日本大学アメリカンフットボール部の反則問題を巡り、開かれた記者会見=5月23日夜、東京都千代田区(写真:共同通信)

本記事は隔週火曜日に「コミュニケーション力」に関するコラムを書いている岡本純子さんによる番外編コラムです。

日本中の注目を集める日本大学アメリカンフットボール部の危険タックル問題。危機管理の世界では「不始末よりも後始末」ともいわれ、不祥事そのものを防ぐことも重要だが、起きた時の対応こそがもっと重要であるというのが常識だ。

ところが、これでもかという「最悪の後始末芸」を次から次へと繰り出し、「燃料」を投下し続ける日大側の対応には、驚かざるを得なかった。まさに日本の危機管理広報の歴史を塗り替える「大炎上」事案へと発展したといえるだろう。

すべてにおいて後手後手の対応、トップがコーチや選手に責任を押し付けてほっかむり、ピンクのネクタイ、相手の大学名を言い間違える、そして、司会者の木で鼻をくくった喜劇的な対応・・・、日大側の対応はツッコミどころ満載だ。

多くの人々の義憤を誘う格好になったワケ

ただし、こうした切り口からの分析は他の記事(参考:日大は、どこで判断を間違えてしまったのか)でも行われているので、本稿では細かく触れない。しかし、なぜこうまで注目を集めるのか。

そもそも、発端としての反則プレーが、動画という形で残され、何十回となく人々の目に投影され続けたことに加え、上記のような様々な致命的なしくじりが重なったこともある。

さらに、 危険タックルを行った日大選手(以下「加害選手」)の会見と翌日の日大側の会見が、あまりにも対照的だったことも人々の心証に影響を与えたことだろう。

加害選手は潔く非を認め、自ら実名と顔を出して、誠実に事実関係を説明した一方で、昭和枯れすすき世代の日大トップ層は必死になって悪あがきを続けているーーというわかりやすい構造が多くの人々の義憤を誘う格好になったのだ。

今回、筆者が注目したのは、この事件の根幹にある、体育会系部活にはびこっている「コミュ障(コミュニケーション障害)風土」である。選手やコーチ、監督の会見から浮かび上がってきたのは、まっとうな意思疎通とは呼べない、絶望的に「言語不明瞭」なコミュニケーション不全の実態だ。

日本では学生の部活にとどまらず、スポーツ界全体に、上意下達的な「絶対服従」文化がまだまだ根強い。多くの競技において、日本の企業同様、監督(→コーチ)→選手といった、「命令」「指示」という「シャンパンタワー」のような一方通行のフローしかなく、下から上、横同士といったコミュニケーションの仕組みはぜい弱だ。

今回、加害選手が会見で、「監督とは話をする機会がない」と吐露していたことにも驚かされた。監督の意図をコーチが「忖度」し、選手に伝えるという作法だったのか、そもそも、監督が一方的に話をするだけで、「対話」をする機会が全くないことなのか、はわからない。しかし、いずれにせよ、監督と選手の間ではまっとうにコミュニケーションが成り立っていなかったことは間違いない。

青山学院大学陸上部の原晋監督はこうした「強権的なカルチャー」に異論を唱え、「コミュニケーション重視」の指導で実績を上げている(参考記事:青学・原監督の「コミュ力」は何がスゴいのか)。徹底した対話により、選手本人に問題を気づかせ、自主性を芽生えさせるというやり方だ。

その一方で、「恐怖」「恫喝」「威圧」で選手を支配する日大アメフト部のような前時代的なスポ魂手法もまだまだ健在だ。命令によって髪型を坊主にさせるなど陰湿な行為はまさにパワハラそのものといえる。「変わらない限り、試合にも練習にも出さない」「(対戦)相手のことを考える必要はない」などと説き、そうしたスパルタニズムに耐えたものだけが、試合に出られる、レギュラーになれる、といった超マッチョ信仰は反吐が出るほど醜悪だ。

