このところミサイル実験などの挑発がやんでいるなあと思っていたら、平壌から1冊の短編小説集が届いた。「君子里の乙女」(文学芸術出版社)とある。作家はタク・スクボン。表紙は地下工場で一人の少女が砲弾の製造に携わっている絵である。岩盤に貼られたスローガンには「前線により多くの武器を送ろう!」とある。著者の名前を見て、ぴんときた。私には見覚えのある作家だった。金日成主席の事績をたたえる「不滅の歴史」シリーズで、長編の「命脈」を書いている。主人公は池(チ)ウンモ。日本の植民地時代、東京帝国大学を卒業し、平壌の陸軍兵器工場で銃の設計技師をしていた。解放後まもなく金主席が荒廃した工場を訪ね、池ウンモにソ連の援助に頼らず、自前の銃を持つ必要を説く。

「祖国を守り、人民を保護する銃を造ってほしい」

もう兵器造りはごめんだと思っていた池ウンモは次第に考えを変え、ついに国産第1号となる機関短銃を設計する。さらに朝鮮戦争が勃発するや、ひそかに山奥に移された地下工場で銃製造の責任技師として従事し続けるが、激化する戦火の中で倒れる。その地下工場の所在地が「君子里」であった。

作者のタク・スクボンこそ、恐らく現在、北朝鮮当局が最も重用しようとしている作家だと筆者はにらんでいる。それはなぜか?

軍需工場跡視察後に水爆実験を強行

作家の生い立ちを「命脈」の編集後記が詳しく紹介している。それによれば、タク・スクボンは1942年、中国黒竜江省生まれ。一貫して軍需工業、それも自力での国防力強化をテーマにしてきた。祖父は1919年の「3・1独立運動」に参加して指名手配を受けたことで故郷を離れ、北満州に逃れる。48年に祖国に戻り、60年に平壌第4高級中学校を卒業、朝鮮人民軍に入隊し、砲兵として服務する。前線での誇らしい軍隊生活は、作家に祖国に対する熱烈な愛、真の愛国主義を育ませた貴重な日々であり、希望を花咲かせる貴重な体験の瞬間ばかりだった、と記している。

作家としては、68年に第一作「看護長」を発表後、文学修行にいそしむ。念願だったことから、除隊後は軍需工業部門で働きだすが、創作のペンを離さなかった。仕事は誠実で粘り強く、党の厚い信任によって、労働者からある出版報道機関の記者、部長に任命される。仕事をしながらも文学作品の執筆を続け、首領形象(最高指導者をモデルとした)短編小説「幸福」をはじめ、数十編の短編小説を書き、2003年には短編小説「未来」を出版。それだけでなく、白頭山3大偉人(金日成、金正日、金正淑)の偉大性宣伝図書も幾つか執筆、編集し、出版した。

注目すべきは「党の厚い信任によって、労働者からある出版報道機関の記者、部長に任命され」たというくだりである。「党」とは金正日総書記を指すと思われる。あえて報道機関名を伏せているのは、恐らく「朝鮮人民軍新聞」など軍関係の公にできないメディアの可能性が高い。軍事機密にも触れられる特別待遇の記者だったとすれば、作家としてもさまざまな情報に接しながら作品を書くことが許されているはずだ。つまり、北朝鮮の最高機密情報を持つ作家と言っていいだろう。

鈴木琢磨(毎日新聞社部長委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載