1日20回くらい「早く死んでくれないかな」と…90歳の祖母が認知症→自宅で介護→大変すぎて不眠症になった人気インフルエンサー(37)が語る、“壮絶な介護生活”の始まり〉から続く

 Xのフォロワー数130万人超えの人気インフルエンサー・カマたくさん(37)。2022年9月から認知症の祖母(当時90歳)を在宅介護することになった。しかし、あまりの大変さに不眠症になり、1日20回くらい「早く死んでくれないかな」と思いながら介護していたという。

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 今年4月には、その介護の日々を赤裸々に綴った書籍『施設がそんなにダメですか? 〜認知症になった祖母の地獄の在宅介護〜』(ブックマン社)を上梓した。

 認知症になった祖母は、どのように状態が変化していったのか。在宅介護の過酷さに直面した家族は、どのような対処をしていたのか。カマたくさんに詳しく話を聞いた。(全4回の2回目/3回目に続く)


人気インフルエンサーのカマたくさん ©杉山秀樹/文藝春秋

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「何かを盗まれた」という妄想が始まり、携帯電話の使い方がわからなくなり…

――おばあさまと同居を始めたころ、認知症の症状はどのような状態だったのですか。

カマたくさん(以下、カマたく) 最初の方は「いつものおばあちゃんだな」と思っていたんですけど、寝起きの時とか、たまに私のことがわからないことが出てきて。

 あとは自分がいる場所がわからなかったり、引っ越してきて1ヶ月くらい経ったあとに「まだ3日しか経っていない」と思っていたり。

 そのうち「何かを盗まれた」という妄想が始まったり、ついさっきまで携帯電話を使っていたのに、急に使い方がわからなくなって混乱してしまったりもしましたね。

自分の親や兄弟が生きている頃の娘時代に戻ってしまうことも

――症状が一定なのではなく、波がある感じだったのでしょうか。

カマたく 「今日はマシだな」とか「今日はひどいな」という風に、まだらな感じでしたね。その場その場で会話はできるし、質問をしたら返ってくる。

 でも引っ越してきて5、6ヶ月経った頃からは、記憶の時系列がずれてくるというか、まだ自分の親や兄弟が生きている頃の娘時代に戻ってしまったりするんですよ。

「自分のお姉さんに電話しなきゃ」と言い出した時に「もう亡くなっているでしょ?」と伝えると泣いてしまうので、話を合わせて「もう夜遅いし、今日はいいんじゃない?」とか言って納得をしてもらったり。

「誰よアンタ!!」と叫ばれ、祖母のために作った味噌おにぎりをスマッシュされ…

――泣いていることもよくあったのですか。

カマたく 日に日にできないことが増えていく自分自身に対して、恐怖や不安があったのか、急に泣き始めることもありましたね。

――これまでと比べて怒りっぽくなったりしましたか。

カマたく 「易怒性(いどせい)」というらしいんですけど、認知症になってからは常にイライラしたり、怒っていたような気がします。もう常に「アンタ誰!?」と叫ばれるし、叩かれるし、「クイックルワイパー」を顔にキュッキュされながら起こされるし(笑)。

 ある日、「お腹が空いた」と祖母が言うので「何が食べたい?」と聞くと、「おにぎりならなんでもいい」と言ったんですよね。だからおいしいおにぎりを食べさせてあげたくて、ごはんを炊いて、昔、祖母が私に教えてくれた思い出の「味噌おにぎり」を作ったんです。

「おばあちゃんできたよ〜♡」と渡しに行ったら「誰よアンタ!!」と叫ばれて。「パーン!!」とおにぎりを叩かれてスマッシュされてしまったんですけど、味噌おにぎりって壁がすごく汚れますね(笑)。

紙パックの牛乳をスプリンクラーみたいに撒き散らしていたことも…

――わあ……。

カマたく 私が仕事を終えて夜中に帰宅すると、キッチンの電気が点いていたので見にいくと、なぜかそんな時間まで起きていた祖母がストロー付きの紙パックの牛乳をシャカシャカ振って、スプリンクラーみたいにキッチンに撒き散らしていたこともありました(笑)。

 全部撒き終わったのを見届けてから「おやすみ♡」と言ったら、「おやすみ♡」と返ってきましたけど、そのあと真夜中にキッチン掃除しましたよ、私。朝起きて母がこの惨状を見たら卒倒すると思ったので(笑)。

「監禁されてる」「虐待されてる」と6時間ぶっ通しで叫び続け、“ご近所騒動”に

――物を投げたり部屋を汚すことも多かったのですね。

カマたく そうですね。勝手に外に出て行こうとすることもあったので、玄関のドアを三重に施錠して、GPSをいくつも買って、祖母のカバンとか靴とかに付けまくったんですけど、そういう時にかぎってカバンを持っていかないとか、違う靴を履いて行くとかするんですよね(笑)。

 あとは、外に出ようとしたらセンサーが反応して大きな音が鳴るようにしてみたり、色々と認知症対策グッズを探して。ネットで調べると、いろんなお助けグッズが出ているんです。

 その頃の祖母は、だんだんと「ひどいことをされている」という被害妄想も強くなって、昼夜問わず大暴れするようになって。

 窓から「監禁されてる」とか「虐待されてる」と6時間ぶっ通しで叫んだりするようにもなったので、心配したご近所さんが「大丈夫ですか!?」とうちに入ってきたこともありました。

