記者会見する関西学院大アメリカンフットボール部の小野宏ディレクター(左)。右は鳥内秀晃監督(5月26日午後、兵庫県西宮市、写真:共同通信)

5月6日に起こった日本大学(日大)アメフト部の選手による悪質なラフプレーによって関西学院大学(関学)の選手が負傷させられた問題は、日大のずさんな対応もあり、「日大バッシング」の様相を呈している。では、対する関学の対応はどうなのだろうか。

関学は前日の25日に送られてきた日大からの回答書を受け、26日土曜日に3回目の説明会見を開いた。この日の会見も過去2回の会見と同様、鳥内秀晃監督、小野宏ディレクターによってスムーズに進行していった。

開始前に記者たちに資料を配り、はじめに会見の主旨を説明。続いて資料に沿って日大が提出した回答文への疑問点・矛盾点をひとつひとつ指摘。最後に関学からの主張と要望が出された。関学からの見解は予想通り、日大からの回答を「誠意ある回答として受け取ることはできない。これ以上の問答は平行線をたどる」と日大を再び非難する内容だった。

被害者の父は加害者学生の減刑を嘆願

この後、被害者の父親である奥野康俊さんが会見。加害者学生の謝罪は受け入れるとしながらも、「日大の対応は未だ矛盾と疑念があり、憤りを感じる。真実を明らかにするために、日大アメフト部の内田正人前監督と井上奨コーチに対して警察へ被害届を出す」という意思を示した。一方で、加害者である日大選手の名前がないと届けを受理してもらえないことから、同時に日大選手の減刑の嘆願書を提出するという異例の対応を説明した。

関学側の説明会見は、説明、進行、質疑応答のいずれも整理された回答となっており、集まったメディア各社を十分に納得させた。危機管理広報としての評価なら満点に近い対応だろう。

それに対して日大の対応は、内田正人前監督、井上奨前コーチ、さらには大塚吉兵衛学長も会見の内容が不十分でお粗末だったと非難されている。特に23日に行われた内田前監督と井上コーチの会見は、あまりにも準備不足であり、行き当たりばったり的な回答に感じられた。

通常、会見にのぞむ際は、事前に記者からの想定質問を考えて、その模範回答を作っておくものだが、当日、彼らの手元にそれらしき物はなかった。そのためか、質疑応答の際に、監督が記者の質問とはズレた回答をしたり、「信じて貰えないかもしれませんが」という幼稚な自己弁解を繰り返したりすることに終止した。

それが日本を代表する大学の一つに属する教育者の姿とは信じられないほどだった。結果、世論や記者達の不満はさらに高まってしまったわけだ。

そうしている間にも、問題はアメフト部同士の問題に留まらず、日大そのもののガバナンスの問題にまで拡大しつつある。学長会見では、日大に長きにわたって君臨し、スキャンダルも多々ある元相撲部の理事長を引きずり出そうとする記者の発言も出た。

こうなってくると、今後世間やメディアは、日大のあらゆる問題を指摘してくるだろう。

日大はもはや、信用やブランドの毀損を食い止められないところにまで追い込まれてしまったといえるだろう。関学の3回目の会見後には、さすがにまずいと思ったのか、珍しく迅速に日大広報から紙面でのコメントが出た。その内容は「厳しいご批判に甘んじてお受けします」と、ある意味開き直りとも受け止められるコメントだった。

日大はもう何をしても非難される。一連の日大の対応は、広報スキルの事例としては、過去最悪級として歴史に残るに違いない。

危機管理への認識と対応が明暗を分けた

関学の信用や世間の評判は上がり、日大のそれは下がる一方と、まったく別方向に分かれてしまった。そして実際の加害者の日大選手は、みずから行った謝罪会見を機に、悪評をくつがえし、正直に語った勇気ある青年であるという評価を得て、全国から激励や、被害者から罪の軽減の嘆願書が出るまで信用を回復しつつある。加害者学生もまた、専門知識を持つ弁護士と事実確認を整理し、わかりやすく説明する練習など、十分な準備をした上で会見に臨んだ結果だろう。

日大、関学、そして加害者学生という三者の立場は、時代とともに高まる「危機管理」への認識があるかどうかによって、明確に分けられたのである。

実は大学というのは、社会経験のない若い学生達が在籍しているため、日頃から多くの問題が発生しやすい。危機管理アドバイザーである筆者がアドバイスをしてきた地方の小規模な大学でも窃盗、薬物、飲酒などの問題が何度か発生している。ましてや日大ほどの何万人と学生が在籍するマンモス大学なら、なおさら問題の発生件数は多くなるはずだ。

関学にしても同じで、過去に学生がさまざまな問題を起こしてメディアに取り上げられているのは、関西在住の人間なら記憶に残っているはずだ。どんなに準備をしていても問題は発生してしまう。これ自体は仕方ないことだ。

