妊娠、つわり、異常食欲、マタニティーブルー、陣痛、破水、出産、授乳、寝かしつけ、抜け毛、産後クライシス、離乳食、保育園、断乳 ― 出産・育児はとにかく大変。

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赤ちゃんとの日々。
柔らかく、温かく、儚く、愛おしい無垢な存在。赤ちゃんを授かり、育てていく時間は多くの親たちにとってかけがえのないものだ。

それでもその記憶を写真や動画以外の形で残すことができる人はなかなかいない。日々、精神的肉体的限界を越えながら育児をする中、その時々に思ったこと感じたことを留めおくところにまで気力体力が及ばないのだ。

だからこそ川上未映子の『きみは赤ちゃん』(文藝春秋)は多くのママたちの心をとらえる。芥川賞作家が自らの第一子の妊娠から1歳の誕生日までの体験を記したこのエッセイを通じて、多くのママたちが自らの出産育児を追体験し、かけがえのなかった日々の温かさと辛さを思い出し、笑い涙している。

もちろん作家だからといって、出産育児の大変さが変わるわけではない。しかし川上は破水して入院してからもずっとiPhoneで記録を取り続けた。育児が一番大変な時期も記録を怠らない。そのモチベーションの源泉を「初めての出産という人生で一度きりの体験をなんとか作品にしたい、という作家としての本能」によるものではないかと担当編集者である武藤旬「文學界」編集長はいう。

川上が記録したのは、妊娠出産にともない生じる非日常であり、そこから生まれる心模様だ。それらが芥川賞作家の感受性で切り取られ、その表現力で再生される。

(超音波写真でモニターに映しだされた赤ちゃんの立体画像を見て)
――「あれが頭ですか」「もう手があんなに長いんですか」「足があります」「目があります」「あんなにかたちになっているんですか」「あの体が、わたしのおなかにあるんですか」
気がつくと私はずうっとそんなひとりごとをしゃべっていて、そして「そうよ〜、いるんですよ〜」というぷぅ先生の声をきいていると、ぶわっぶわっと両目から涙がでた。(中略)
これは、いったいなんといえばいい気持ちなんだろう。胸の底のほうからおしよせてくる、うれしいとも、感動とも、いとしいとも違う、あるいはそれらをぜんぶ足してまだ足りないような、ただ温かくてつよさに満ちた動き、としかいいようのないもの。こみあげたそれがあふれかえって、それがぜんぶ涙となってこぼれてゆくようなこの気持ち。(中略)
このときわたしは、不安よりも心配よりも、なんだか問答無用の温かい水のなかに浸っているような、全身が妙に安心したような、そんな感覚に一気に包まれたのだった――
(出産編「出生前検査を受ける」より)

作家によって豊かに再現された記憶は上記のような温かなものから、前編で紹介した産後クライシスに関する激しいものまでさまざまだが、同じような経験をしたママたちからは圧倒的な支持を得ている。興味深いのは本書のレビューに「ありがとう」と作品に感謝の気持ちを述べる内容のものが見られることだ。川上個人の体験がママとしての普遍的な体験に昇華されており、そこから生まれる共感がこの本を多くのママたちにとって特別な一冊にしているようだ。

またレビューといえば「男性こそ読むべきだ」という声が男性から多く寄せられるという出産・育児書としては極めて珍しい現象も起きている。「男性や未婚の女性からも広く支持を集めている」(前述・武藤氏)ことも、本書が通常の出産・育児エッセイとは一線を画すところだろう。

ことほどさように広く愛される本書をプレゼントに贈りたいという人は多い。相手が男女問わず結婚の記念や、妊娠のお祝いにという意見も聞かれる。

しかし筆者としては、気力体力ともに限界まで追い込まれながら育児をする壮絶な様子を、何もこれから出産する人に知らせて脅すようなことをしなくともいいのではないかと思う。

それよりもママになって一年目の記念の日―つまり赤ちゃんの1歳の誕生日―に贈ると最高に素敵なプレゼントになるのではないかと思う。

育児にも少し馴れ、本を読む余裕も生まれてくる時期かも知れないし、自分の体験と重ね合わせることができるだけに笑いも涙も深みを増すに違いない。

川上の息子の1歳の誕生日を描いた最終章「ありがとう1歳」を読み終える頃には、ママ自身の育児出産体験の記憶とともに『きみは赤ちゃん』は忘れえぬ特別な一冊になるに違いないと思わせてくれる珠玉のエッセイだ。
(文中敬称略)
(鶴賀太郎)