食べログを否定する久住昌之の最新作『野武士のグルメ』
個人的な話で恐縮なのだが、いろいろな店に食べに行くのが好きで、店を調べるときには「食べログ」のアプリを愛用している。というか、「食べログ」自体かなり好きで、今度何を食べようかな〜、なんてつらつら見ていたりする。
ところが、エキレビ!でもおなじみの食文化に詳しいライターの松浦達也さんに「マジすかw」「食べログが好きって人、あんまり見ないから新鮮w」と(SNS上で)言われてしまい、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。やっぱり通にとって食べログなどは邪道なのだろう。僕は通でも何でもないからいいのだけど……。
松浦さんと同じく食べログ否定派なのが、漫画原作者でエッセイストの久住昌之だ。
「検索してグルメサイトに出てる他人の評価を読んで店に行くことって、『これ食べたよ』っていうことを確かめる“確認メシ”なんですよね」
「つまんないじゃない。見ず知らずの他人が薦めるところばかりに行ったって。しかもグルメサイトって、匿名で『コスパが低い』なんて書いてあるでしょ。『コスパ』なんて言葉を使うのがコザカシイ(笑)」
(久住昌之×土山しげる「検索に頼らず素敵なメシ屋と出会う方法」週プレNEWSより)
食べログ愛好者としては、恥じ入るほかない。
さて、『孤独のグルメ』『花のズボラ飯』など、食に関するさまざまなヒット作を放ってきた久住が、『喧嘩ラーメン』『極道めし』などのザックリ系グルメ漫画の大家・土山しげると組んだのが『漫画版 野武士のグルメ』(幻冬舎)である。
久住が2009年に刊行した同題のエッセイが元だが、漫画化にあたって主人公の設定などがオリジナルのフィクションになっている。
主人公は、サラリーマンとして定年まで勤め上げた香住武、60歳。悠々と第二の人生を歩み始めた香住は、食に対してもこだわりを持つ。とはいえ、高価なグルメを追い求めているわけではない。小さな店の焼きそばとビールに舌鼓を打ち、それで十分満足する男だ。
香住が憧れているのは野武士のような男である。おいしそうな店があれば、知らない店だろうとぐずぐずせず、堂々とした態度で中に入り、迷わず食べたいものを注文する。ストレートで自己主張力が強い男、それが野武士だ。
「野武士たるもの 腹が減ったら食べたいものを食べればいい」
「迷う前に入っちまえ 見る前に跳べだ! 野武士なら何も考えずに のしのし入るだろうて……」(いずれも『野武士のグルメ』より)
香住は野武士に自己を投影しながら店の戸を開ける。そして、古びた中華料理屋で熱々のタンメンを食べ、気まぐれに泊まった海辺の民宿でアジのひらきの朝食を食べ、コの字カウンターの居酒屋で野菜炒めをつまみに生ビールを飲み干す……。ああ、書いているだけで腹が減ってきた。
しかし、これだけだと『孤独のグルメ』と変わらないような気がする。主人公が中年の井之頭五郎から、老境にさしかかった香住武に変わっただけなのか? そうではない。最大の違いは、自己充足度の差だ。
『孤独のグルメ』の五郎は、まだ野武士の域には達していない。入る店に迷ってウロウロし、注文を迷ってつい頼みすぎ、食べ過ぎて苦しくなる。違和感を覚えながら店を出ることも少なくない。一方、『野武士のグルメ』の香住は、もう少し堂々としている。失敗もあるが、ほとんどは自分の選択に満足して食べ終えている。野武士的な男を描き続けてきた土山しげるの絵柄も影響しているだろう。
『漫画版 野武士のグルメ』には「釜石の石割桜」というエピソードがある。中年の頃の香住が、出張先の釜石で地元のものが食べたいと飛び込んだ居酒屋での話だ。このエピソードの元になったエッセイが、2000年に刊行された文庫版『孤独のグルメ』の巻末に収録されている。両者を比較してみると、エッセイ版のほうは本当にいじましい。久住はどの店に入ろうと1時間近くも迷いに迷い、店に入るときもおずおずオドオド。なお、このあたりのくだりは漫画版ではカットされているので読み比べてみると面白いだろう。そして、このエッセイの中で久住が自分と対照的な存在、理想の大人像として賛美しているのが野武士である。
思えば、久住のデビュー作「夜行」(泉晴紀との合作、泉昌之名義 『かっこいいスキヤキ』所収)は、トレンチコート姿のハードボイルドな男が夜行列車の中で駅弁のおかずの食べる順番をいじましく考え抜くだけの話だった。初の単行本『かっこいいスキヤキ』のタイトルの元になった「最後の晩餐」は、大学生の主人公がいかにスマートにスキヤキを食べるか苦慮した挙句、遠慮なく肉を食べる友人たちに怒りを爆発させ、大人になってからそのときのことを思い出して涙するという哀しい話だ。いずれも野武士的な境地とは100万光年離れた世界である。
