「収入もそれなりに、でしたけれど、その分出費も凄まじかった。病気になって初めて、立ち止まることができました」(撮影:下村亮人)

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60歳を目前に病で退職したことで、生き方が一変したというpokkomaさん。昨年には夫が病に倒れ、現在は、正真正銘の年金生活者に。けれど将来の不安はそれほどないと言います(構成:野田敦子 撮影:下村亮人)

【写真】コンパクトでも小物にこだわったキッチン

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突然始まった年金だけの生活

大阪近郊の住宅地に立つ3LDKの中古マンションに、夫と2人で暮らしています。60歳を目前に病気を患い退職。その2年後に、将来を考えて住まいをコンパクトにしようと、以前の家を売り、このマンションを購入して越してきました。

最初のうちは、駅からの距離や台所の狭さが不満でしたが、住めば都とはよく言ったものですね。今では、南向きの明るいリビングや山の稜線が眺められるベランダが気に入っています。

かつての私は、今とはまるで別人のような仕事人間でした。働いていた設計事務所で勤務中に倒れるまでは、深夜に帰宅するなんて日常茶飯事。会社に泊まり込むことも珍しくなかったのです。

子育ても仕事もして、スキューバダイビングにのめり込んだり、サックスのレッスンに夢中になったり、パッチワークに根を詰めたりと、休日もフル回転。それでは、体も壊しますよね(笑)。

収入もそれなりに、でしたけれど、その分出費も凄まじかった。病気になって初めて、立ち止まることができました。少なくとも70歳までは働いて老後に備えるつもりでしたが、このときに、もっとゆったり残りの人生を楽しもうと、気持ちを切り替えたのです。

私が仕事を辞めたあとは、家を買い替えたほか、2台あった車を軽自動車1台にしたり、生命保険の死亡保障額を半分にしたり。支出を削り始めていたものの、夫はまだ働いていたため、毎月いただくお給料と夫の年金もありましたから、そう不自由な暮らしではありませんでした。

本格的に節約を意識しだしたのは、昨年2月、夫が急性心不全で倒れて仕事を辞めてから。私も65歳になり、夫婦2人、正真正銘の年金生活が始まったのです。収入が減ったにもかかわらず、夫の医療費はかつての何倍にも膨らんで。家計簿とにらめっこし、とりあえず食費から手をつけることにしました。

というのも、わが家は食費の占める割合が大きくて(笑)。夫婦2人で月10万円前後って、かなり多いですよね? ですから、買い物に行く回数を週1回に減らし、不要なものは買わないように。

家にある食材を今まで以上に意識して使いきるようにしたら、月5〜6万円と約半分にまで減りました。工夫次第で何とかできるものですね。今では、独立した3人の子どもたちが家族を連れて帰ってきても、予算内に収まっています。

食費以外で節約しているのは、洋服代でしょうか。今はもっぱらスーパーの衣料品売り場やアウトレット、フリマアプリを愛用しています。手ごろな価格の中から、着心地がよくて「気持ちの上がる服」を探すのが、楽しいんです。通信費も、スマホの契約を大手キャリアから格安SIMに替えてグンと安くなりました。

一方、あまり減らせないのが交際費かもしれません。私は、「お金をかける交際」と「お金をかけない代わりに手間をかける交際」とに分けて考えるようにしています。

前者は、冠婚葬祭や孫の祝いごとなど、人生の節目に関わるお付き合い。それなりの金額を気持ちよく出したいので、私のわずかなへそくりから補うこともよしとしています。

後者は、親しい人たちとの日常的なお付き合い。手作りしたケーキに、小さな季節の花束を添えたら、有名パティシエのケーキにも勝るというのは言い過ぎかもしれませんが(笑)、温かな気持ちが伝わるのではないでしょうか。私は、相手の方の喜ぶ顔を思い浮かべながらキッチンに立つ時間も楽しんでいます。


リビングの食器棚の飾りつけにもセンスが光る

離婚の危機を乗り越えて

転居後の生活が落ち着いた2020年3月、62歳でユーチューブ・チャンネルを開設しました。まったくの初心者が普段の暮らしを紹介するだけの動画に、思いのほか多くの方が興味をもってくださり、びっくりするやら、ありがたいやら……。

