『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』柴那典/太田出版

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女性声優の声をサンプリングした歌声と、なぜか長ネギを振ってる可愛らしいイメージキャラクター。浮かんでは消える“萌え”のアイコンがまた一つーーという第一印象を裏切って、初音ミクは音楽のシーンをまるっと様変わりさせてしまった。
初音ミクは、ヤマハが開発した音声合成技術を応用した製品群「ボーカロイド」のうち、北海道にあるクリプトン社が開発したもの。コンピュータを“歌わせる”ソフトウェアであり、これにより作られた曲を「ボカロ(ボーカロイドの略)曲」という。初音ミク以前にもあるにはあったが、ニッチ中のニッチ。それが今や、オリコンランキングのトップに躍り出ることも珍しくなくなり、カラオケに行ってもボカロ曲が充実しすぎて選曲に困るほど。
そんな日本の音楽カルチャーの転機は、2007年に訪れたという。違法コピーがはびこってCDが売れなくなり、「音楽の死」がささやかれていた頃だ。いったいなにが起きたんだ?

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』は、呆気にとられてる僕らにそれを教えてくれる本だ。キャラクタービジネスではなく、過去から未来へと脈々と続く音楽史の中で位置づける視点から。
本書の中で重要なキーワードとなるのは「サマー・オブ・ラブ」。アニメファン的には『エウレカセブン』で初めて聞いた言葉だったが(劇中では「史上最大の災害」という意味)ロックやクラブミュージックの歴史における一時代のこと。カウンターカルチャーとしての新たな文化を生み出し、熱気に満ちた時期を指している。
これまでサマー・オブ・ラブは2回起きた。最初は1967年からの数年、ベトナム戦争のさなかの反戦運動やドラッグ文化が混ざり合ってウッドストックで最高潮に達したもの。二度目は80年代後半のイギリスでテクノやアシッドハウスなどクラブミュージックが盛り上がったことだ。初音ミクは、20年周期で起こるその現象の“三度目”だというのだ。

本書の著者がスゴいのは、実際に前回や前々回のサマーオブラブ(数十年前!)に立ち会った人達に会いに行っていることだ。過去から現在へと続く音楽史の中に初音ミクを置くアイディアを机上の論に終わらせず「当時の熱気」を確かめに行っているのだ。
この試みは大正解だ。70年代のフォークロック黄金期を支えたエレックレコード・萩原克己社長の生前最後の証言を残したことで資料的価値もすこぶる高い。同時に、孤立した点に見えるムーブメントを繋ぐのが“人”だと示しているからだ。
三番目=初音ミクと以前のサマー・オブ・ラブに共通するアーティストはいないし、音楽的な関連も薄い。しかし、リアルタイムに莫大な熱量に触れた人の心は時空を超える。数々のボカロP(ボカロ曲の作者)やネット発のアーティストの曲をリリースしているユーマ社の社長・弘石雅和氏は二度目のサマー・オブ・ラブに触れた一人だが、初期のヒップホップを聞いた時「こんなに音数少なくてもいいの?」と思った感触が、初めてボカロ曲を聞いた時の感触に似ていたとか。以前のカオスを知る大人達が、新たなカオスの芽を育てたのである。
一方で初音ミクの“歌声”は、1961年にベル研究所でコンピュータが歌った(『2001年宇宙の旅』でHAL2000が歌う元ネタ)のを皮切りに、数十年の歳月をかけて築きあげられたものだ。『イーハトーブ交響曲』のソリストに初音ミクを起用して話題を呼んだ冨田勲氏も、71年にモーグ社のアナログシンセサイザーを個人輸入して以来の電子音楽との付き合い。まるで初音ミクの誕生をずっと待っていたかのようだ。

3つのサマー・オブ・ラブに共通しているのは、クリエイターが面白がって創造行為ができる「遊び場」だ。本書の第二部は、音楽シーン全体を変えるほどの「現象」がなぜ生まれたのか。ボカロP達がオリジナル曲を投稿し、それを他の誰かがアレンジしたり、絵のうまい人がイラストを描いたり、文才のある人が物語を作ったりと創造の連鎖に発展するための「遊び場」がどうやって作られたか、その謎解き編だ。
圧倒的に面白いのは、音楽業界を殺しかけた“犯人”であるはずのネット上での楽曲のコピーや違法ダウンロード問題が、新たな「遊び場」を整えるカギでもあったこと。
ちょうど2006年、初音ミク発売の前年にスタートしたニコニコ動画は、2ちゃんねる開設者のひろゆきが立ち上げに関わっていただけに「ユーザーが欲しがっているものはユーザーに作らせればいい」というCGM(消費者がコンテンツを作るメディア)文化と一緒に、著作権に大らかすぎる態度まで持ち込んでしまった。

