相手に誤解されないように毒親のことを伝えて理解してもらうには、どのように説明すればいいでしょうか(写真:deeepblue/iStock)

※ミセス・パンプキンへの人生相談および、家族関係や親子問題のお悩み相談専用メール、専用サイトで受け付けています。質問は400字以内でお願いします。回答は既出の相談と内容が被らないものを優先し、本連載で掲載します。

私の親は毒親です。暴力はありませんでしたが、いつもヤクザのように怒鳴り散らし、人格を否定したり陰湿な陰口が口癖で、ずっと精神的な虐待を受けてきました。
私は今後、親とはかかわらずに生きていきたいと思っていますが、いちばんの悩みはこれから私に、真剣に付き合いたい人ができたとき、親のことを、どのように伝えればよいかということです。
最近母親が病気で亡くなりました。周囲の人は、母は父から受けるストレスが原因で、病気になったと言っています。それであの人(父のこと)の傍に怒鳴り散らす相手がいなくなったのを機会に、もう私にも付きまとわないでほしいと伝えたら、逆に「虐待だ」などと言い始めました。
何を話しても通じない人とは、かかわらずに生きていきたいと思っています。相談ですが、これから私がかかわっていく人たちに、家族のことを聞かれたら、正直に毒親だと伝えたほうがいいでしょうか。もし言ったら私まで面倒がられ、巻き込まれたくないと思われて距離を取られたりしないのでしょうか。
よい相手ができたときに必ず家族のことを聞かれると思いますが、毒親だから私はかかわりたくないと言ったら、私自身が冷たい人間だと思われて、離れていきませんか。相手に誤解されないように毒親のことを伝えて理解してもらうには、どのように説明すればいいでしょうか。
毒親の下に生まれなかった普通の人はこんなことで悩んだりしないのだろうなと思うと、つらくて何て運が悪いのだと考えてしまいます。そんなこと考えずに早く明るくて優しい人と幸せになりたいです。そのためにも周りへの毒親の説明の仕方を教えてほしいです。
田山(仮名)

パートナーには包み隠さず話すほうがいい

本連載には、実の親との付き合い方に関する悩み事も多く寄せられます。本件もよくあるケースで、端的にいえば、毒親との関係断絶はしたほうがよく、かつパートナーには包み隠さず話すほうがいいと思います。


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論点は親が毒親であることを説明することで自分まで面倒な人と思われないような伝え方、そして意中の人には、親とかかわらない生き方が、冷たい人間だと思われて振られる原因にならないような伝え方ですね。

親御さんがいわゆる“毒親”であることを吹聴する必要はありませんが、基本的にはオープンにするほうが楽な生き方ができるというのが、私の考えです。

江戸時代に作られた習慣の「村八分」(冠婚や病気見舞いなど、10ある交際の中で8つを集団で仲間外れにしたこと)でさえ、2分の交際は残しました。葬儀と火災時には総出で力を合わせたのです。

いくら今日、個人が尊重される時代になったとはいえ、人間関係の最小単位である親子が冠婚葬祭も病気見舞いもすべて絶縁とするには、相当な理由があるときだけだと、私は考えます。

しかし親からの虐待などは、この「相当な理由」に入り、そのような親との絶縁は、冷酷でもなんでもありません。

田山様の母上が、父上から受けるストレスが原因で病死したと周囲の人も言っておられるのであれば、父上との絶縁は、単なるあなたの薄情やワガママでないことは十分に察することができます。

絶縁しないとストレスで自分が病気になってしまう

と申しますのも、私の周囲でも昔から、配偶者や同居人のひどい暴言や性格で何十年もストレスを受け、すっかり精神的に参って免疫力が落ちたのか、ストレスで自分の深刻な病気に気づく間もなかったのか、とうわさになった、若くして逝った人を何人か見てきたからです。

ですからそのような、日常的に他者を破壊するしか能のない人とは、それが目に見える暴力でなくとも、我慢して付き合うのは危険なのです。そのような家族とは絶縁しても、冷酷人間でも何でもないと、まず自信を持つべきです。

最近は、家族が不仲であることをオープンに話す人が増えたように思います。それ以前は不仲をひたすら隠し、仲良い家族を装う人のほうが一般的でした。

これは背景に、家族のもめ事など、どこにでもある話で、特別恥でも何でもないことに、人々が気づき始めたのも一因であるように思います。

そして「家」よりも「個人」が重視される時代にあっては、家族がもめていても、さほど個人的な付き合いには影響しなくなりました。過度に敏感にならないほうが、自然に振る舞えるものです。

一方が極端に性格が悪いか欲深いなどの理由で、家族と仲良くやっていく意思のない人は確かにいます。このような人が引き起こす家族間のトラブルは、独りよがりか因縁をつけているに等しいことが多く、ゆえに話し合いや説得で改善するのはほぼ無理なのです。だからこそ付き合わされるほうはひどい場合は、付き合うだけでストレスが高じ、心身を壊す事態になるのです。

ところで昨今、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式に、家族の不和をオープンに話す人が増えてきたと感じます。「家族仲は悪かった、それがどうした」式の私小説やエッセイも、受けています。

家族仲が悪いという理由で交際を避ける人がいれば、こちらから願い下げるくらいの構えでいいと思います。無理に隠すほうが、ほころびが出るものです。

真剣に付き合う人や、結婚を考えている人には、親の恥をさらすとは考えず、詳しく説明するほうが誠実だと思います。あいまいにすると、あとで誤解のもとになったりだまされたともめる場合があるからです。

小さなウソを端緒に大きく発展するトラブルは、数えればきりがありません。それであなたまで面倒がられるか、あなたをより理解してくれるかは、相手次第です。

犬猿の仲だった親子が和解するケースもある

志賀直哉は『和解』で、父親とそりが合わず、険悪な状態が続いた著者が、父親と和解していった過程を詳しく描いています。絶対に和解はありえないと思えた親子でしたが、和解した後の当人や周囲の喜びは、尋常ではありませんでした。

私も実際に、何年にもわたり犬猿の仲だった親子や兄弟が和解した事例を、いくつも見てきました。年を取ると、自分ファーストだった人でも、肉親を求めるようになるのは珍しいことではありません。他者の仲介などで肉親の情が復活するのですが、それはいつも他人目線でも、理屈を超えた感動的なものでした。

というわけで、肉親でも他人同士でも、仲が良いことは何かにつけていいことずくめです。それであなたも、「今は絶交するが、状況次第ではいつでも受け入れる」という構えのほうが気が楽になり、将来も柔軟な対応ができるのではないでしょうか。

最後に再び、ご質問への回答を強調します。一方が大きな犠牲を強いられる仲なら、たとえ親子でも無理する必要はまったくありません。他方で、信頼するパートナーには下手に隠さずオープンに伝えることが大切、ということをお伝えしたいと思います。