松坂大輔の3年12億円は高すぎる…年俸決定の裏側|愛甲猛コラム
背番号18、3年12億円+出来高払いの契約で松坂大輔投手を獲得したソフトバンク。王球団会長との入団会見も行った。2006年以来、9シーズンぶりにメジャーリーグから日本プロ野球に復帰する松坂だが、「その契約金は妥当なのか……?」という声もチラホラ聞こえてくる。
年俸をめぐる選手と球団側のバトル契約更改も終わり、各選手とも来シーズンに向けてスタートを切った。オレは20年間プロ野球界にいたけど、契約更改において、こちらの希望額を球団が提示してくれたことはほぼなかった。こちらが4千万円ぐらいを希望しても、球団は3500万円、なんていうのが相場だったね。
ロッテ時代の89年のこと。130試合フル出場をしてゴールデングラブ賞を受賞した2500万円だった年俸がどれくらい上がるか、ワクワクしながら契約更改の場に臨んだんだ。
他の選手の年俸と比較しても4500万円ぐらい行くと思っていたが、球団の提示額は3500万円。希望額と1千万円の開きがある。そのとき球団代表にこう言われた。
「お互い歩み寄ろう」
歩み寄るなら、間をとって4千万円だと思うよな。希望額には届かないが、まあいいか、とサインするつもりだった。しかし提示された額は「3700万円」。おいおい、こっちが300万円、歩みすぎてるじゃねーか!
交渉の席には球団側が3人、対してこちらは1人。当時は弁護士の同席など考えられない時代。言いくるめられねぇぞ、とオレは4千万円を主張し続けた。
ちなみに、選手の年俸総額とはほぼ決まっている。オレに300万円出すと、ほかの選手を切り詰めなくてはならない。契約更改にはそんな事情もあるが、こうなってくると問題は金銭ではなくプライドだ。
球団側とオレの話し合いは平行線。最後は代表がブスっとしながら「これでいいだろ!」と4千万円の契約書をオレに投げつけた。カチンときたが、我慢したよ。
7年後、中日に移籍したとき、当時の球団代表に言われたよ。「ウチならもっと出してるよ」とね。
ちなみに、年俸は12等分された金額が1〜12月に選手会費や税金などが引かれて振り込まれる。割り切れない額は1月にまとめて入ってくる。
当時もそうだけど、高額年俸をもらう選手の中には、税金対策として身内に副業をやらせたりしているね。飲食業をしたり、あるいは投資ファンドに手を出したり。ただ、プロ野球選手が投資話に手を出すと、大抵失敗するね。
江川の一言「1日50万のギャラなら寝てたほうがいい」あの時代はFA前夜で、今のような“年俸バブル”の前。現在、オレの成績と同じぐらいの選手が1億円をもらっている。まったくもっていい時代だな。それはともかく、つくづく思うのは、今も昔も、巨人は恵まれた球団ということだ。
オレは原さん(辰徳・現巨人監督)と同じ年のドラフト1位でね。当時、高卒ドラ1のオレの契約金が税込4800万円だった。あるとき、ゴルフコンペで一緒になった大卒ドラ1の原さんに「契約金いくらだった?」と聞かれ、正直に答えた直後、「原さんは8千万円でしたっけ?」と聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「うん、手取りでね」
当時の巨人といえば、オフはサイン会だテレビ出演だで大忙し。今はないけど「プロ野球対大相撲歌合戦」なんて正月番組にひっぱりだこ。レギュラー選手などオフだけでサラリーマンの年収ぐらい稼いでいた。
あるとき、同僚選手を通じて江川(卓)さんにサイン会を頼めないか、という話があってね。ロッテの顔だったオレのギャラが10万円だった当時、50万円という破格のギャラを提示されたが、そのとき江川さんはこう言った。
「寝てたほうがいい」
松坂、中島に「3年12億」は高すぎる買い物そんな巨人は今も球界最高峰の年俸を提示している。今年の契約更改でちょっと驚いたのが、大田泰示。年俸が1200万円から1900万円に上がった。わずか44試合の出場で16安打、打率.246という成績で60%アップ。引き合いに出して悪いが、来季は「期待料」の分まで頑張らないとならないな。
巨人やソフトバンクって、年俸でモメるケースってないよね。今年のソフトバンクなど大盤振る舞いで1億円プレイヤー続出だが、昔のダイエーと同じだね。
当時のダイエーでは、オレと同じ成績の選手が、オレより1千万円以上多くもらってた。それも球団の台所を圧迫した要因だったが、今のソフトバンクも同じだね。だって、松坂大輔と3年12億円(推定)で契約したけど、いくらなんでも高すぎるよ。ダイスケはここ2年、メジャーでも金額に見合った活躍はしてないし、ケガもある。集客期待料もあるんだろうけど、今のファンは目が肥えてるから、早めに結果を出さないとならないよ。
オリックスに入団した中島裕之も3年最大12億か。どちらも高い買い物のような気がするな。
まあ、こんな感じで、オレが体験した話や、プロ野球の話題について書いていこうと思っている。よろしく!
愛甲猛(あいこうたけし)横浜高校のエースとして1980年夏の甲子園優勝。同年ドラフト1位でロッテオリオンズ入団。88年から92年にかけてマークした535試合連続フルイニング出場はパ・リーグ記録。96年に中日ドラゴンズ移籍、代打の切り札として99年の優勝に貢献する。オールスターゲーム出場2回。