『持たない 幸福論』(幻冬舎)。 「仕事と自分の生活」「家族を持つ必要はあるのか?」「お金はそこまで大事か?」などを問う幸福論。ブックガイドとしても使える。

写真拡大 (全4枚)

村の長老とは別に、普段は何をしているのかわからないが、話すとやたら含蓄に富んでいたり、いざというときに英知をみせるような老人がかつて存在した。人々は彼らを「賢者」と呼んだ。

そんな事実があったかなかったかは知らないが、筆者が思い描く「賢者」とはそんなイメージだ。しかし、もはやそんな老人なんてファンタジーの世界以外で存在するわけがない、そう思っていたら遭遇してしまった! しかもそれは老人ではなく“中年のニート”だった。

日本一有名な“ニート


『持たない幸福論 働きたくない、家族を持たない、お金に縛られない』(幻冬舎)は、「仕事のために自分の生活を犠牲にするのはおかしくないか」「家族を作ることだけが正しい生き方なのか」「現代社会の生活は常にお金に追いかけられてる感じで変じゃないか」という現代的かつ全うなテーマを正面から取り扱っている人生論だ。
論はしっかりした社会学の知識をベースに展開されているが、言葉が平易でとにかくわかりやすい。しかも『寄生獣』(岩明均)、『人生がときめく片付けの魔法』(近藤麻理恵)から見田宗介、カズオ・イシグロまで幅広いジャンルの参考図書が紹介されているブックガイドにもなっている。
そんなナイスな本の著者の名は「pha」。本の帯の紹介には「日本一有名な“ニート”」と紹介されている。phaさんとは一体何者なのか?

京大入学も「モラトリアムとしか思っていなかった」


1978年の生まれの36歳。大学卒業後普通に就職するが、あくせく働くのが性に合わないと3年間の勤務の末28歳で会社を辞めてニートとなる。

「大学に入った時から将来働くのは嫌だなあと思っていたんです。大学入学は4年間のモラトリアム(猶予)としか思っていなかったので、将来いい会社でちゃんと働こうという気もありませんでした」

そうphaさんが言うところの「大学」とは京都大学。phaさんといえば「だるい」というのが半ばキャッチフレーズとなっているのだが、「だるい、だるい」と言っていて入れるような大学ではない。

「高校時代あまり友だちもいなかったのでとりあえず始めた受験勉強がわりと面白かったという感じです。ゲーム感覚で点数を上げていった結果(京大に)入ることができました」

各種メディアでも取り上げられることの多いphaさんは「働くのに向いている人が働けばいい」とか「お金がないときはネットでおごってくれる人を探せばいい」などといったエキセントリックで「だるい」発言ばかりが注目されがちだが、実は最難関の京大に合格するための厳しい受験勉強を完遂している。そして、その資質は「だるい」を全面に押し出す今も損なわれていない。

ニートを選んだ理由とは


会社を辞めた理由は「だるい」からだったが、その背中を押したのは自らの持つプログラミングの技術だった。インターネットと出会った後、会社勤めをせずに収入を得る方法を模索したphaさんは、独学でプログラミングを学ぶ。そして「村上春樹風に語るスレジェネレーター」をはじめ、いくつものウェブサービスを作った。
ウェブサービスをプログラムすることは決して簡単なことではない。少なくとも「だる」がっていてできる作業ではない。それでもphaさんは「サイト作りは向いていたのか楽しく続けられた」と述懐している。つまり稼ぐために無理をして自分に負荷をかけたわけではなかった。そしてそれこそが本書『持たない幸福論』のキモなのだ。

「自分はこれをやっているときが絶対幸せだという自分なりの価値観を持つことが大切だと思うんです。それを手放さなければ、自分で自分の人生に納得できるものがあればいいと思います」

phaさんにとってそれは物を書くことやインターネットだった。一方で、学校や会社における人付き合いは苦手だった。だから収入が激減しても定職を持たない「ニート」の道を選んだのだ。

「世間体と個人の幸せは一致しませんから」

大学時代に初めて見つけた自分の居場所


そのphaさんがもう一つ「だる」がらずに行っている活動がある。それがテックギーク(テクノロジーオタク)向けのシェアハウス「ギークハウス」の運営だ。

「大学に入ってから自分の人生が始まったという感覚で、それ以前のことはあまり覚えていないんです」

親との折り合いが悪く、実家の居心地がよくなかったというphaさんの視界が拓けたのは、京大の学生寮に入ってからだった。

学生時代は授業の勉強も嫌いで寮で読書や麻雀をすることに明け暮れていたというが、そこで初めて自分の居場所を見つけて人生を楽しいと思うようになったのだという。

「一人で孤立せずに社会や他人との繋(つな)がりを持ち続けること」(『持たない幸福論』)が大切だと説くphaさんにとっての「つながり」の原体験はその学生寮だった。その後インターネットと出会い新たな「つながり」を獲得していくが、学生寮での体験がphaさんの人生における最も慈しむものだということは言葉や著作の端々から感じられる。

phaさんが社会善を声高にうたうことはないが、「ギークハウス」の運営にこだわるのは、かつての自分の抱えていた息苦しさを持つ人々に手を差し伸べたいからだというのは間違いないだろう。

そして、そこに安らぎや居場所を見出す人がいるなら、何も血縁上の家族にこだわる必要もないのではないかというのが本書のもう一つのテーマとなっている。

もし一億円あったらどうしますか?


現在はならすと年収100万円程度で生活をしているというphaさんに意地悪な質問をぶつけてみた。
「もし一億円のお金が入ったらどうしますか?」

「うーん、一人で使ってもつまらないので共有したいですね。たとえそのお金が自分で稼いだものであっても、それは自分だけの功績ではないですから。でもバラ撒くというのもつまらないので、でかい家を買うなり借りるなりして、ニートを住ませるとかいいかもしれませんね。そういう『場』を作りたいですね」

現在生きることに息苦しさを感じている人は、一度現代の賢者の言葉に耳を傾けるといいかもしれない。
(鶴賀太郎)