楽天を引退した斎藤隆【画像提供:東北楽天ゴールデンイーグルス】

写真拡大

山本昌を筆頭にベテラン選手が相次いで引退を表明

 プロ野球ドラフト会議が10月22日に行われる。昨年は81人のアマチュア選手がNPB球団と支配下契約を結んだ。今年は高校生、大学生合わせて158人がプロ志望届を提出。社会人選手も含めて注目選手は多く、新たなプロ選手の誕生に期待が膨らむ。

 しかし、その裏でプロ野球の舞台を去る者もいる。特に今年は一時代を築いた名プレイヤーが数多く引退した。

 50歳まで現役を続けた山本昌を筆頭に、40代の選手が次々と引退を発表。今季開幕までのNPB球団所属の年長選手のうち、上から8人が現役を退くことになり、9番目に年齢が高かった三浦大輔(DeNA)、また三浦よりも誕生日が1日遅いだけの松中信彦も所属先が決まれば、来季、NPB最年長の42歳でシーズンを迎えることになる(※42歳の中村紀洋内野手は現役引退を表明せずも現在所属なし)。これまでに類を見ない世代交代の嵐と言えるだろう。

 2015年、惜しまれつつ引退した名選手たちを、改めて振り返ってみたい。

○投手

山本昌】中日
581試合219勝165敗5セーブ0ホールド、2310奪三振、防御率3.45

 1986年から中日でプレーした左腕も、ついに32年の現役生活に終止符を打った。

 90年代には最多勝3度。94年には沢村賞を受賞するなど中日の投手陣を牽引した左腕は、2000年代も5度の2桁勝利と衰えを見せず、06年には41歳でノーヒットノーランを達成。強豪中日の戦力であり続けた。

 しかし、10年代に入るとさすがの左腕もシーズン5勝が最多と限界が近づき、今年は23年続いていた連続勝利も継続できなかった。

西口文也】西武
436試合182勝118敗6セーブ3ホールド、2082奪三振、防御率3.73

 00年前後に西武のエースとして活躍した男も現役を引退した。

 2年目に16勝(10敗)を挙げた右腕は、3年目の97年に15勝(5敗)でチームをリーグ優勝に導き、沢村賞とMVPを受賞した。

 その後も2002年まで7年連続2桁勝利を挙げた右腕。2度、あと一人でノーヒットノーランを逃し、9回まで完全試合をしながらも味方が得点できずに延長に入り記録が潰えるなど、大記録を目前で達成できなかった不運もクローズアップされることが多かった。

 そんな西武の顔も40代に入り、球威、キレの衰えは隠すことが出来ず、ここ3年は未勝利に終わっていた。

米国でも活躍のベテラン、名捕手も引退…

【斎藤隆】横浜-ドジャース-レッドソックス-ブレーブス-ブリュワーズ-ダイヤモンドバックス-楽天
(MLB)338試合21勝15敗84セーブ40ホールド、400奪三振、防御率2.34
(NPB)403試合91勝81敗55セーブ14ホールド、1331奪三振、防御率3.75

 メジャーで最も成功した日本人リリーバーの1人である右腕が今年、地元東北でユニホームを脱いだ。

 斎藤は入団2年目の1993年に横浜で先発ローテーションに入り、主戦投手として活躍。1998年には13勝(5敗)を挙げ、チームを38年ぶり2度目の日本一に導いた。1999年も14勝(3敗)を挙げエース級の活躍を見せると、2001年には守護新に転向し27セーブ。リリーバーとしての適正も見せた。

 すると、2006年から渡米し、マイナー契約から這い上がってドジャースでもいきなり24セーブを挙げ、守護神として君臨。2007年は39セーブを挙げた。これは2001年に佐々木主浩(マリナーズ)が挙げた45セーブに次ぐ日本人投手2位の記録となっている。

 リリーバーとしての地位を築いた男は、42歳となる2012年までMLB5球団を渡り歩き、マウンドに立ち続けた。

 2013年からは大学時代まで過ごした地元仙台に本拠地を置く東北楽天に入団。2年連続で30試合以上に登板し、いずれも防御率2点台と結果を残していた。

 そんな右腕も10月4日に最後のマウンドを終え「私の体は限界です」と言葉を残してユニホームを脱いだ。

【高橋尚成】巨人-メッツ-エンジェルス-カブス-ロッキーズ3A-横浜
(MLB)168試合14勝12敗10セーブ13ホールド、221奪三振、防御率3.99
(NPB)261試合79勝73敗15セーブ5ホールド、1069奪三振、防御率3.79

 2007年に14勝(4敗)で最優秀防御率、最優秀投手に輝きリーグ優勝に貢献。NPB通算79勝の実績を引っさげ、35歳となる2010年に渡米。メッツでの初年度は先発、中継ぎ両方をこなし10勝(6敗)を挙げるなど活躍し、エンゼルス、パイレーツと渡り歩きながら3年連続で50登板以上とブルペンを支えた。

