23歳で顔面麻痺・左目失明「当時は鏡を見られなかった」女性を変えた子どもの素直な「なんで?」
「とても鏡を見ていられなかった…」。瀬戸山陽子さんは23歳の時に受けた手術の後遺症で顔面神経麻痺や歩行障害、左目失明に。現実が受け入れられず、麻痺を隠すためにマスクをするも「自分は隠すべき存在なのか」と苦悩したそうです。そんな彼女を救ったのは、子どもたちのあまりに素直な言葉だったそうです。
【写真】後遺症を患う前、カメラの前で屈託のない笑顔を見せる瀬戸山さん(6枚目/全11枚)
中学3年時にわかった脳の血管の奇形
── 脳血管の奇形によって中学生の頃から大学を卒業するまで計4回手術されたのち、後遺症として左耳の難聴、顔面神経麻痺、左目の失明、歩行障害が生じ、現在は杖を使って歩かれているそうですね。初めて体に異変を感じた時の状況を教えていただけますか?
瀬戸山さん:中学3年生の時に左の奥歯あたりに痛みが生じて、初めは虫歯かと歯医者を受診したんです。でも原因がわからず。1か月後には食事がとれないほど痛みがひどくなりました。いくつも歯医者を回るなかで、脳外科の受診を勧められて。MRIを撮ったところ、脳の血管に奇形があることがわかりました。手術して学校に復帰しましたが、後遺症で左耳が聞こえなくなりました。
後遺症の影響で方向感覚が鈍ったり、音が過剰に反響して聞こえたりしましたが、日常生活は普通に送れていたので、当時はそこまで深刻に悩むことはなかったんです。高校進学後はサッカー部に入って楽しく過ごしていました。ただ再び顔の痛みに悩まされ、高校3年生で2回目の手術を受けました。
4回目の手術後に飲もうと思った水がこぼれて
── 病気により医療従事者との関わりが多かったことから、高校卒業後は看護師を目指すことに。手術の影響で1年遅れて看護大学に入学されますが、大学在学中にも2回の手術を受けたそうですね。
瀬戸山さん:中学の頃から合わせて計4回受けましたが、23歳の時の4回目の手術で、いろいろな変化がありました。手術の後遺症で顔面神経麻痺になり、左の顔が動かなくなって、歪んでしまったんです。小脳失調(身体のバランスや運動の調節を担う小脳の障害)の影響も出て、立とうとしてもふらついてしまい、とてもひとりでは歩けない。さらに顔の筋肉が動かないことで角膜に傷がつき、左目も失明してしまったんです。
── 過去に3回手術を受け、左耳が難聴になったものの生活に支障はなかったのに、4回目ではそこまで大きな影響が…。まず、顔面麻痺はどの段階でわかったのでしょうか?
瀬戸山さん:手術後のことは記憶が曖昧ですが。たしかベッドサイドで水を飲もうとしたら、口からこぼれてしまったんです。その後、看護師が手鏡を持ってきてくれて、自分の顔を見ながら麻痺について説明を受けました。でも鏡に映った自分の顔があまりに衝撃的で、状況はすぐには受け入れられませんでした。鏡を見ながら顔のマッサージをするように言われましたが、とても自分の顔を見ていられなかったですね。
さらに、顔面神経麻痺の影響で左側の筋肉が動かないから、左目がずっと開きっぱなしなんです。瞬きができなくて目が乾き、とても傷つきやすい状態でした。左目については顔面神経麻痺の二次的な影響だと思いますが、後に視力が低下して見えなくなりました。
ふらつきがあると気づいたのは、術後数日経ってからです。血圧が安定しているのに、体を動かそうとするとヨロヨロする。ひとりで歩ける状態ではないことから、小脳失調の疑いがあると言われました。
妬ましい、羨ましい、そしてしんどい…
── 世界が一気に変わってしまったんですね。
瀬戸山さん:当時、看護大学に入って医療の世界に片足を突っ込んでいたこともあり、手術のリスクは知識としては知っていましたが、非常にショックでした。入院中に学校の先生や友達がお見舞いに来てくれても、見かけが大きく変わっているので人に会う気は起きず、母に頼んで帰ってもらっていました。
その後、杖を使ってひとりで歩けるようになって、入院から3か月で退院しました。しかし、顔面神経麻痺の症状は回復したわけではありません。街に出れば、知らない子どもが私の顔をジッと見て「変な顔」と言ったり、何か言いたそうな子どもを保護者が察して引き離したり。普通に笑っている人を見ても、自分はもう2度と以前のように笑えないと思ったし、妬ましい。羨ましい。しんどい。いろいろな感情が湧き起こりました。麻痺を隠すためにマスクをしたこともありますが、自分を隠さなきゃいけないものだと意識してしまって、自分がつらくなるだけでした。
大学に復学も卒業後は看護の道を諦めて
── 想像を絶するものがありますが、大学復帰でも高い壁があったそうですね。
瀬戸山さん:療養期間もあったので、2つ下の学年に復学することを考えましたが、そもそもこの身体機能で看護師になれるのかなと。
私も当時すごく看護師になりたいというより、大学を辞めて自分の居場所がなくなる恐怖が強く、「復学したい」と伝えました。
── ちょうど「看護実習」が始まる寸前だったとか。
瀬戸山さん:そうなんです。看護実習は慢性期や急性期など、いくつかの科を2、3週間かけて回り、実際に患者さんの介助やケアもするんですよね。私は実習で必要な手技が一人でできない状態だったので、看護師の資格を持った介助者の方についてもらうことになりました。
私ができないこと、たとえば患者さんを車椅子からベッドに移乗するとか、ベッドサイドで体を起こすとか主に体を使うことは、その方にやっていただきました。20年以上前のことですが、かなり融通を効かせてもらいながら、無事に実習が終わりました。
── 周囲のサポートもあり、懸念だった看護実習が終了。その後は看護師になるため、国家試験の勉強に励んだのでしょうか?
