ヤマザキマリ 地元へのリスペクトを欠いた横柄な外国人に<観光客>という言葉で済まされない憤りを覚えて。メンタリティというものは、時にそうした非文明的で野蛮な側面を見せることを忘れてはならない
京都を訪れた息子さんから、柄の悪い外国人が大騒ぎしていた様子を聞いたというマリさん。フィレンツェに住んでいた時には観光客によるダメージを直接目にしていたそうで――。(文・写真=ヤマザキマリ)
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オーバーツーリズムの実態
観光客というのは増やすのも大変だが、減らすのも容易ではない。
イタリア屈指の大観光地ベネチアは、今年の春から夏にかけて、旧市街を訪れる観光客に1人当たり5ユーロ(約800円)の入域税なるものを徴収するという観光客数の抑制策を導入したが、効果はまったくなかったという声もあった。
金額をもっと高くするべきだという意見もあったようだが、観光客が減ってほしいと思うのは、そこで日常生活を送っている地元の人々であり、観光を収入源として生きている人々には正直ありがたいことではない。
年間の観光収入が559億ドルで世界第4位というイタリアの中枢に、どこまで地元の人々の声が届いているのかは不明だが、コロナ禍の経済的打撃から回復を図るためには、多少の無理や我慢が必要とされる現状を皆理解してはいるのだろう。
観光客が増えることで発生するダメージも
しかし、観光客が増えることで発生するダメージについては、しっかりと検証する必要がある。
イタリアのもう一つの観光都市であるフィレンツェも、もうずいぶんと長い間オーバーツーリズムに悩まされ続けているが、私が暮らしていた頃からすでに歴史的建造物の階段で宴会を開いてあたりを汚したり、立ち入り禁止のルネサンス時代の噴水で水浴びをする連中もいた。
フィレンツェは恥晒しのテーマパークと化していた。
これと同じことが今日の日本でも起こっている。
日本の文化や歴史に関心があって観光に訪れている人たちにはそれなりの気配りが感じられるが、先日京都を訪れた息子によると、路上の片隅で、見るからに柄の悪い外国人たちが缶ビール片手にたむろして大騒ぎをしていたという。そのあたりに漂っていた煙の臭いも「やばかった」そうだ。
東京の新宿でも、やはり路上で酔っ払った外国人たちが集まって大騒ぎをしている様子が動画配信されていたが、観光客である限り、金を落とすのだから何をしても許されると思っているかのようだ。
地元へのリスペクトを欠いた横柄な彼らの態度には、観光客という言葉では済まされない憤りを覚えてしまう。
生やさしい問題ではないことだけは確か
かつて、シチリアにある古代遺跡のモザイクがドイツ人の観光客によって壊されるという事件が起こった時、地元の人は「蛮族の来襲による破壊」という表現を使っていた。
確かに古代ローマ文明は蛮族によって滅ぼされたが、それを未だに継続中の事象と捉えている彼らの解釈も決して大袈裟ではない。
観光客であろうとなかろうと、自由と解放を許された人間のメンタリティというものは、時にそうした非文明的で野蛮な側面を見せるということも忘れてはならない。
観光客には二重価格を導入したり、治安が悪くなったりすれば観光地としての人気もいくらか下がるだろうけれど、意図して仕込めることではない。
オーバーツーリズムへの対策もそれなりにあれこれ考えられてはいるようだが、国立公園の中にリゾートホテルをいくつも建てたところで解決するような、生やさしい問題ではないことだけは確かである。