『最後の世襲名人・伊藤宗印の曾孫』

 かつて、将棋の名人位は世襲だった。慶長17年(1612年)に幕府が俸禄を与えたことから家元制となり、“名人” の称号が生まれた。

 初代は、一世名人・大橋宗桂。明治に入り、家元制度がなくなるまで、世襲制による11人の名人が襲位した。

 4人の名人を輩出した大橋家。二世名人・大橋宗古の娘婿である三世名人・伊藤宗看が興し、5人の名人を出した伊藤家。2人の名人を生むが、明治期に途絶えた大橋分家。

 この三家から、代々名人が選ばれていた。

 静岡県在住の井岡伸行さん(67)は、八世名人・九代目大橋宗桂の曾孫の曾孫だ。

「曾祖父の四女が、私の祖母です。私は脱サラして、29歳から飲食店を営んでいます。将棋は一切やりません。大橋家の古文書には借用書が残っていて、家元を続けるために生活に苦しんでいたようです。拝領地を貸しても、お金が足りなかったと伝わっています。

 “苦しい生活をしてまで、将棋はやるべきでない”という思いからか、祖母も母も将棋を教えてくれませんでした。でも、京都にある大橋家の墓には、毎年お参りしています」(井岡さん)

 大橋家は、1983年7月、十五代目の大橋京子さんが亡くなり、絶えてしまった。

 だが、江戸期から大橋家の当主らによって記された文書類など約500点は、「大橋家文書」と総称され、いまも残っている。一時は日本将棋連盟が保管していたが、現在は井岡さんの手元にある。

「個人で管理するのはたいへんです。散逸する恐れもあるし、国立大学や公文書館など公的機関で、保管してもらいたいものです」

 千葉県船橋市在住の渡邉百八さん(81)は、最後の世襲名人、十一世名人・八代目伊藤宗印の曾孫だ。

「関東大震災で、先祖代々のものは焼失しました。でも親父が風呂敷に包んで持ち出した位牌だけは残っています。家元だったのは子供のころから聞かされていたけど、まったく興味がなかった(笑)。

 私は、三井物産に勤めていました。家のことを、同僚に話したこともないし、近所の人も知らない。

 でも、家元だったことは代々子孫に伝えていくものでしょうから、10代の孫娘たちには話しています。『ふーん』と言ってましたけどね」(渡邊さん)

 名人戦について聞くと、こう答えた。

将棋を最後に指したのは中学生のころです。特に注目はしていません。でも、藤井六段の報道を見ると、天才が出てきたなと思いましたね」

 およそ400年以上続く名人位。天才たちの戦いの系譜は、これからも連綿と紡がれていく。

(週刊FLASH 2018年4月24日号)