化学者としての偉業のみならず、産学連携活動で自ら陣頭指揮をとり経営的にも成功を収めていることだ。

大村氏が学術の成果で稼いだ特許ロイヤリティ収益は250億円以上。それらを「研究を経営する」という視点で、活動の拠点としている(当時経営状態の思わしくなかった)北里研究所に還流し、再建を果たしている。

北里研究所の創立者である北里柴三郎氏は、常々部下たちに「実学の精神」を説いていた。大村氏は、柴三郎が遺したその訓示に感動し、志をたて、情熱を注いでいった。それがやがて、たくさんの貢献とノーベル賞受賞につながったのである。

大村氏を成功に導いた言葉には、私たちにも通じるものがいくつもある。

●「5カ年計画」

大村氏は山梨大学を卒業後、東京都立墨田工業高等学校定時制に5年間勤務している。はじめて担任としてうけもった生徒が卒業するまでと同じ期間だ。教え子の卒業式の際、大村氏は、かつての恩師である山梨大学の田中元之進教授の言葉を思い出していた。

「大学時代の勉強などあてにならん、社会に出てから5年間頑張れ」

大学時代に成績優秀だった人は、試験やテストで良い点をとることにこだわり、社会に出てからも、そのような点数稼ぎ的な仕事をしがちになる。しかし、それが成功につながるかといえばそうではない。

大村氏は後に「5カ年計画」という言葉をよく口にするようになるのだが、それは、成功にむすびつくやり方というのは、本当に成功するのかどうかわからないようなところから時間を割いて始めることにあると考えているからである。

●「人と同じことをやっていては勝てない」

アメリカに留学の際、資金不足にあった北里研究所たってのお願いにより、大村氏は海外の製薬会社に、研究者と企業がともに利益を得られる合理的な「大村方式」を提案して研究資金を得ることに成功している。しかし当然、製薬会社側にもメリットをもたらさなければならない。

かなりのプレッシャーであることにくわえ、当時の大村研究室のスタッフは高卒か大卒が主体で、まだ学位を持っていない人ばかりが5人のみ・・・

このとき大村氏を支えたのが、山梨大学時代にスキーを指導してくれていた伝説のスキーヤー横山隆策氏の言葉だった。

「何事も人に勝つためには、人と同じことをしていてはだめだ。ライバルを上回ることを考えてやらなければ勝てないぞ」

これにより大村氏は、独自路線で、人より先んじてやるテーマや方法を見出し、壁のようなプレッシャーを乗り越えていった。

●「志あれば道あり」

まさにこの言葉を体現してきた大村氏だが、とくに身に染みて感じたのは、北里研究所の経営再建の一環として、新しい病院建設に取り組んだときのことだ。

地域の方々にも貢献すべく、院内に絵を飾って美術館のような病院にしたいと考えていたところ、思いがけず素晴らしい絵が各方面から寄贈されてきたのである。

大村氏は、「世の中のために地域のために、病院の患者さんのために志を持って仕事をしていると、応援してくれる人たちが現れてくる。まさに志あれば道ありです」として、何事にも真摯に取り組むことの大切さを学んだという。

●「至誠天に通ず」

大村氏は色紙を書いてプレゼントすることがよくあり、その中に「至誠天に通ず」という言葉がある。

この意味を、「ある地位についたら、あらゆる努力をする。そうすれば目指したものが大体実現できる。ごまかしていい加減にやっているとだめだが、一生懸命にやっていれば必ず支援者も現れる」と、自らの経験で得た信条とともに学生に語ることも多いという。

●「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」

正しい師の下でなければ、学んでいないも同然だという意味の道元の言葉だ。じつはこの言葉は、子ども時代にそっと見たことのある、教師だった母親の日記帳の最初に書いてあった「教師の資格は、自分自身が絶えず進歩していることである」と同じ意味を持っていた。

日ごろからの自己研鑽なしには、指導・人材育成をする立場にはなれないと肝に銘じるようになった大村氏はまた、経営者としての研究を深めるなかで、経営とは人勢育成が柱になっているということを確信し言及している。

そのため大村氏は、分からないことがあれば、相手がたとえ学生であっても教えてもらう。これはまた、「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」と、口うるさく言っていた祖母の言葉を座右の銘にしているからでもある。

けっして恵まれた環境の中で学術研究を続けてきたわけでもなければ、そもそも有名大学を出たエリートでもなかった大村氏。人一倍の努力を重ねてきたことは言うまでもない。しかし、その努力を認め支援してくれた世界中の学術研究者との交流が、大村氏に着実な成果をもたらしてくれたところは計り知れない。

つまりは、人とのつながりを大切にできる、いわゆる人徳の人でもあったのだ。だからこそ、たくさんの人が彼に珠玉の言葉を与え、また、それらを真摯にうけとめ大切にできたのかもしれない。

ノーベル賞受賞後の記者会見では、「『金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上』と明治期の政治家、後藤新平が言っているように、いい人を多く残すことだ」として、賞金は人材を育成する法人に寄付するつもりでいると語った大村氏。

化学者として、経営者として、そして何より「人として」学ぶところは尽きないと言える。

文・鈴木ゆかり

※参考

大村智ー2億人を病魔から守った化学者』(馬場錬成 著/中央公論新社)