これは日本の組織全体に言えることだが、ほとんど、意味を成さず、具体的な行動の喚起に結びつくことのない抽象語を多用する土壌もある。コーチや監督からは「やる気が足りない」「闘志が足りない」「思い切って行け」「必死にやれ」という指示があったようだが、「やる気」「闘志」「思い切って」「必死に」と言われて、具体的に行うべきことを想起できる人はいないだろう。ニンニク注射を打て、という意味に取ることもできるし、自分の両ホホを平手打ちして鼓舞しろ、というふうに捉えることもできる。要するに、具体的な意味を持っているわけではないのだ。

恐怖下に置いた選手をマインドコントロール

抽象語の極めつけは、内田監督も多用する「しっかりとやってくれ!」といった指示である。この「しっかり」、日本人が大好きな「よろしく」同様、英訳しにくい。あいまいで、いかようにも解釈されうるからだ。

このように、具体的なイメージが脳裏に浮かぶことのない、ふわふわした精神論、根性論的な言葉のシャワーの中で、「クオーターバックをつぶしてこい」という指示は明らかに生々しく、具体的で、異質だ。

いかに、「(相手チームの選手を傷つけろというような)意図はなかった」と強弁したところで、その後、反則を犯した加害選手を諫めるでもなかったコーチや監督の言動を見れば、まさに、文字通り「ぶっつぶせ」という指示以外の何物でもなかったことがわかるし、恐怖下に置いた選手をマインドコントロールしていたことは明々白々だ。

アメフトはコンタクトスポーツの中でも特に、動きが激しく、荒々しいこともあり、アメリカでは非常に人気の高いスポーツだ。ところが、近年は、その安全性を問う声も高まっており、若年層の競技人口の減少が危惧されている。

そのために、アマチュアプレイヤーやそのコーチの育成に力を入れており、推進団体である「USA Football」がコーチ向けに作ったハンドブックがある。その中で、いかにこのスポーツにおいて、コミュニケーションが大切であるかが説かれている。

「コミュニケーションは(一方通行ではなく)双方向であるべきだ」「具体的な言葉を選べ」など、日大の指導者たちが、意に会することは全くなかったであろう、選手とのコミュニケーションに関するアドバイスがずらりと並んでいる。

留意すべき「10のポイント」とは?

参考のために、このハンドブックで紹介されている、スポーツを指導するコーチ、教育者として留意すべき「10のポイント」に触れておこう。

1:指導者が「言うこと」「すること」はすべて、コミュニケーションととらえられることを理解しておかなければならない。

2:シチュエーションに応じて、どういったコミュニケーションが有効かを熟知しておく必要がある。

3:全てのコミュニケーションは、相手の解釈に委ねられる。意図したところとは違う形で捉えられることがあることを理解しておくべきだ。謙虚さはカギとなる。

4:自分なりの声を見つけ、真摯に、コミュニケーションをとろうと努力するべきである。

5:コミュニケーションスキルを高める努力は常に怠ってはならない。

6:自分のおかれた環境を読み取り、自分の伝えるべきメッセージがなんであるかを見極める。

7:何が言葉にされたかより、実際に何が伝わったかのほうが重要であることに気づかなければならない。

8:耳だけではなく、目と心で相手の話を聞くべきである。

9:本当に自分が思うところを本気で伝えよ。

10:コミュニケーションは、それが行われた時点で取り返しがつかないことを肝に銘じておくべきである。

この10カ条をことごとく無視した結果、日大アメフト部の今があると言ってもいいだろう。

大相撲、女子レスリング・・・。スポーツ界の深奥に隠されてきた不祥事の相次ぐ露呈は、「根性論」「精神論」に依拠する「コミュ力」なき組織運営が限界値に達していることを意味する。スポーツにおけるコミュニケーションのあり方を根本から考え直す時が来ているのではないだろうか。