38歳"人生の起伏"を経て「心整える」ひとり暮らし
離婚を機に引っ越した千葉県内、1Kの部屋。仕事は在宅ワークなので、一日のほとんどをこの部屋で過ごす(撮影:梅谷秀司)
増加するひとり暮らしに焦点を当てた連載「だから、ひとり暮らし」は、単身で暮らす人々のライフスタイルを個別に取材し、その人生観や他者との関わり方を探っていく。
今回お宅にうかがったのは、2024年の1月に離婚を経験し、千葉県市川市でひとり暮らしを始めた鈴木雅矩(すずき・がく)さん。20代は大学で彫刻を学び、卒業後は自転車で単身日本一周するなど、思いのままに謳歌した。しかし30歳になり、仕事と夫婦関係で挫折を経験。現在はそんな過去を受け止め、新たに迎える40代に向けて自分を再構築している最中だという。
自由を満喫した20代はすべてがうまくまわっていた
柔らかく穏やかな雰囲気の鈴木さん。根っからの"自由人"で、日本大学の芸術学部で彫刻を学び、卒業後は就職せず自転車で日本全国を巡る旅に。
その後は自転車旅の経験を生かして京都のサイクルショップで働き、雑誌での執筆にも挑戦するなど、自由な毎日のなかで興味関心を追求し、それを仕事にもつなげていた。
「20代の頃は、やりたいことが、次のやりたいことにつながっていく……という感じでしたね。大学を卒業してもすぐに就職はせず、自転車で日本一周の旅をしました。
就職活動はしましたが、大学で学んだ彫刻を生かして、例えば美術予備校の講師や、大道具の仕事などに就くというイメージが、持てなかったんです。
新しい世界に触れるのが好きな僕にとって、旅は楽しかったです。お金がなくても、その場その場で工夫して乗り切る方法を見つけていくのが得意なので、バックパッカー生活にストレスは感じませんでした。
自転車での日本一周を終えて、京都の自転車屋さんで数年働いた後、今度は折り畳み自転車を持ってユーラシア大陸を横断。あの頃、旅に没頭していた時間は本当に充実していましたね」(鈴木さん 以下の発言すべて)
【写真】離職や離婚を経験した鈴木さんが、40代に向けて自分を「整えて」いる、ひとり暮らしの部屋の様子(14枚)
鈴木雅矩(すずき・がく)1986年静岡県浜松市生まれ。日本大学芸術学部美術学科彫刻コース卒業。2014年の開業より約400件のインタビュー記事を執筆し、『京都の小商い〜就職しない生き方ガイド〜』(三栄書房)を上梓。オウンドメディア特化型編集プロダクション勤務を経て、現在はインターネットメディアの運営会社に所属。プライベートではポッドキャスト「アートのミーム」を配信中(撮影:梅谷秀司)
ユーラシア大陸をバックパッカーとして旅をしていた20代の頃、チベットで手に入れた版木(撮影:梅谷秀司)
大学は彫刻を学んだ。今でも部屋には、彫刻のセットと粘土を置いた制作スペースがある(撮影:梅谷秀司)
鈴木さんはその過程で、自ら何かを造形するよりも、新しい体験を通して人と触れ合い、話を聞いたり、それを発信することが好きなのだと気づく。
「海外の旅から帰ってからは、フリーランスのライターとして開業しました。仕事は順調で、ベンチャー企業の自社メディアで副編集長を勤めたり、その企業の本を執筆したり。人の縁が仕事になっていくことが楽しくて、これぞ天職だと思えていました」
ライターの仕事に面白味を感じ始めていた頃、鈴木さんに新たなチャンスがめぐってきた。
「知り合いの編集者とお酒を飲んでいたとき、京都の自転車屋さんで働いていたときに出会った人々のことを話していたんです。
『京都には小規模でも自分が好きなことを仕事にしている、ユニークな人がたくさんいる』と伝えたら、興味を持ってくれて。トントン拍子で書籍化が決まりました」
鈴木さんの著書『京都の小商い~就職しない生き方ガイド~』(三栄書房)は、京都で小規模事業に取り組む人々のインタビュー集で、自営業の魅力が詰まった本だ。同じような生き方を目指す読者からの、反響も大きかった。
社会にもまれて離職・離婚、30代の挫折
フリーランスとしての働き方を満喫していた鈴木さんだが、30歳を機にオウンドメディア(企業の自社メディア)支援に特化した編集プロダクションに就職する。苦労が始まったのは、それからだ。
「30代になるタイミングで就職をしたのは、会社の中で働いて『集団でもちゃんとやれる』という自信をつけたかったのだと思います。20代にある程度の成果を出していたので、会社員になっても多少はやれるだろうと、根拠のない自信がありました。