瀬戸山さん:いえ。現実的に臨床の看護師になることは難しいと思っていました。かといって将来の方向性は何も決まっていなくて。周りが国家試験に向けて頑張る中、私は逃げるように大学院に進学をしました。
大学院に進学する前ですが、大学在学中に所属大学の研究で「子どもに体のことを教えよう」というプロジェクトがはじまり、手伝わないかと教員に声をかけてもらったんです。5、6歳児の子どもに絵本を読み聞かせながら、脳や神経、骨や筋肉など体について教えていると聞き、やってみようかなって。
「筋肉ないの?」子どもの素直な言葉に
── とても有意義な研究だと思いますが、先ほどの子どもの言動のように、傷ついてしまうこともあるのでは…?
瀬戸山さん:周りから「物好きだね」って言われたし(笑)、実際活動をはじめてみると、やっぱり子どもにジッと見られました。私は笑うと右の口角が上がって左が下がるので顔真似をされることもあって。でも、この活動自体は面白かったんですよ。
あるとき、お話会に参加した子が私の顔をジッと見て「どうしてそういう顔なの?筋肉ないの?」って聞いてきたんです。すごいなって思って。ちょうどその日のお話会では筋肉について説明していて、「笑った顔も怒った顔も筋肉があるからなんだよ」という話が出てきていたので、純粋に質問してくれたんだと思います。
「そうなの。筋肉がないわけじゃないんだけどね」と自分の症状について説明しました。大人は触れちゃいけないと腫れ物のように扱うところを、子どもは素直に聞いてくる。とてもびっくりしましたが、体の仕組みでそうなってしまっていると伝えると、その子なりに、理解してもらったようで私自身が救われた気がしました。
その後もほかの子どもたちが私の顔を見ては「なんで?」と聞いてきましたが、私も説明しながら「筋肉は動かないけど、やっぱり変な顔って言われると悲しい気持ちになるんだよね」と、自分の気持ちを次第に言えるようになりました。
── 瀬戸山さんにとっても大きな変化というか。
瀬戸山さん:そうなんです。その後も顔の麻痺を受け入れるまでずいぶん時間が掛かりましたし、今でも嫌だなって思うことは時々あります。でも、その時の経験が前を向く大きなきっかけのひとつになった気がします。
顔の麻痺で誰にも会いたくないし、子どもの言動や周囲からの視線に気持ちがこわばることもありました。でも、子どもに体のことを教えるプロジェクトに参加したことは、私自身が逆に励まされる出来事でした。
── 瀬戸山さんがうちにこもらず、外の声を聞いたことも大きかったのでは?
瀬戸山さん:ありがとうございます。そういった面もあったかもしれないですが、その時の思いや行動は、人によってそれぞれです。ご縁や出会いがあったことはありがたかったと思っています。
── 改めて、今までの人生を振り返ってどう思いますか?
瀬戸山さん:今は病気にならなかった日々が考えられないです。もちろん顔の麻痺で誰にも会いたくない時期はありましたし、今でも顔に痛みはあります。食事はうまく食べられず、ポロっとこぼれることも。
手術を経て大学復帰した当時も、2つ学年を下げたので、同級生は先に卒業して看護師に。「夜勤が大変だ」「処置が難しい」という会話を聞いては、ずいぶん置いて行かれた気持ちにもなりました。
でもそれは一時期のことです。たくさんの人がいる世の中で、病気や障害を患ったことで出会った人もいますし、勉強させてもらっている気持ちもあります。外見でわかる、わからない関わらず、みなさんいろいろな思いを抱えながら生きている。「外から見えても見えなくてもみんないろいろあるよね」と思えるようになりました。
取材・文:松永怜 写真:瀬戸山陽子