そんなわけで2007年夏に、商用音楽を流用した動画のみならずMAD動画(ありものの動画を組み合わせて再編集したもの)が大量に削除された。しかし、そこからの動きが奇跡的だった。
「ニコニコ動画上で音楽をみんなで聴く環境がなくなるということは、すなわち『場』としての存続の危機にも繋がる事態でした。しかし、そこで初音ミクが登場した。それによってユーザーが本来の自分たちの目的をきちんと認識して、動きを変えたわけです」(株式会社ニワンゴ杉本社長)
“目的”とは、単純に音楽を聴くことでも聞かせることでもなく、日常的にみんなでひとつの話題を共有すること。2ちゃんねる譲りの「プロが作った」コンテンツの質にこだわらない空気は投稿の敷居を下げ、追い切れないほどのオリジナル曲や、イラストなど「創造の連鎖」が起こったという。誰も仕掛け人がいない、自然に沸き起こった「現象」だ。

商用のコンテンツが使えない穴を埋める「代用品」として受け入れられた初音ミクが、やがてボカロPの個人名がカリスマ性を持ち、「千本桜」や「カゲロウプロジェクト」が大ヒットし、JASRACに部分信託(ネットでの二次利用などの自由を残す信託)によりカラオケでの演奏が可能となり、高密度な楽曲作りがJポップそのものを進化させ……といったボカロ文化のサクセスストーリーは胸がわきたつ。が、「勢いのあるコンテンツには有能な人材が集まるよね」ふうの一般的な話とも言える。

一般的じゃないのは、初音ミクのムーブメントを目にして「なんじゃこりゃ」と思ったクリプトン社社長・伊藤博之氏による「遊び場」の環境づくりだった。まず氏が考えたのは「ルールを育てる」ことだ。自社で用意したコンテンツ投稿サイト「ピアプロ」におけるルール作りの工夫は二つ。ひとつは、「キャラクター利用のガイドライン」。「非営利」や「公序良俗に反しない」など一定の条件付きで、クリプトン社の持つ公式イラストの二次使用を「原作OK」としたのだ。
もう一つは、Aの作品をBが、それをCが……と元ネタが重なる「N次創作」について。ピアプロに投稿された音楽やイラストを、それを利用したニコニコ動画の掲載動画にリンクし、元ネタとなった親作品を関連付ける「創作ツリー」という機能を用意して、お世話になった作者に「ありがとう」というルールだ。
この二つは、いずれも二次創作ものの同人活動で一番のトラブルのもとだ。普通のメーカーはキャラクターの二次創作を嫌うし、法務部が動いて叩き潰すこともよくある。N次創作まわりでパクったパクられたの揉め事もザラだ。
しかし、同人を知らなかった伊藤氏は、「創造の連鎖」がコンピュータのオープンソース・ソフトウェアに似たものに見えたという。それは、沢山の参加者が少しずつ手を加え修正していく方式。コンピュータの技術のみならず文化もまた、初音ミクのムーブメントに合流したのだ。

著者の柴那典氏は、初音ミクのブームは2011年から2013年にかけて終焉を迎えるが、豊かなカルチャーは残るという。
「ボーカロイドの「現象」はなぜ生まれたのか? それは初音ミクというキャラクターがクリエイターたちの想像力を喚起したから。そして初音ミクという「ハブ」を元に創造の連鎖が起こったからだった」
そう柴氏が分析するように、創造の連鎖が起こる「ハブ」となった初音ミクほどのキャラクターは20年どころか50年に一度現れるかどうかも怪しい。その初音ミクも、ニコニコ動画の激変がなければ「遊びの場」を得られなかった。人ならぬ電子の声が生活空間に入り込み、「自分も創造に参加できる」という空気はユーザーをちょっぴりクリエィティブにした。それだけカルチャーに足跡を残せれば十分なのかもしれない。

しかし、初音ミクの記憶は、“次のサマー・オブ・ラブ”の準備でもある。セカンドの記憶を持つ大人たちが、ボカロPの商業デビューを後押ししたように。それにボーカロイドの技術が熟成に数十年かかったのだから、今もどこかで次の革命が用意されているはず。それは「音楽」の定義を外れるかも……そう未来への期待が膨らむこの本は読むべき!
(多根清史)