ところが就職したコンテンツマーケティングの会社では、まったく成果を出せなかったんです。そのことで鬱状態になって。結局、離職することになりました。それは自分にとっては大きな挫折でしたね」
企業のPRメディアを製作・運営する仕事は、ライターの経験がある鈴木さんに向いている仕事のように思える。しかし会社で要求されるスキルは、それまで経験してきたものとはまるで違うものだった。
「執筆・編集に加えて、その会社ではマーケティングの知識やクライアントとの折衝などが必要でした。その点、僕は執筆経験はあっても、社会人経験が圧倒的に足りなかった……。
そんなこともあって成果が出せず、周囲のデキる人と比べては劣等感を募らせていました。数字が上がらないだけでなく、仕事のミスから炎上騒ぎを起こしてしまったこともあって、自分を責める日々でした。
当時はいつも仕事のことが頭から離れず、つねにスマホやPCで数字を追いかけていましたね。そうこうするうちに、鬱状態になってしまったのです」
WEBのメディアはどれくらい記事が読まれたか、また読み手がどんなアクションを起こしたかまでが、数字となって表れる。鈴木さんは追い詰められ、負のスパイラルに飲み込まれてしまった。
「つらかったです。『なんでこんなに自分は仕事ができないんだろう?』と辞めた後もずっと落ち込んでいて、そんなときに後に妻となる女性と出会ったんです。自信を失っていたからこそ、『こんな自分でも好きになってくれる人がいる』という事実に、救われました」
たとえ一つの場所で結果が出せなくても、それはその会社で起きたことにすぎない。しかし当事者にとっては、そう簡単に切り替えられるものではないだろう。そんなときは、身近な誰かに必要とされ、愛されることで、救われ、前を向けることがある。鈴木さんもそうだった。
まずは自分を幸せに。離婚後に選んだひとり暮らし
鈴木さんは自分を慕って頼ってくれたこの女性と交際して半年ほどでスピード結婚した。当初はふたりで歩む未来に希望を持っていた鈴木さんだが、結婚生活は約4年で幕を閉じる。
「彼女はもともと精神的に不安定なところがありました。それは彼女も隠していなかったし、僕も承知のうえで結婚したのですが、僕自身もまだ前の会社で離職した経験から万全の精神状態ではなくて……」
前職を退職した後に再びフリーライターとして活動していた鈴木さんだが、まずは生活を安定させようと福利厚生の充実したメディア運営会社に就職。カウンセラーや精神科医、共通の知人・友人の力も借りながら、結婚生活を続けられる道を探った。しかしうまくいかなかった。
「彼女と過ごした4年間には楽しい思い出もたくさん作れました。けれど、一緒にいるとつらい時間が増えてしまい、互いに無視する期間も生まれてしまった。関係を修復するために何度も話し合い、ふたりが心身ともに健やかに過ごせるよう模索しましたが、精神的に限界が来てしまったんです」
夫婦だけで解決するには大きすぎる問題を、ふたりは抱えていたのかもしれない。結局、このままでは共倒れになると思い、話し合って離婚を決めた。
大きなベッドは、結婚していたときに使っていたもの(撮影:梅谷秀司)
「夫婦というつながりを"絶対"だと思う人たちから、僕は『逃げた』と言われるかもしれません。僕自身、いまだに『もっとうまくやれたのではないか』『彼女を見放してしまったのではないか』と考えることもあります。でもそう言ってくる人たちが、僕の人生に責任を持ってくれるわけではないですから……。
僕たちは周囲の人との関係性のなかで生きていますし、助け合うこともできる。でも最終的に、自分の人生に責任を持って、主体的に行動できるのは自分自身だけなんです。
彼女と別れることを選んだからには、まずは自らを幸せにして、安定していかなければいけない、と思いました。だから僕は、ひとり暮らしを始めたのです」
すべてがうまくまわっていた20代から、試練の30代を経て、心身を安定させるために、鈴木さんには「ひとりで暮らす空間」が必要だった。
疲れた心を、ニュートラルな状態に戻す部屋
ひとり暮らしに戻って良かったことのひとつは、インテリアを自分好みに整えられることだと、鈴木さんはいう。
「大学で彫刻をやっていたこともあって、造形的に面白いものが好きなんです。だから部屋に旅先で購入したものを飾ったり、いろんな所で買い集めたアートピースを飾ったりしていて、目の届くところに好きなものがあることに、癒やされます」
