「なんで足がないの?」。子どもからの素朴な質問よりも、大人の「かわいそう」という眼差しや「健常者と同じことを求める」空気感に傷ついてきたという義足のダンサー・大前光市さん。しかし、次第に「普通か否か」という枠にとらわれない「特別枠」という発想を意識できるようになったそうです。

【写真】「圧巻」光る義足をつけ唯一無二のダンスを見せる大前さんに「思わず目を奪われる」(10枚目/全14枚)

「なんで足がないの?」という言葉よりも

普通にとらわれず個人の表現をする唯一無二の存在

── プロのダンサーを目指して大阪芸術大学・舞台芸術学科舞踊コースを卒業し、ダンサーとして活動していた大前さん。24歳のときに、ずっと憧れていた方が新たにプロのダンスカンパニー「Noism」を立ち上げ、創業メンバーに応募されます。しかし、最終オーディションの2日前に暴走運転の車にはねられ、左膝から下を切断することになりました。

退院後は義足をつけてバレエをするも、健常者と同じように踊ることがよしとされる空気に限界を覚え、28歳のときに脱退。年1回の「Noism」のオーディションは毎年受け続けましたが、4年目のときに「ここでは無理」と宣告を受けました。

新たな道を模索するなかで、20代後半になって現在所属している「Alphact」というアーティスト集団に入ったことで、大きく流れが変わったそうですね。

大前さん:今までやってきたバレエのように「見本」にどれだけ近づけるかで評価されるのではなく、僕の個性を認めてくれる仲間に出会えたことで、自信を徐々に取り戻していきました。

── その後は舞台を重ね、大前さんにしか表現できない唯一無二の表現が開花していきます。2016年にはリオパラリンピックの閉会式に、17年の紅白では平井堅さんの歌と共にダンスを披露するなど大きな話題を呼びました。さらに講師やワークショップでも活躍の場を広げていきますが、子どもたちから必ず聞かれる質問があるとか。

大前さん:「なんで足がないの?」って必ず聞かれます。「車にはねられてなくなったんだよ」と説明しますが「痛くないの?」と続きますね。

印象深かったのはある小学校を訪問したとき。義足を外した僕の足を見て、小学1年生の男の子が「なんか、豚みたいやなぁ」と言ったんです。先生たちは凍りつきましたが、僕は「そっかぁ、たしかにそう見えるよね」と笑ってレッスンを続けました。僕の左足の断端(切断した際、残された足の先端部分)は義足をつけるために中心が凹んでいるので、その子にとってそう見えたんですかね。悪意がないこともわかるので、そう言われても別になんとも思わなかったですね。

── 純粋に質問してきただけだと。では、大人が「かわいそう」といった反応をすることもありますか?

大前さん:今は、僕に初めて会う人は僕のことを知ってて会う人がほとんどだからあまりないですが、以前はありましたよ。あからさまに蔑んだ眼差しや差別を感じたこともあったし、当時バレエを辞めた理由も、健常者と同じダンスができずにかわいそうといった空気があったからです。

普通かどうかじゃない「特別枠」という発想

2025年の舞台のときの写真

── 障がいがある方にどう接していいか迷う、という人もいそうです。

大前さん:いるでしょうね。僕も24歳で事故に遭うまで、足を切断した人に会うことはほぼなかったので、当時義足を着けた人に会ったら戸惑ったかもしれません。わからないものって不安じゃないですか。でも、昔に比べて街中で車椅子に乗っている人も見かけるようになったし、杖で歩いている人を見ても怖がらないですよね。義足も同じように見慣れたらいいのかな、とは思うんですけど。

── 改めて、事故から20年以上経ちますが、ご自身の人生を振り返ってどう思いますか。

大前さん:事故で左足を切断して、ダンスを続けていてよかったと思います。事故から20年以上経って、年齢を重ねたから言えることかもしれませんが。障がいを抱えたことで今までやってきた自分では通用しなくなり、大きな変化をしなければいけなくなりました。手探りで新しい自分を模索しながら、何度も傷つき、人を疑ったり、時には感謝しながら必死に自分の居場所を見つけたんです。不安だった状態から安心を掴んだことは大きな自信になりました。ここに辿り着くまで10年かかりましたね。

あとは、これも今だから思えることかもしれませんが、結果的に面白い人生になったと思います。

── 面白い?

大前さん:はい。僕は左足を切断して、当初目指していた方向とはまったく別の人生になりましたが、それも面白いというか。もし、僕が事故に遭わずにオーディションに受かっていたら、たぶん普通のダンサーになって、引退後は指導者になっていたかもしれないです。もちろんそれはそれで全然アリです。でも、今の僕は「義足のダンサー」として、ある種の特別感があるし、ありがたいことに周りから必要とされることも多いです。

先日も障がい者のダンスバトルの大会があって会場に駆けつけましたが、そこで僕は英雄なんですよ。みんな「写真撮ってください」って来てくれて、悪い気はしないですよね。自信が持てるし。僕は1回バレエから逃げましたが、その後、アーティスト集団「Alphact」という自分に合った居場所を見つけ、環境がどんどん好転していきました。環境の影響も本当に大きいと思います。

あと、自分の視野も広くなりました。「普通かそうじゃないか」「健常者か障がい者か」だけではなく、「どこに当てはめなくてもいい。特別枠があってもいい」と思えるようになったんですよね。人に対して姿・形だけで見るのではなく、本質で見るようになったと思います。

結果として、面白い人生になった

── その心境に行き着くまでに、ダンスを辞めようと思ったことはありますか?

大前さん:なかったですね。一度バレエは辞めましたが、ダンス自体は種類を変えて続けています。ダンスだけで食べていけるまでいろいろなアルバイトもしていて、テレフォンアポインターのバイトもしたことがあるんです。体に負担が少ないし、バイト中は足への意識が消えましたよ。でも、僕はダンスの世界で勝負がしたかった。ダンスの世界で認められたかったし、証明したかったんです。

また、ダンスを始める前は小・中学校といじめに遭っていた時期がありました。一つ年上の姉に発達障害があって、「お前の姉ちゃんはアホだから、お前もアホだ」って暴言を吐かれていて。学内の劇で準主役を演じると、みんなが僕を見る目が変わりました。ピタッといじめがなくなって、どん底から這い上がったような気持ちになったんです。みんなを見返すことができた経験がずっと生きています。だから僕は僕のやり方で見返してやろう。見返すことができれば変わるはずだ。そんなモチベーション、負けず嫌いが今もネチネチ続いている感じです。

── 負けず嫌いがポジティブに生かされて。

大前さん:そうだと思います。紆余曲折あったし、ここまで来るのにかなり時間がかかりましたが、結果、今は面白い人生になったと思っています。

取材・文:松永怜 写真:大前光市