――結構大ごとになってしまったのですね。

カマたく そうなんですよ。苦情が直接来たわけではないんですけど、マンションのエレベーター内に「騒音で困っている人がいます」というような掲示がされていたこともあり、母がそれをすごく気にしてしまったんです。

 また、認知症の「ターゲット症状」や「介護者への選択的攻撃」と呼ばれるものだそうなんですけど、祖母は、一番近くで面倒を見てくれていた実の娘である母に対して、ものすごく強く当たっていたんですよね。

 私がいる時はそこまでではなかったんですけど、母に対してはずっと怒っていたらしくて。祖母に引っ張られて、母の腕がアザになっていたこともありました。

母のストレスが限界に達して、突発性難聴を発症

――お母様にとってかなりのストレスだったのでは。

カマたく 母は、私に愚痴を言うようなタイプではなく、悩みを聞いたこともありませんでした。2、3ヶ月はなんとか耐えていたんですけど、母のストレスが限界に達してしまって、突発性難聴を発症したんですね。突然、両耳が全く聞こえなくなっちゃって。先ほどもお話しした通り、母は以前に小脳の腫瘍で倒れているので、心配でした。

 だからその時期はもう、なるべく2人が同じ空間にいないように、接点が減るように工夫して生活していました。

 私が夜中に仕事を終えるので、帰ってきてそのまま祖母が朝ごはんを食べるのを見守り、少しだけ仮眠して、その後また祖母のお昼ごはんの時間になったら起きて準備して……みたいな感じで。

カマたくさんは不眠症になり、姉は祖母に振り回されて過呼吸に…

――カマたくさんはあまり眠れていなかったのではないですか。

カマたく ずっと付きっきりで見ているのと、寝ていても起こされるので、眠れない日も多かったんです。「クイックルワイパー」で顔を拭かれたら眠れませんよ(笑)。だからもう不眠症になってしまって、睡眠導入剤に頼る日々でした。

 近くに住む姉も、子育て中だったけど、この時期にすごく積極的に介護に来てくれていたんです。でも、数分ごとに感情が変わる祖母に振り回されたり、突然「私は虐待されています!」と叫んだりされるので、過呼吸になってしまって。

――ご家族は極限の状態だったと思いますが、お母さまやお姉さまとの雰囲気が悪くなるようなことはなかったのでしょうか。

カマたく 仲が悪くなることはなかったですね。むしろ、結束が強まったというか。基本的に、家族間で押し付け合うようなことはしないし、「自分よりこの人の方が大変だろうから」と相手を思いやれるような関係なので、みんなが「それぞれやるべきことをやろう」と冷静に対処をしていたと思います。

 私自身は大丈夫だったんですけど、私は何より母が崩れていくのが一番しんどかったんです。もちろん祖母のことも心配ですけど、とにかく「この状況で母をどう支えるか」というのが私にとっては一番大変でした。

「本当にキツかった」想像以上に大変だった在宅介護

――実際に在宅介護を経験してみて、想像以上に大変でしたか。

カマたく そうですね。「対戦相手がニワトリだと聞いていたのにダチョウが出てきた」くらいのギャップです(苦笑)。本当にキツかったです。

 祖母の認知症の症状は結構、激しいタイプで、「しゃべる、動く、騒ぐ、殴る」というアグレッシブな症状が主だったので「思ったよりすげえな」と思いましたけど、とにかくやるしかないという感じでしたね。

心の中で「大好きだったおばあちゃんはもう死んだ」と思うことにした理由

――カマたくさんとお母さまは、おばあさまを在宅介護するうえでどんな心構えでいたのですか。

カマたく 私と母親は似ているので、悩んでも仕方がないことでは悩まないタイプなんですね。それよりも、実際に起きている問題に対してシステマチックに対応しようと考える方だし、祖母が変わっていくことで悩んだりはせず、病気だから仕方ないよね、と考えていました。

 祖母に「アンタ誰!?」と叫ばれた時、心の中で「大好きだったおばあちゃんはもう死んだ」と思うことにしたんです。今、目の前にいるのは「ご縁あってお世話をすることになった認知症の高齢女性だ」と。

――それは自分の心を守る防衛本能のようなものだったのでしょうか。

カマたく 多分、そうだと思います。おばあちゃんが変わってしまったことを真に受けて感情で受け止めてしまうと辛いんですけど、感情で受け止めなければ耐えられるので。

ストレスでボロボロになり、1日20回くらい「早く死んでくれないかな」と…

 正直、私も母もストレスでボロボロになっていた時期は、1日に20回くらい「早く死んでくれないかな」と思っていました。

 もちろん、言動や態度には一切出しませんでしたけど、人格が秒単位で変わってしまうので、私が大好きだったおばあちゃんは私の中にもういないわけです。

 情があったら、在宅介護なんて続かないと思います。そうしなければやりきれなかったんですね。

――SNSでおばあさまの介護のことを発信しようと思ったのはどうしてでしょうか。

カマたく 単純に「笑い話にしたら面白いな」と思ったくらいですかね。それがストレス解消になったというか、しんどいことや疲れることがあった時に、面白い話として上書き保存するのが得意なタイプなんですよ。

 介護ってやっぱりしんどいんですけど、「これは面白いことだった」という風にしてしまえば、「面白かったこと」として自分の中で処理ができるので、そうしています。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

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(吉川 ばんび)