木更津総合高等学校 峯村 貴希選手「高校でも日本一の栄冠を目指す」
中学球界での素晴らしい成績を引っ下げて、今春、高校球界に挑んできた峯村 貴希選手。春季大会から背番号を付けて公式戦に出場を果たしたスーパールーキーは、秋の関東大会では、1年生ながら1番を任されるなど、初優勝に貢献。今回、そんな峯村の入学時のエピソードから、秋季大会の振り返りを伺った。
五島監督が語る峯村の長所峯村 貴希選手(木更津総合)
「入学したばかりの1年生を春季大会からいきなり使おうと思ったのは初めてですね」
これは、木更津総合の五島 卓道監督が、入部当時の峯村を評価した言葉だ。五島監督が木更津総合の監督に就任したのは98年。以降、甲子園には春夏通算で5回出場している。その前は暁星国際でも5年間指揮を執っており、今季で現役を引退した小笠原 道大選手(中日)を育てたことでも知られているが、その名将が20年を超える監督生活の中で、高校入学時点では一番の実力を持っていると認めるほどの逸材が峯村なのだ。本人は、当時のことをこのように振り返る。
「春の千葉県大会で背番号16をもらって、試合にもライトで出場させていただきました(試合レポート)。高校で初めての公式戦で、中学の頃と違って観客も多く入っていたので緊張した記憶があります。そして、そのゲームは1対3で市立松戸に負けてしまったので、自分の力不足を感じました」
とはいえ、千葉でもトップクラスの実力を誇る木更津総合で、1年生が春季大会に出場するだけでも異例中の異例。しかも、その合流したチームというのが、春の選抜大会で1勝を挙げて甲子園から帰ってきたばかりのチームだったという事実は、さらに驚くべきことだと言えよう。その峯村の長所を、五島監督に挙げてもらった。「峯村は運動能力が高くて、足が速いし、守備も堅実。でも一番良いのはバッティングでしょうね。とにかく打球が鋭い。やっぱりシニアで鍛えられただけあって、スイングが速いです」
峯村が野球を始めたのは、幼稚園の年長から。「兄が野球を始めたので、自分も一緒に成田市にある並木ペイシェンスというチームに入りました。小学校6年の時は全国大会に出場してベスト16まで勝ち上がっています」
中学時代は名門・佐倉リトルシニアに所属し、腕を磨いた。「中2の秋季関東大会で、勝てば全国大会に行けるという試合で負けてしまったんです。それで『一からやり直そう』となって、かなりノックを受けました。あの時期は、本当にきつかったですね」
[page_break:夏前の不調も自分自身で考えて乗り越える]翌年、厳しい練習の成果は結果としてあらわれる。佐倉シニアは、中学硬式野球の日本一を決めるリトルシニア日本選手権とジャイアンツカップの両大会を制し、夏の二冠を達成。このチームで峯村は1番ショートを務めた。「チームワークがとても良いチームでした。能力がある選手も多かったので、自分が打てない時は周りの選手が打ってくれました」
そう謙遜するが、ジャイアンツカップでは1回戦・和歌山御坊ボーイズ戦で2本の三塁打を放ち3打点。2回戦の生駒ボーイズ(奈良県)戦は2安打1打点。そして、準決勝の横浜緑シニア(神奈川県)戦ではサヨナラタイムリーを打つなど活躍した。「シングルヒットも長打も打てていたので、1番打者としての役目はできていたんじゃないかなと思います」
こうして鳴り物入りで木更津総合にやって来た峯村。春季大会終了後はライトからサードにコンバートされた。「この時期は打撃よりも守備練習を多くやっていました。やっぱりミスをしたら失点につながってしまいますから」
また、バッティングではセンターから逆方向へ打つイメージを大切にしている。「そうすると体が開かずに、しっかりとしたフォームで打てるので、ここが一番大切かなと思っています。あとは、体が前にいかないように気を付けていて、自分は左バッターなので、まず左足に体重を乗っけて、インパクトの瞬間に体重を前に乗せるようにしています」
とても1年生とは思えない打撃に対する意識の高さがある峯村。ここまでの活躍は自分自身、どういう打撃をするべきなのかを考えていたからであろう。
夏前の不調も自分自身で考えて乗り越える峯村 貴希選手(木更津総合)
