五輪で感じた“郷愁”、サッカー界から消えたFILAのユニフォーム

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熱戦が続く平昌五輪。選手が着ているウェアやユニフォームを見ていると、サッカーでもおなじみのスポーツブランドを見かける。

例えばイギリスやドイツはadidasが、スペインではJomaが公式ウェア担当。日本選手団の公式ウェアはAsicsが担当している。また競技別でもNike、Kappa、Under Armourなどを見かける(Pumaは見ないような…)。

そしてサッカー好きにはちょっと懐かしさを覚えるブランド、Filaもよく目にする。

スピードスケート女子1000Mのメダルセレモニーで小平奈緒、高木美帆の両選手に挟まれているヨリン・テルモルス。彼女が着ているオランダ選手団の公式ウェアはFilaが担当している。またいくつかの競技でもFilaのウェア(ユニフォーム)を見かける。

Filaはイタリアで誕生し「イタリアのスポーツアパレル・ブランド」として名を馳せたが、現在は韓国の企業が経営権を取得している。

サッカーにおいても、欧米では1990年代後半から2004年頃までFilaのウェアを使うチームが多数存在した。2003年にイタリア人経営者からアメリカのヘッジファンドへ売却されているが、Filaのユニフォームを見かけなくなったのは丁度この頃からだ。

それでも一時期はサッカー関連が復活し、2010年あたりから数年ほど主にイングランドの2部、3部のチームをサプライしていたが、それらも今では契約終了。現在ではサプライしているチームはほとんど無く、恐らくはマレーシア1部のパハンくらいと思われる。

そこで今回は、Filaがまだ純然たるイタリア企業だった頃の懐かしいユニフォームを振り返ってみたい。フィオレンティーナやウェストハムといったメジャーどころから、ちょっとマイナーなクラブ、そしてディエゴ・マラドーナ関連のキットまで集めてみた。

フィオレンティーナ 使用期間:1997-2000

ユニフォーム:1997-98 Home

サッカーにおけるFilaのユニフォームといえば、このフィオレンティーナを真っ先に思い浮かべる方も多いだろう。当時はバティストゥータやルイ・コスタらスター選手を擁し、セリエA「7大クラブ」の一角に数えられていた。

ユニフォーム:1997-98 Away

ユニフォームはホーム、アウェイ共通でシャドーのピンストライプに、エンブレムのユリを透かしプリント。胸スポンサーはこのシーズンから“NINTENDO”(任天堂)が務めた。

ユニフォーム:1998-99 Home

袖のデザインが印象に残っている1998-99モデル。このシーズンは9年ぶりにCL出場を果たした。写真のエジムンドは後に東京ヴェルディと、ほんの少しだけ浦和レッズでプレーした。

ユニフォーム:1998-99 Away

ホーム、アウェイともベースは同じデザイン。袖にプリントされているのは、エンブレムにも描かれている赤いユリ。ホームタウンであるフィレンツェ市のシンボルでもある。ルイ・コスタはこのシーズンのリーグ戦とカップ戦を合わせて14得点を記録した。

ユニフォーム:1998-99 Third

当時アルゼンチン代表でチームメートだったバティストゥータとベロン(パルマ)との2ショット。レッドのサードユニは定番のカラーとはいえ使用機会が少なく、レアな存在だった。

ユニフォーム:1999-2000 Home

Filaとの契約最終シーズンとなった1999-2000モデル。胸スポンサーはこのシーズンから“TOYOTA”に変わった。袖のラインのいちばん下はFilaの「F」をデザインしている。

ユニフォーム:1999-2000 Away

このシーズンのアウェイも基本的にホームと同じデザインだが、ホワイトとパープルのカラーバランスが絶妙だった。写真はこのシーズンに加入したミヤトヴィッチ。

ウェストハム・ユナイテッド 使用期間:1999-2003

ユニフォーム:1999-2001 Home

Filaには失礼かもしれないが、当時のウェストハムのユニフォームは、サプライヤーよりも胸スポンサーの“Dr.Martens”(ドクター・マーチン/靴ブランド)がとにかく印象的。同社は1998-99シーズンから2002-03シーズンまでキットスポンサーを務めた。写真は当時20歳のジョー・コール。

ユニフォーム:1999-2001 Away

ウェストハムにしては色合いが珍しいユニフォーム。胸元にはシンボルマークのリベットハンマーがプリントされている。写真は当時のウェストハムを象徴する存在だったディ・カーニオ。

ユニフォーム:1999-2001 Third

スチュアート・ピアースが着ているのはサードユニフォーム。ブラックを基調としたユニフォームは当時のウェストハムでは珍しい存在だった。

ユニフォーム:2001-03 Home

FilaとDr.Martensにとって最後のホームユニフォーム。首周りは襟付きからクルーネックへ変更となった。ボディ部分とスリーブ部分で色が明確に分かれているのが特徴。

ユニフォーム:2001-02 Away

このシーズンのアウェイはスカイブルーを基調にディープレッドの差し色と、伝統的なカラーコンビネーション。首周りは襟付きからVネックに変更となった。

ユニフォーム:2002-03 Away

ホワイトを基調にディープレッドのピンストライプというデザインがちょっと洒落た感じのアウェイは、レプリカユニフォームの人気も高かった。写真は後にマンチェスター・ユナイテッドの一員になるマイケル・キャリック。

ハンブルガーSV 使用期間:1998-2001

ユニフォーム:1999-2001 Home

Filaにサプライヤーが変わったのは1998-99シーズンから。この1999-2001モデルも含めて胸スポンサーは韓国の“HYUNDAI”と、ドイツのテレビガイド誌“TV SPIELFILM”の2パターンが存在した。

スコットランド代表 使用期間:2000-2003

ユニフォーム:2002-03 Home

EURO 2004予選などで使われたユニフォーム。デザインはウェストハムの2002-03シーズン用アウェイと同じで、襟付きにピンストライプ。ちょっとお洒落でレプリカユニフォームも人気があった。Filaとの契約期間は短かったがホーム、アウェイともに2種類リリースしている。

ADOデン・ハーグ 使用期間:1998-2004

ユニフォーム:2003-04 Home

Filaがサプライした中でも長期契約の部類に入るのがADOデン・ハーグ。このユニフォームを使用した2003-04シーズンは、戸田和幸が在籍していた。

クルス・アスル 使用期間:1996-2001

ユニフォーム:2001 Away

90年代後半から2002年頃まで、Filaはいくつかの中南米クラブのサプライヤーを担当したが、その代表格がメキシコのクルス・アスルだろう。スポンサーロゴを斜めにプリントするなど独創的なデザインもあった。

ディエゴ・マラドーナ 引退記念試合 ユニフォーム

ユニフォーム:2001 Diego Maradona Commemorative Kit

最後に番外編的なキットを紹介。これは2001年11月10日にボカ・ジュニオルスのホーム『ラ・ボンボネーラ』で行われたディエゴ・マラドーナの引退記念試合で、マラドーナ率いるアルゼンチン選抜チームが着用したユニフォーム。

胸にはFilaのロゴが入るが、実際にはOPEN Sportsというアルゼンチンのスポーツ用品チェーンとのコラボレーション的なキット。背番号には同社のロゴマークが入っている。

レプリカユニフォームは、胸に10番とマラドーナの写真をプリントし、左胸にはマラドーナのサインを刺繍。袖の『HOMENAJE A DIEGO MARADONA』(マラドーナへのオマージュ)はレプリカにのみプリント。

レプリカの背番号にはマラドーナのサインをプリント。腰部分にもマラドーナへのオマージュが入る。かなりコレクション性の高いアイテムだった。