肝心なのは、問題が生じた時の対応だ。その後の対策によって、失った信用回復までの時間が全く変わってくる。対応が早ければ早いほど傷は浅くてすむ。対応が遅れれば遅れるほど、傷は拡大、悪化し、最悪の場合は致命傷となってしまう。だからこそ危機管理広報にたずさわる者は、問題発生時の初動の早さを重要視している。

私たち危機管理広報の仕事で、初動というのは発生した問題に対する関係者やメディアの動揺や騒ぎの沈静化である。ケガで言えば応急処置の止血のようなものだ。騒ぎを収めたら、次は問題の根本的解決に入る。いわば傷の治療である。そのために問題が発生した経緯や原因を正しく調査し把握する。原因がわかったら再発しないよう、再発防止策を考えて実行するよう関係者全員に徹底する。

おおよそ、以上のような流れで筆者はアドバイスをしている。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」でいいのか

それでも現場では、問題が起こった瞬間は、どうしたらいいのか分からずうろたえる。筆者の経験から言えば、最初はアドバイスどおりに動いてくれるが、ひとたび問題が沈静化したとたん気が抜けて気が緩むケースが多い。

突発のアクデントの場合、長く緊張感が続くので仕方ないことなのだが、「これから原因を追及して、同じ事を2度と起こさないよう再発防止策を考えましょう」という段階になると、緊張感はまったく無くなる。やはり「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。人は楽なほうに行きたくなり緊張感を失せさせたくなるのかもしれない。

大学は少子化で生徒が集まらないと嘆きつつ、攻めのブランディング作りや広告宣伝には必死になっても、守りの危機管理広報はまったく担当者がいないというケースも少なくはない。一昔前の広報なら、単に問い合わせの対応、広告宣伝、プロモーション活動など、仕事の内容も今ほど広くなく、宣伝やプロモーションという華やかなイメージが先行して人気職種だった。

しかし今はひとたび問題を起こすとSNSを通じた拡散も早く、心ない誹謗中傷が殺到する。メディアの種類も多くなり、広報にとって不祥事の記者会見場は修羅場となる。コンプライアンスも厳しくなり、ハラスメントや多様性、働き方改革など、新たに対応する場面が増加している。広報の仕事は華やかできれいなものだけではないのだ。

筆者は以前、私立大学の危機管理勉強会で、いろいろな事例を出して大学における危機管理広報の必要性について話をしたことがある。参加者は「大変参考になった」と言っていたが、おそらく持ち帰って実践した大学はないだろうと思っている。なぜなら日本の大半の私立大学の広報は、予算も人員も無く、総務業務の一部としてやっていることもあり、ましてや経営トップがみずから旗を振って危機管理広報の構築にまで気が回らないであろうからだ。

経営トップもまた、問題が起こらない限り、そんなことに時間も予算も使ってはくれないのが現状だ。ただ現在ブランディング的に成功している一部の大規模な大学は、危機管理広報もうまくやっていると思う。大学の中には、トップ直轄で積極的に広報活動に取り組む学校も増えてきた。

そんな中で、伝統ある日本一のマンモス大学である日大の広報が、あれほどお粗末だとは驚いた。また広報の責任者は内部と外部の正当な関係を繋ぎ、常に客観的に物事を見て判断し、たとえそれが自分たちにとって不利益になろうとも、法律に反すること、人の命に関わること、反社会的勢力に対する事に関しては、トップを説得して世間に謝罪せねばならない。

今回の日大の案件も、一歩間違えれば人の命に関わることである。組織のトップが何と言おうと、まず即座に謝罪を促すべきだった。それができずに余りにも遅れたために、致命的な所にまで追い込まれてしまった。もし仮に、同大学広報の危機管理意識が高く、初動が早ければ、アメフト部同士での和解が成立し、学生個人が世間に顔出しで晒し者になることはなかっただろう。

広報が機能しない「なれ合い」や「甘さ」に要因

これは、まさに広報が機能しない日大のなれあいの組織人事や危機に関する認識の甘さに要因がある。

ちなみに関学の小野ディレクターは26日の会見で「この案件は発生した最初からスポーツの安全性、指導者の指導のあり方からかけ離れていると認識していた」と述べており、彼の危機管理に対する認識の高さを示している。小野氏は元朝日新聞記者という経歴を持つ。関学OBとはいえ、記者会見を混乱なく仕切れたのは、メディアの裏側を知るちゃんとした経歴の人を積極的に採用して、危機管理広報を構築していたからである。

大学など学校法人における広報活動は、生徒集めなどの宣伝に偏りがちだ。しかし、こうした重大な問題が発生した場合に、できるだけ毀損を最小限に食い止め、学生と大学組織を守っていくスキルも欠かせない。危機管理のスキルアップが求められているのである。