11月5日、毎日新聞が配信した記事に誤りがあったとし、記事を削除した。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「全国紙が裏取り取材をしない『こたつ記事』を配信しただけでなく、誤報を出してしまったことは非常に問題がある。新聞の武器は要所に張り巡らされた取材網にあるのだから、従来の強みを活かした記事をこれからも作って欲しい」という――。
写真=共同通信社
2019年5月27日、毎日新聞社東京本社の外観 毎日新聞社東京本社の外観・資料 - 写真=共同通信社

■全国紙が“なりすましアカウント”に騙された

メディア業界を揺るがす一大事である。

毎日新聞が人気アイドルグループのSNSアカウントの発信をもとにしたニュースを11月5日11時47分に配信した。しかし、このアカウントはなりすましアカウントであることが発覚し、同日15時に記事を削除。その後、「【削除】Snow Man・渡辺翔太 32歳の誕生日に「感謝だらけの日々です」 メンバーやファンから祝福の声」という訂正記事を配信した。

私の古巣でもある全国紙の一角を占める新聞社がSNSやメディアの発信だけを頼りにして、裏付け取材もしない「こたつ記事」の配信に走っただけでなく、堂々と自社サイトで誤ったニュースを掲載してしまった。

毎日新聞の場合、取材記者が書いた記事は原則記者の署名が記される。芸能ニュースを配信していた「エンタ・ボックス」というコーナーには署名もなく、毎日新聞の関係者によると外部のコンテンツ制作会社が制作していた記事だった。外部だからといって、問題の深刻度は変わらない。

私が教わってきた全国紙の取材の鉄則に従えば、裏付けの取れていないSNSをもとにしたニュースを流すことはまずない。

お気楽で一歩も外に出ず、複数の情報に当たることもない「こたつ記事」は軽蔑の対象だった。アイドルグループの発信は確かに多くの人の耳目を集める。その意味ではニュースバリューはあるのだが、仮に流すのならば少なくとも所属事務所に確認の電話の一本くらいは入れる。当人のアカウントか否かは電話で確認ができるからだ。

毎日新聞の訂正は時代が大きく変わってしまう最初の一歩になってしまうかもしれない。それも劣化という意味で、だ。

■かつてのネットメディアと同レベル

2010年代の初頭に、あるインターネットニュースメディアの役員クラスと話していたときに、堂々と言われたのはこんな話だった。

「うちは発表記事であっても確認のために広報に電話を入れるように言ってます。オールドメディアの方法も取り入れているんですよ」

私は内心、呆れながら話を聞いていた。基本中の基本でしかない話をそんなに堂々と語られたところでなんの意味もないと思ったからだ。電話で確認する程度の仕事は多くの人にできるもので、価値を生まないものだ。新聞に限らずテレビや週刊誌も含めて記者であれば、そんな当たり前のことは誰も評価しないというのが業界の不文律だ。

これも当たり前のことでしかないが、プレスリリースを横並びで報じるのは紙面を埋めるだけの記事にしかならないからだ。どこにでも出ている情報になんの価値もない。

従来の業界の価値基準に照らし合わせれば、リリースを起点に少しでもリリースに書いていないことを聞き出すことができればようやく及第点、さらに隠された事実を掘り起こすことにつながれば初めて少しだけ評価される。より評価されるのは、リリースが発表される前にきちんと取材し、しっかりとした裏付けをもとに書いてしまうことだ。それも一発で終わりではなく、継続的かつ他社も追いかけてくるような話をいくつ出しているかが評価のポイントだ。

なりすましアカウントを見抜けなかったことを認め、関係者に謝罪した。問題が指摘された記事がすでに削除されている(毎日新聞の公式サイトより)

これが当たり前の規範だった。今でこそ独自取材の価値を重視するネットメディアも増えてきたが、当時のネットメディアはそのくらい取材力もレベルも低かったという証左である。

しかし、まさか全国紙がかつてのレベルの低いネットメディアと同じようなことをやってしまうとは……。この衝撃は大きい。

■誤報の中でもっとも恥ずべき誤報

問題は大きく分けて2つある。第一に誤報の質という問題、第二に新聞社のブランド毀損という問題だ。

誤報といっても中にはいろいろな種類がある。政局取材のように多方面に積み上げた結果、最後の最後で読み違えることもあるし、事件取材でもよくあるのが関係を築き上げてきた取材先が結果的に偽情報をつかまされており、裏付けるための取材が甘かったがために誤報につながるということもある。

こうした誤報も単純に擁護はできないが、まだ理解可能な範囲だ。なぜなら、記者は足元の取材という地道な仕事を疎かにしていない。結果として間違ってしまったことは重大だが、過程に大きな間違いはない。

逆にもっと程度の低い誤報もある。相手の言っていることを理解できず、勘違いしてしまったまま記事にしてしまった、あるいは聞き間違いや誤字があったというものだ。私もやらかしたことがある単純なミスでも誤報は誤報だが、比較的再発防止策はとりやすい。

私が誤報の中でもっとも恥ずべきだと考えているのは、偽情報に飛びついて取材をするという基本を怠ったまま掲載されてしまう誤報、つまり今回の毎日新聞がやってしまったパターンだ。

