日本の代表イレブン (撮影:千葉格/PICSPORT)

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セルビア、ベラルーシに敗れた欧州遠征から4日が過ぎた。改めて、僕は今こそザッケローニ監督を続投させるか否かの議論を徹底的にすべきだと思っている。ここでやらなければいつやるのだという思いだ。
 
血の入れ替えのないチームからは覇気と危機感が失われ、出番を与えられない控え選手ばかりか、重用されている主力選手たちの中でも意識のバラつきが見える。メンバー生き残りをかけた緊迫感もなく、ピークを過ぎた仲良しチームのまま突き進もうとしている。このままでは、ただなんとなく8カ月が過ぎていくだけだろうね。今はまさに、阻止限界点というところだよ。
 
こうなった時に、我々第3者の立場、メディアの側がやれることは、組織の問題点を指摘し、大衆を巻き込んだムーブメントを作り、体制側にプレッシャーをかけることだ。それしかできることがないとも言える。そうしたプレッシャーが、監視の目となり、監督や選手はその緊張感の中で最高のパフォーマンスを発揮し、できなければ任を解かれる、というのがプロの世界なはずだ。
 
残念ながら、日本のスポーツにはそうした文化がまったく育っていない。ザッケローニも拍子抜けしているんじゃないかな。彼の母国であるイタリアや、ブラジルでは、これだけの低調ぶりとなれば、もっと厳しい質問が記者から飛び、解任の流れが作られているだろうね。強豪国はそうやって研鑽していることを忘れてはならない。

日本代表監督は、一度サインしてしまえば世界一安泰な職業だ。97年の加茂監督更迭以外、この20年の中で途中解任はない。ジーコ時代も岡田時代も、どんなにひどい結果と内容でも、途中でクビを切られることはなかった。

Jリーグのチームでも、降格しそうになれば監督を代える。ドラスティックにクビを切ることがあるよね。それが必ずしもすべてうまくいっているわけではないけど、そちらのほうが本来あるべきプロの姿であることは間違いない。ザッケローニ個人がどうこうという問題ではなく、この構造、悪しき習慣が何よりも問題だと言いたいよ。
 
監督を代える権利があるのは、組織の中の人たちだ。第3者である僕やメディアのできることは、外野で指摘することだけ。だからこそ、言い続けなければならない。代表チームはもとより、それを見る視線、つまりメディアとファンの視線のレベルを上げなければ、この国はこれ以上強くなれないね。