社会学者 古市憲寿氏

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今の若者の多くはけっこう楽しく暮らしています。消費生活の面でなら、今の日本は史上最も豊かな時代にあるといえます。

僕はそう思うのですが、こうした見方は滅多にされません。逆に、世代間格差が開いて若者はかわいそうだ、明るい将来を見出せない若年層は悲惨だ、などといった同情の声ばかりを聞きます。けれども僕は、自分や自分の周りを見て、若者がそこまで不幸せだとは感じないのです。

内閣府の「国民生活に関する世論調査」(2011年度)では、20代の約73.5%が現在の生活に「満足している」「まあ満足している」と答えています。この数値はどの時代よりも高く、かつ、グラフからわかるように20代の満足度は上昇し続けています。不況や財政赤字や原発問題など、絶望的と言われる状況がたくさんあっても、今の若者の大半は満足しているわけです。

■漠然とした「不安」はあるが、具体的な「不満」はない

僕は若者への同情の声に違和感を覚え、当事者の心象風景を『絶望の国の幸福な若者たち』という若者論の本にまとめました。反響はかなり大きくて、多くのメディアが紹介してくれ、取材も発売から約半年で100回近く受けています。同じ世代の読者からは「言葉にしていなかったことを言葉にしてくれた」といった感想をよく聞きます。上の世代からは「若者の気持ちがわかった」という感想を主にいただいています。

若い読者から「こんな当たり前のことを書いた本が、なんで話題になるのかわからない」とも言われました。本を書いた僕自身も、「そうだよね」と思います。デフレが進み、そこそこの品質のモノをそこそこの価格で買えるようになりました。今の日本はお金のない若者にとっても暮らしやすい消費社会なのです。

また、若者の消費概念がだいぶ変わりました。都心部で車を買うのは意味がない、外食でなく家でご飯を作ればいい、ブランド物を買って自己実現という感覚が理解できない。そんなふうに今の若者は思っています。そのかわり、携帯電話の通信費をはじめ、誰かとつながるための出費は惜しみません。握手券を売っているともいえるAKB48、遠足気分で買い物ができる会員制倉庫型店舗のコストコなどの人気にも、そこにつながりやコミュニケーションを求める消費者意識が読み取れます。

職業生活に関しては、「ホリエモン」のような成功モデルの魅力が薄れています。大金持ちに憧れて、ベンチャー企業を起こそうという若者はあまりいません。新入社員の意識調査では、明らかに安定志向が強まっています。内閣府の「国民生活に関する世論調査」の別項目では、日常生活で「悩みや不安を感じている」と答える20代の率が、1990年代の半ばから上昇傾向にあります。不安な時代だからこそ安定を求めるのは、ごく自然なことでしょう。

若者の安定志向や物欲のなさは、世代論的にも説明できます。単純な話で、そもそも僕と同い年くらいから、バブル景気の時代が肌感覚でまったくわかりません。もの心がついてから元気な日本の姿を一度も見ていないため、今が不遇の時代という意識を持ちようがないのです。就職が大変なことも、世代間格差についても、それは当然の前提すぎて、さほどの怒りを覚えません。漠然とした「不安」は感じても、いつの何とくらべてこうという思考回路がないので、具体的な不満にならないわけです。そこで現在の生活はどうかと聞かれたら、「満足」「まあ満足」と答えてしまいます。

若者のうちはそれでもいいかもしれない、しかし中年になったら同世代間の収入格差がはっきりし、結婚をしている/していないで従来の友達関係も続かなくなるものだ、という指摘があります。それに対して僕は、予測は難しいのですが、意外と現状に満足したまま歳をとっていくのが今の若者かもしれない、という気がします。一生シェアハウスで暮らすのでもいい、結婚しなくてもいい、という新しい価値観が出てきているからです。

統計を見ても、平均初婚年齢は明白に上昇しています。10年の段階で、夫が30.5歳、妻が28.8歳という数値(概数)になっています。「50歳時」で結婚したことのない人の割合を算出する生涯未婚率も上がっています。05年のデータは、男性が15.96%、女性が7.25%です。もちろん、お金がなくて結婚できない、という状況はあります。ただ、結婚できないのと結婚したくないのとは、なかなか切り分けられません。

生活の満足度についても、心から満足しているのか、それともあきらめて「満足」と答えているのか、そこは表裏一体です。人は、欲望を前面に出したり引っ込めたりして、したたかに現状適応しようとするものです。今の日本の若者は、自分の期待値を下げて現状に適応しようとしているのではないでしょうか。

■就業者の9割は「雇われ」。保守化は社会全体の傾向

経済の視点からすると、そんな若者ばかりが増えてしまったら消費が減退して困る、となります。けれども、若者の価値観の変化を嘆く前に、企業はビジネスの方法を省みたほうがいいように思います。もし、昔ながらの欲望をプッシュする方法で商品を売り込もうとしていたのなら、売れないのも仕方ありません。今の若者の意識に対応した商品、つながりやコミュニケーションの求めに応えたサービスはしっかりと売れているのです。

そのような商品が提供するつながりやコミュニケーションは虚構にすぎない、非正規雇用や結婚難の問題に取り組まなければ日本の階層社会化がより進む、という学識者やジャーナリストの指摘もあります。階層社会化の進行については、僕もそうだと思います。80年代以降から、明らかに親の職業と学歴が、子供の学歴と職業に連関しています。ただ、それに気づいて今の社会を批判するのは、教育歴の高い人ばかりです。教育歴が低い人は、是非は別として、そういうマクロな構造になかなか気づきません。

気づいたとしても、例えば不安定な非正規雇用の身から脱出して、キャリアアップを図っていくルートが見つけられるでしょうか。実際は、糸のように細い道しかありません。これまで何度か起業ブームもありました。ところが、実際の起業数は増えていません。それよりもすごい勢いで、自営業者の数が減っています。就業者総数に占める雇用者の割合は上がり続けていて、もはや約9割が雇われの身分です。そんな社会にあって、「若者が保守化した」「若者にハングリー精神がなくなった」と批判しても無意味です。日本社会全体が保守化しているのだから、若者の保守化も当然だと思います。

お金も人脈も決定権もある立場の大人が、「満足」と「不安」を同時に抱えている若者をどうにかしたいのならば、「もっと任せたらいい」と提案します。責任は自分が取るから君がやってみなさい、という形でしか人は成長させられません。ただ単に「がんばれ」と言っているだけでは無責任です。具体的にチャンスを与えることが肝心です。

経営が悪化したので若年層の採用を縮小する、というやり方はまったくナンセンスです。それは会社の持続可能性の放棄ではないでしょうか。意思決定できる立場の大人は、自分たちの老後や会社の将来を考える上で、若年層をエンパワーメントすることが合理的です。若者のためでなくても構いません。自分のために若者を育てていく必要があります。

また、長時間に及ぶ重要な国際会議では、相手国の渉外担当者よりも日本の担当者がずっと年長で、最終的には若いパワーに根負けしてしまうことが少なくないと聞きます。ならば、こちらも若いパワーで対抗したらどうでしょう。どんなに価値観が変わったとはいえ、日本の若者にも体力はあります。若者に重荷を背負わせたらいいのです。

チャンスも与えずに「がんばれ」と言う大人しかいないのなら、僕は若者の現状を肯定して「あきらめる」選択肢を提示します。

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社会学者 古市憲寿
1985年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。著書に『希望難民ご一行様』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)がある。

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(社会学者 古市憲寿 構成=オバタカズユキ 撮影=小原孝博)