■「周回遅れのデジタルシフト」と新聞社の勘違い

これが第二の論点にもつながってくるのだが、新聞の信頼度は年々低下する傾向にあるとはいえ、NHKと並んでまだ高い水準を保っている(新聞通信調査会が2024年10月13日に発表した「メディアに関する全国世論調査」より)。

毎日新聞が自社サイトでろくに取材しない「こたつ記事」を掲載するということ、それはまだ保たれている新聞への信頼を揺るがす行為であることは論を俟(ま)たない。信頼は長く培ってきた財産だが、崩壊は一瞬で進む。

ただでさえ、マスメディアには逆風が吹いているなかで誤報のリスクが高い「こたつ記事」に手を出すのは、自分たちの信頼を自分たちで切り崩す行為であると認識したほうがいい。「こたつ記事」に関わったのが外部のコンテンツ制作会社だったとしたらなおさら品質管理は難しく、よりリスクが高くなるのは自明である。

毎日新聞には現場を走り回り、真実に迫ろうとする現役記者たちがたくさんいる。しかし、そこまでして毎日新聞が会社として「こたつ記事」に手を出した理由は何か。

収益だけでなく周回遅れかつ勘違いしたデジタルシフト意識が原因としてあげられるのではないか。「PVを稼ぎたい」「収益につなげたい」という新聞社側の意識だけが強く表れ、今回の問題につながったと考えている。

周回遅れとはどういう意味か。簡単にウェブメディアの歴史を振り返っておこう。

90年代後半からゼロ年代にかけて、マスメディアのいらない世界がやってくるとか、新聞もテレビもなくなるとか、誰もが情報の発信者、誰もがジャーナリストとなる「市民メディア」の時代がやってくるといった言説を至るところで目にするようになった。

■電話をかける手間すら惜しむ「スピードの論理」

現実の世界で力を強めていったのは、多くの利用者が集まる「巨大なデジタルプラットフォーム」だった。そこで出来上がった世界は「ニュースはタイミングがすべてだ」とばかりに、読者の関心がピークのときに、間髪を入れずにニュースを流さなければPV数にして数十万、数百万の違いとなってしまうというものだった。

写真=iStock.com/Tero Vesalainen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tero Vesalainen

横並びのニュースの場合、速さがすべてだ。アイドルの記者会見、大物芸能人同士の結婚、世間を賑わせた漫画の結末……。なぜ、こぞって速く配信するのかと言えば、それで一定の読者を獲得できるからに他ならない。ちょっとした誤字脱字があったとしても、見出しと内容が伴わなくとも直している数秒、数分の遅れがPV数において決定的な差になる。質的な差よりも、速度が与える影響のほうが、インターネットでは圧倒的に大きくなる。

こうした体系のなかでウェブサイトの利潤が最大化するのは、なるべく多くの読者が関心をもちそうなネタに飛びつき、なるべくコストをかけず、できる限り数を出して、安っぽいコンテンツを見せるときだ。取材費用の心配もない。「こたつ記事」が電話一本を入れる手間すら惜しむにも一つの局面では合理的な行動なのだが、逆から見れば致命的な誤報も訂正すればいいだけの無責任な配信を重ねるインセンティブにもなる。

■PV稼ぎに執着する毎日新聞になってほしくない

もっとも、かつてほど「こたつ記事」で収益は上げられなくなっているというのがウェブ業界共通の見立てだ。今から手を出すのは競争相手が多すぎるレッドオーシャンに後発で乗り出すようなもので、よほどうまくやらない限り利潤も得られない。

利潤も乏しく、信頼を毀損するリスクは普通の記事より高く、外注任せかつ周回遅れのデジタル化を進める必要はどこにもないというのが私の結論だ。「こたつ記事」の先に積み上がるのはいくばくかのPV、それもウェブサイトも含めた「毎日新聞」ブランドのもとに掲載されている記事であるとも認識されないまま読み飛ばされるようなPVしかない。

新しい挑戦は歴史ある土台の上にこそ成り立つ。

歴史ある新聞社が貫いてきた丁寧な取材で一次情報を稼ぎ、事実の正確さにこだわった上で、ウェブに適応した記事の書き方や配信の仕方を研究し、新聞紙の発行以外のメディアに挑戦するというのなら歓迎する変化だ。紙面にも良い変化を与えるだろう。

■記者の数は他社より少ない、でも自由だった

毎日新聞は他の新聞社に比べて記者の数は少ない。だからこそ、私が在籍していた時代は記者の自由度が他社に比べて高かった。

地方の事件取材でも他社が3人以上で取材しているところを1人で取材しろと言われることは日常茶飯事だった。情報の厚みでは負ける。しかし、他社が担当を細分化するなかで、1人で現場を回り、捜査関係者を当たることで立体的に事象が見えてくる。第一報の特ダネも求められたが、「どんどん書け」と推奨されたのは、1人だからこそ書ける切り口で勝負する記事だった。

写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev

あらためて言うまでもないが新聞の武器は要所に張り巡らされた取材網にある。ウェブは一報以外の記事の価値、動画配信も含めて取材しているからこそわかる記者の言葉にもより価値を与えるメディアでもある。

良い変化は持っている武器を磨き上げた先にしかない。

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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。2021年、「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)がある。
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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)