 しかし、2013年はカブスで3試合の登板に留まると、翌年にNPB復帰。DeNAで先発の一角を期待されたが、2年間で1勝も挙げることは出来ず。かつての巨人のエースも、横浜の地でユニホームを脱ぐ決断をした。

 また、今年は楽天は球団創設時からブルペンを支えた小山伸一郎投手が引退。2009年に13勝し、岩隈、田中と「3本柱」を形成した永井怜投手も怪我と不調が重なり、引退を表明した。

 日本ハムは巨人時代の2003年に新人王を獲得し、3度2桁勝利を挙げた実績を持つ木佐貫洋投手が引退を発表した。

○野手

【谷繁元信】横浜-中日
3021試合2108安打、229本塁打、1040打点、打率.240

 今年、プロ野球記録を更新する3021試合出場を果たした名捕手も現役を引退した。

 1988年のドラフト1位で横浜大洋に入団すると、89年には早くも80試合に出場。94年に初めて規定打席に到達するなど徐々に正捕手の座をものにし、1998年は斎藤隆、佐々木主浩、三浦大輔らをリードし、38年ぶり2度目の日本一の栄冠を掴んだ。

 2002年からは中日でプレーし、チームを4度のリーグ優勝に導くと、昨年からは選手兼任監督を務めていた。

【中嶋聡】阪急-オリックス-西武-横浜-日本ハム
1550試合804安打、55本塁打、349打点、打率.232

 阪急では山田久志、オリックスではイチローらとプレー。西武では松坂大輔の球を受けるなど、5球団で扇の要を担ってきた男も選手としての引退を表明。

 実働29年は工藤公康が持つ現役最長記録タイ。晩年は“抑え捕手”としてのプレーが続いていたが、ついに捕手人生に終止符を打った。

2000本安打、通算打率3割を誇る好打者が相次いで引退

【和田一浩】西武-中日
1968試合2050安打、319本塁打、1081打点、打率.303

 通算打率3割超えの好打者は、まだまだやれそうなままユニホームを脱いだ。

 1996年ドラフト4位で西武に入団。捕手としての入団ながら打撃を買われ、野手に転向すると、2002年から3年連続30本塁打。2005年には首位打者を獲得するなど打線を牽引した。

 2007年オフにFA権を行使し、故郷である岐阜に近く、以前から愛着のあった中日に入団。新天地でも3年連続3割を記録し、2010年にはMVPに輝く活躍でチームを日本一に導いた。

 今年6月に2000本安打を達成。その後も50本のヒットを積み重ね、まだまだ代打としてなら十分にやれるという声も根強く残っている。だが、引退試合では「ドラゴンズファンに戻って、ドラゴンズの優勝を夢見ながら応援したい」と、ドラゴンズ愛を語った。

【谷佳知】オリックス-巨人-オリックス
1888試合1928安打、133本塁打、741打点、打率.297

 オリックスの谷は2000本安打目前で引退を決断した。

 1996年、ドラフト2位でオリックスに入団。1999年にはベストナイン、2001年にはシーズン最多二塁打52本の日本記録を樹立。2002年は盗塁王、02、03では2年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得するなどパ・リーグの顔の一人として活躍。

 巨人でも外野の一角として活躍したが、昨年に古巣オリックスに復帰していた。2000本安打にあと72本と迫りながらも、出場機会を掴むことが出来なかった42歳。それでも通算打率.297が好打者としての価値を証明している。

【小笠原道大】日本ハム-巨人-中日
1992試合2120安打、378本塁打、1169打点、打率.310

 球界一のフルスインガーも、チームメイトの和田とともに引退した。

 1996年にドラフト3位で日本ハムに入ると、3年目からレギュラーに定着。2002年からは2年連続首位打者で球界を代表する打者に成長し、チームが北海道移転後の2006年にはチームを日本一に導いて、MVPに輝いた。

 2007年から在籍した巨人でも4年連続3割をマークしたが、2011年から成績を落とし、ここ2年間は中日で代打の切り札として存在感を見せていた。

 また、阪神は19年間、サード、セカンドを中心に内野の万能プレイヤーとして活躍し、近年は代打の切り札として活躍していた関本賢太郎内野手が引退。また13日には藤井彰人捕手が引退を発表した。楽天時代には岩隈久志投手(現マリナーズ)の専属捕手としても活躍し、08年に最優秀バッテリー賞も受賞した。

 西武では小笠原らとともに2006年の日本ハム日本一に貢献した森本稀哲外野手が引退を表明。オリックスでは小柄ながらガッツ溢れるプレースタイルで人気を得ていた平野恵一内野手が現役を退いた。広島でも2008年、2009年にベストナインを受賞した東出輝裕内野手が引退を表明している。

 稀に見る大物の引退が相次いだ2015年だが、大谷翔平、藤浪晋太郎ら若き球界のエースたちの台頭を筆頭に、プロ野球は新たなスターが時代をつくっていくことが予想される。

 そして、現役を退いた名プレイヤーたちは今後も球界に携わるケースも多いだろう。新たな時代の到来と、レジェンドたちの第2の人生にも注目したいところだ。