だが、夏の千葉大会を前にスランプに陥ってしまった時期があるという。「その時は原因を探って、『ボールの見極めができていないから、打てないんじゃないか』という結論に至ったんです。そこでボール球は見逃して、ストライクはしっかりと打つことを心掛けました。そして、ちょっと詰まってしまう場面もあったので、始動を早くして、前でボールを捉えられるようにフォームを修正しました」
これで復調した峯村はレギュラーの座を離さず、夏の千葉大会は主に6番サードで出場した。「3年生は最後の夏なので責任を感じたんですけれど、ベンチやスタンドで応援してくれている3年生の方が『気楽に行け』と言ってくれたので、思い切りプレーができたと思います」
チームは準決勝で敗れたものの、個人としては打率.300(20打数6安打)、 9打点。準々決勝の成田戦では外角のボールに逆らわずレフトへ3ランも放った。「チャンスで回ってくることが多かったんですが、しっかりとランナーを返せたところは良かったです。ただ、ピンチの場面で、守備の一歩目のスタートが上手く切れなくてミスをしてしまったことがあったので、そこは反省したいです」
[page_break:自分は1番バッターが合っている]8月に新チームが結成されると、峯村の守備位置は本職といえるショートになった。木更津総合のショートといえば、甲子園でもホームランを放った檜村 篤史(2015年インタビュー【前編】 【後編】)が今夏まで守っていたが、その檜村は現在も練習に参加している為、アドバイスをもらうことも多いという。「檜村さんは打球の判断が早いので守備が上手いんです。自分はショートバウンドの感覚がまだ掴めていないところがあるので、練習の時にグラブの出し方などをアドバイスしてもらっています」
五島監督もこの二人を比較して「守備はやっぱり檜村が上手い。峯村もエラーはしませんが、前へ出てくるのがもうちょっと早くなればいいですね」と言明する。「でも、檜村は足が使えなかったんですけれど峯村は速いですし、バッティングも峯村の方が良いんじゃないですか」と見込んでいる。ただ、監督の理想はもっと高いところにあった。「峯村には凄みが出てきてほしいですね。彼は真面目で謙虚。そこが良いところなんですが、ゲームになったら自信を内面から溢れ出させて、オーラのようなものを感じさせてくれるような選手になれば、相手チームも嫌がると思います」
自分は1番バッターが合っている峯村 貴希選手(木更津総合)
能力を認められているが故に、それだけ期待も大きい峯村。今秋の千葉県大会では、地区予選では6番を打ち、拓大紅陵戦(試合レポート)で本塁打を打つものの、まだバッティングの調子は今ひとつだったが、県大会後、打順が1番になってからは成績も上向きになった。「1番は、中学時代から打っていたのでやりやすいですね。決勝の千葉明徳戦ではたくさん出塁できて、後続のバッターもどんどん打ってくれて。その結果、チームに流れが来て大量点が取れ、良い仕事ができました。だから、今は1番打者として四球でも死球でもいいので『絶対に塁に出よう』という気持ちが強いです」
12対1の大差で千葉明徳を下し優勝した木更津総合は、2年連続の選抜大会を目指して関東大会に臨むことになった。関東大会前、意気込みを聞くと、「関東大会はレベルの高いチームが集まっているので、守備でミスをしないようにしたいです。バッティング面では、時間の許す限りティーバッティングをしたり、素振りをしたりして、とにかく振っておきたいと思います」
関東大会では1回戦で桐光学園、準々決勝では花咲徳栄と名門校と対決。レベルの高い投手たちと対戦を重ね、関東大会初優勝を経験し、中学時代同様、峯村は高校の舞台でも、1つの栄光を掴んだのであった。そしてさらにレベルの高いチームが集まる明治神宮大会も経験。大阪桐蔭戦ではエース・高山 優希から先頭打者本塁打を放った。ここまでの経験がすべて峯村の糧となっている。
秋から中学時代に慣れ親しんだ打順と守備位置に戻り、既に高い力量を見せてはいるが、五島監督が惚れ込む素質が今後どこまで伸びていくのか。ここまで培った経験、そして木更津総合伝統の厳しい冬で実力を蓄え、中学時代に果たした日本一を目指して、来春、大爆発を誓う。
(取材・写真/大平 明)
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