自己を投影したような、いじましい主人公を描き続けた久住だが、一方で野武士的な男への憧れを描いた作品も多い。プロレスが大好きで腹が立つと海パン一丁になって暴れ回る頑固親父・ウルトラ小泉が主役の「プロレスの鬼」や、カツ丼を頼むときは必ず大盛り、大盛りがなければ2杯頼む大文字虎男が活躍する『豪快さんだっ!』などがそうだ。古武術をたしなむ井之頭五郎には、少しだけこちらのラインの血が入っている。
いじましさが頂点に達したのは、日常生活を効率良く過ごすための段取りとうんちくに異常にこだわる男・段取良夫を描いた『ダンドリくん』だろう。こまごまとした段取りやうんちくは野武士とは真逆の存在だが、発表されたのはバブル真っ盛りの頃。庶民的なセコさが大量消費社会へのカウンターになっていた。
ささいなことにこだわるいじましい男と野武士的で豪快な男の間を行き来しながら、久住は年齢と経験を重ねてきたのだろう。『かっこいいスキヤキ』が刊行されたのは83年、まだ失敗が多かった『孤独のグルメ』は97年、「いったいいくつになったらボクは大人になれるのでしょうか」と嘆いていたエッセイ「釜石の石割桜」は00年、そして冒頭の食べログについての発言は今年、2014年のものだ。ちなみに食べログのサービスが始まったのは05年のこと。久住は現在55歳になる。
浅草キッドの玉袋筋太郎との「食べログなんてクソ喰らえ! 本当に楽しい酒の飲み方」と題された対談で、久住はこのようなことを言っている。
「入ろうかな、やめようかなって勝負して、えいやって入ってみて、時には失敗する。そうすることで何が鍛えられるのかって言うと、自分の好みがわかってくるんだよね。そうしたら、人の価値観に左右されなくなるんだよ」
年をとるということは、人の価値観に左右されなくなるということだ。食べることにこだわりがある人物ならば、独自の情報網も持っているだろうし、知識も蓄積されているだろう。さらに自分の好みがわかっていれば、自己充足度も高くなる。若者ほど、無知で、飢えていて、迷っていて、後悔も多い。筆者など40過ぎたいい年なのに、食べログを使っていてもまだ迷うし、後悔もする。大人への道は、まだまだ遠い。
(大山くまお)
ところが、エキレビ!でもおなじみの食文化に詳しいライターの松浦達也さんに「マジすかw」「食べログが好きって人、あんまり見ないから新鮮w」と(SNS上で)言われてしまい、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。やっぱり通にとって食べログなどは邪道なのだろう。僕は通でも何でもないからいいのだけど……。
「検索してグルメサイトに出てる他人の評価を読んで店に行くことって、『これ食べたよ』っていうことを確かめる“確認メシ”なんですよね」
「つまんないじゃない。見ず知らずの他人が薦めるところばかりに行ったって。しかもグルメサイトって、匿名で『コスパが低い』なんて書いてあるでしょ。『コスパ』なんて言葉を使うのがコザカシイ(笑)」
(久住昌之×土山しげる「検索に頼らず素敵なメシ屋と出会う方法」週プレNEWSより)
食べログ愛好者としては、恥じ入るほかない。
さて、『孤独のグルメ』『花のズボラ飯』など、食に関するさまざまなヒット作を放ってきた久住が、『喧嘩ラーメン』『極道めし』などのザックリ系グルメ漫画の大家・土山しげると組んだのが『漫画版 野武士のグルメ』(幻冬舎)である。
久住が2009年に刊行した同題のエッセイが元だが、漫画化にあたって主人公の設定などがオリジナルのフィクションになっている。
主人公は、サラリーマンとして定年まで勤め上げた香住武、60歳。悠々と第二の人生を歩み始めた香住は、食に対してもこだわりを持つ。とはいえ、高価なグルメを追い求めているわけではない。小さな店の焼きそばとビールに舌鼓を打ち、それで十分満足する男だ。
香住が憧れているのは野武士のような男である。おいしそうな店があれば、知らない店だろうとぐずぐずせず、堂々とした態度で中に入り、迷わず食べたいものを注文する。ストレートで自己主張力が強い男、それが野武士だ。
「野武士たるもの 腹が減ったら食べたいものを食べればいい」
「迷う前に入っちまえ 見る前に跳べだ! 野武士なら何も考えずに のしのし入るだろうて……」(いずれも『野武士のグルメ』より)
