AFCチャンピオンズリーグでの浦和レッズと済州ユナイテッドの一戦は、試合後乱闘騒ぎに【写真:Getty Images】

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「本当に友だちが必要なのは敗者」 クラマー氏が背中で示した勝者の美学

「サッカーは子供を大人に、大人を紳士にする」――デットマール・クラマー

“日本サッカーの父”デットマール・クラマー氏が残した至言だ。実はこうした言葉の数々に、クラマー氏が敬愛された理由がある。

 取材を通じて長く交友を続けてきたスポーツライターの賀川浩さんが「指導の天才」と称賛していたように、近代日本サッカーの全てはクラマー氏によって導かれた。文字通り子供だった日本サッカーは、大人として成熟していくわけだが、さらに紳士とは何かも、クラマー氏は背中で見せてくれた。

 1964年東京五輪で、日本はいきなり優勝候補のアルゼンチンと対戦した。当時の五輪はアマチュア限定の祭典だったが、アルゼンチンには間もなくフル代表に選出されていくロベルト・ペルフーモら名手が含まれていた。ところが劣勢が予想された日本が、大会屈指の強豪に3-2の逆転勝ちを収める。当然、試合後の日本ベンチは歓喜に沸いた。

 しかしクラマー氏は、しばらくともに歓びを噛みしめると、アルゼンチン側のロッカーへと向かう。

「勝者にはたくさんの友だちができる。でも本当に友だちが必要なのは敗者の方だから」

 そう言い残して、まさかの敗戦を喫したアルゼンチンのスタッフ、選手たちに労いの言葉をかけに行くのだ。

 勝者が何を気遣うべきか――。当時の代表選手たちは、クラマーの姿からそれを学んだ。

礼を重んじる心が備わっていた“世界一の柔道家”

 一方、同じ東京五輪で日本が痛恨の敗戦を喫した競技もある。同大会で初めて採用された柔道である。

 日本は順当に軽量級、中量級、重量級で金メダルを獲得する。しかし最大の焦点は、実質“世界一の柔道家”を決する無差別級だった。そして日本の前に立ちはだかったのが、オランダのアントン・ヘーシンク。日本の切り札だった神永昭雄を、決勝の畳で押さえ込んだ。

 金メダル獲得という快挙達成に、オランダのコーチ陣は畳に駆け上がろうとした。だがそれを見越したヘーシンクは、「待て」と手で制する。そして、そのままゆっくりと立ち上がると、礼をして静かに畳を降りた。日本の国技を学んだヘーシンクには、礼を重んじ相手を尊重する柔道の心もしっかりと備わっていた。その素晴らしい人間性に、敗戦という屈辱を味わい傷ついた多くの日本人の心が癒されたはずだ。

 AFCチャンピオンズリーグのラウンド16で、済州ユナイテッドの選手たちが、醜悪な暴挙に出た。蛮行の度が過ぎたため、チョ・スンファン監督の「勝者にもマナーが必要だ」という発言は、轟轟たる非難にかき消さがちだ。しかし一方で、浦和は美しく紳士的な勝者だっただろうか。

勝者にとっての痛快事は、敗者にとって究極の屈辱

 隣国のライバルを相手に劇的な逆転ゴールを挙げ、鮮やかな勝利を飾る。それはホームチームには痛快事だが、立場を変え対戦相手にとってみれば究極の屈辱だ。 

 もちろん、それを暴力で晴らそうとする行為は、全くの論外だ。しかし勝者が、わざわざそうした切歯扼腕(やくわん)の状態にある相手ベンチ前で、雄叫びを上げれば、済州に限らずブレーキをかけるチームの方が少ないだろう。

 浦和は日本を代表する人気クラブだ。世間は、浦和というJリーグの象徴的存在を通してサッカー界を見ることもある。今、多くの父兄の方々は、サッカーが子供を大人に、大人を紳士にしてくれるスポーツだと実感してくれているだろうか。

◇加部究(かべ・きわむ)
 1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

加部究●文 text by Kiwamu Kabe