世界各地からいただくコメントを更新の励みにしていますが、しばしば夫も登場するせいか、「理想的なご夫婦ですね」と褒められると照れくさくて(笑)。というのも私たち、ずっと円満だったわけではないんです。50代のときには、真剣に離婚を考え、4年ほど別居していました。

やり直すきっかけの一つは、私が夜中に尿管結石で救急搬送されたこと。駆けつけてくれた夫の顔を見たら心底ほっとして、その存在の大きさに改めて気づいたのです。

今でもイライラしたら言い合うことがありますが、ふと「あと何年、一緒に過ごせるだろう?」と考えるように。すると不思議と怒りや不満が消えて、この人との時間を大切にしたいと思えるんです。


「年齢を重ねるにつれ、特に我慢なんてしなくても、節約生活になっていくのかもしれません」

そんな夫とは、月初めに近所の氏神さんに「お朔日(ついたち)お参り」をしたり、のんびり西国三十三所を巡ったりしています。かつて両親がお参りする姿を見て、「何が楽しいの?」と冷ややかに見ていたくせに、自分たちもまったく同じことをしているなんてね(笑)。

西国巡りは費用も大してかかりませんし、労力も現地の混み具合も、私たち世代にとって「ほどよい」んです。お参りのついでにおいしいお昼ごはんを食べて、感じのいいカフェに寄るぐらいが疲れすぎなくてちょうどいい。(笑)

そう思うと年齢を重ねるにつれ、特に我慢なんてしなくても、節約生活になっていくのかもしれません。実際、私たち夫婦も食べたいものや訪ねたい場所が、若いころとは変わりました。

刺激の多い都会に行くより、静かな境内で心身をリフレッシュするほうがずっと満足度が高くて。お朔日参りや西国巡りに限らず、日々の小さなルーティンに幸せを見つけられれば、限られたお金でも楽しく暮らせる気がします。

とはいえ、私たちはお芝居やコンサート通いも共通の趣味。チケット代は決して安くないけれど、年に何回かは楽しみたいと思っています。そのためにも、さらにメリハリのあるお金の使い方をしなくてはいけません。

最期まで負担をかけない親で

最近、よく母のことを思い出します。父の死後、建築関係の事業を引き継いだ母は、私が50歳のときに亡くなるまで資金繰りに頭を悩ませていました。

「会社をたたんでおけば、こんなに苦労しなくて済んだのに」と歯がゆく思う私の気持ちを察してか、「お金は棺に入れても燃えてなくなるだけ。それやったらお父さんと一緒に作った会社にとことん使いたいねん。後悔してへんから」と病床できっぱり言い切ったすがすがしい笑顔が忘れられません。わが母ながら、潔くて見事な人生でした。

そんな母のもう一つの口癖が、「お金がないなら、ないなりの暮らしをすればいい」。確かに裕福なときも、そうでないときも、友人や親戚と楽しく交流していた母。その姿を覚えているせいか、私も夫の病気で収入が激減しても、あまり不安になったり落ち込んだりせずに済んだのかもしれません。

私自身、70歳まで働いて余生を楽しむという人生設計は崩れましたが、ユーチューブという新しい世界に挑戦したことで多くの人々と出会い、本を出版するという幸運にも恵まれました。どれも、あのまま働き続けていたら手に入らなかった、お金では買えない宝物ばかりです。

先日、こんなことがありました。長男が折り入って話をしたいと言うので何ごとかと思ったら、「もしものときが心配だから、近くに越して来たらどう?」と。気持ちはうれしかったけれど、私たちは今の暮らしに満足しています。

彼らの親を思う気持ちに感謝しながら、最期まで負担をかけない親でいたいと改めて強く思いました。子どもたちには、「いざとなったら、この家を処分して施設の入居費用や介護サービスにあててほしい」と伝えています。

これからもちょっとした工夫を楽しんだり、柔軟に考え方を変えたりして、日々の一瞬一瞬を、慈しんでいきたいですね。