香住は野武士に自己を投影しながら店の戸を開ける。そして、古びた中華料理屋で熱々のタンメンを食べ、気まぐれに泊まった海辺の民宿でアジのひらきの朝食を食べ、コの字カウンターの居酒屋で野菜炒めをつまみに生ビールを飲み干す……。ああ、書いているだけで腹が減ってきた。
しかし、これだけだと『孤独のグルメ』と変わらないような気がする。主人公が中年の井之頭五郎から、老境にさしかかった香住武に変わっただけなのか? そうではない。最大の違いは、自己充足度の差だ。
『孤独のグルメ』の五郎は、まだ野武士の域には達していない。入る店に迷ってウロウロし、注文を迷ってつい頼みすぎ、食べ過ぎて苦しくなる。違和感を覚えながら店を出ることも少なくない。一方、『野武士のグルメ』の香住は、もう少し堂々としている。失敗もあるが、ほとんどは自分の選択に満足して食べ終えている。野武士的な男を描き続けてきた土山しげるの絵柄も影響しているだろう。
『漫画版 野武士のグルメ』には「釜石の石割桜」というエピソードがある。中年の頃の香住が、出張先の釜石で地元のものが食べたいと飛び込んだ居酒屋での話だ。このエピソードの元になったエッセイが、2000年に刊行された文庫版『孤独のグルメ』の巻末に収録されている。両者を比較してみると、エッセイ版のほうは本当にいじましい。久住はどの店に入ろうと1時間近くも迷いに迷い、店に入るときもおずおずオドオド。なお、このあたりのくだりは漫画版ではカットされているので読み比べてみると面白いだろう。そして、このエッセイの中で久住が自分と対照的な存在、理想の大人像として賛美しているのが野武士である。
思えば、久住のデビュー作「夜行」(泉晴紀との合作、泉昌之名義 『かっこいいスキヤキ』所収)は、トレンチコート姿のハードボイルドな男が夜行列車の中で駅弁のおかずの食べる順番をいじましく考え抜くだけの話だった。初の単行本『かっこいいスキヤキ』のタイトルの元になった「最後の晩餐」は、大学生の主人公がいかにスマートにスキヤキを食べるか苦慮した挙句、遠慮なく肉を食べる友人たちに怒りを爆発させ、大人になってからそのときのことを思い出して涙するという哀しい話だ。いずれも野武士的な境地とは100万光年離れた世界である。
自己を投影したような、いじましい主人公を描き続けた久住だが、一方で野武士的な男への憧れを描いた作品も多い。プロレスが大好きで腹が立つと海パン一丁になって暴れ回る頑固親父・ウルトラ小泉が主役の「プロレスの鬼」や、カツ丼を頼むときは必ず大盛り、大盛りがなければ2杯頼む大文字虎男が活躍する『豪快さんだっ!』などがそうだ。古武術をたしなむ井之頭五郎には、少しだけこちらのラインの血が入っている。
いじましさが頂点に達したのは、日常生活を効率良く過ごすための段取りとうんちくに異常にこだわる男・段取良夫を描いた『ダンドリくん』だろう。こまごまとした段取りやうんちくは野武士とは真逆の存在だが、発表されたのはバブル真っ盛りの頃。庶民的なセコさが大量消費社会へのカウンターになっていた。
ささいなことにこだわるいじましい男と野武士的で豪快な男の間を行き来しながら、久住は年齢と経験を重ねてきたのだろう。『かっこいいスキヤキ』が刊行されたのは83年、まだ失敗が多かった『孤独のグルメ』は97年、「いったいいくつになったらボクは大人になれるのでしょうか」と嘆いていたエッセイ「釜石の石割桜」は00年、そして冒頭の食べログについての発言は今年、2014年のものだ。ちなみに食べログのサービスが始まったのは05年のこと。久住は現在55歳になる。
浅草キッドの玉袋筋太郎との「食べログなんてクソ喰らえ! 本当に楽しい酒の飲み方」と題された対談で、久住はこのようなことを言っている。
「入ろうかな、やめようかなって勝負して、えいやって入ってみて、時には失敗する。そうすることで何が鍛えられるのかって言うと、自分の好みがわかってくるんだよね。そうしたら、人の価値観に左右されなくなるんだよ」
年をとるということは、人の価値観に左右されなくなるということだ。食べることにこだわりがある人物ならば、独自の情報網も持っているだろうし、知識も蓄積されているだろう。さらに自分の好みがわかっていれば、自己充足度も高くなる。若者ほど、無知で、飢えていて、迷っていて、後悔も多い。筆者など40過ぎたいい年なのに、食べログを使っていてもまだ迷うし、後悔もする。大人への道は、まだまだ遠い。
(大山くまお)