ひとつひとつのオブジェや雑貨に思い入れがある(撮影:梅谷秀司)
「癒やし」は鈴木さんのインテリアのなかで、重要なキーワードだ。部屋を選んだ条件には、大きなダブルベッドと本棚が収納できることがあった。
「ベッドはマットレスの質が高くて気に入っています。40代を目前にして、健康に対する意識が芽生えて、睡眠に気を配るようになりました。
また本棚は自分にとって大切なテーマの本を並べています。働き方、クリエイティブ、アート、歴史や宗教など人文学に関する本が多いですね」
鈴木さんが影響を受けた本や、集めた雑貨を飾る大きな本棚を置けることが部屋選びの際の譲れない条件だった(撮影:梅谷秀司)
自分にとって大切なものは何か――。その答えを見つける過程こそが、今の鈴木さんの暮らしのモチベーションになっている。
好きなものがちりばめられた部屋は、鈴木さんにとって「心の地図」のようなもの。愛着のあるオブジェや本を目印として、心身が安定する生き方を探っているのかもしれない。
リモートワーク時代に合った住まいの条件とは
鈴木さんが部屋選びのなかで、もうひとつ重視したのは立地だ。
「千葉県市川市というのは、都心からの距離感がちょうどいいんです。今の会社はほとんどリモートワークなので、都心に住む必要性は感じません。でも都心のカルチャーにアクセスしたり、友達と会ったりすることは大事にしたい。
今住んでいるところは、時折都心に出る分にはまったく問題ない距離感のうえ、家賃も月7万5000円程と手頃なので、助かっています。それに図書館が近くにあることも、嬉しいですね」
リモートワークが主な場合と、通勤があり日中は部屋にいない場合では、部屋選びのポイントが変わってくる。リモートワーク中心の暮らしでは、仕事をする部屋の広さや日当たりといった快適性が重視される。一方で周辺環境については、オフタイムを充実させられるかどうかが選択のポイントになることが多い。
小さくとも、純度高く好きなことをする
鈴木さんの場合は、特にアート関係の情報へのアクセスの良さを重視している。
美術に関わる本は、ポッドキャストの資料でもある(撮影:梅谷秀司)
「実は個人的なプロジェクトとして、友人のデザイナーとアートについて語り合う『アートのミーム』というポッドキャスト番組を作っています。会社でも編集業務をしていますが、ポッドキャストは自分のやりたいことを自由に表現する場所として大切にしています。
仕事が終わった夜9時以降は、ポッドキャストの台本を書いたり、パートナーと打ち合わせをしたり。休日は都心の美術館に行ったり、近所の図書館で調べものをしたりと、このところいつも番組のことを考えていますね」
40代を迎えようとしている今、彼は自由な心と社会的な立場を両立するバランスを模索するための、新たな挑戦に取り組んでいる。
ポッドキャストの配信も部屋から。仕事机はオフタイムには配信システムになる(撮影:梅谷秀司)
「今のところポッドキャストで収益化できているというわけではないですし、仕事にしても、僕より上を行っている人は大勢いるでしょう。上を見たらきりがないし、下を見てもきりがない。
でも僕はそのなかで、自分で自分の機嫌を取って生きていく方法を探していきます。今はそれができていると思いますし、それだけでなく、これから40代に向けて、さらに良い方向に進んでいける予感がするんです」
人の本質はそうそう変わらないが、経験や環境によって、その在り方は少しずつ形を変えていく。人生の起伏を経て、自身を癒やすフェーズにある今の鈴木さんは、新たなステージに向けて準備を整えている。
【写真】離職や離婚を経験した鈴木さんが、40代に向けて自分を「整えて」いる、ひとり暮らしの部屋の様子(14枚)
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自分を癒やし、「自分らしさ」を保つ部屋
疲れないデスクとチェアは体をいたわりながら在宅ワークを続けるための、必須アイテム。実はデスクは昇降式で、スタンディングでも使える(撮影:梅谷秀司)
ベッドのヘッドボードには海洋堂の亀と好きな作家さんのドローイング、そしてカードゲームモチーフのイラストが(撮影:梅谷秀司)
仕事終わり、アルコールで気持ちを緩めながらポッドキャストの台本を練ることも(撮影:梅谷秀司)
40代を迎えるにあたって、体づくりにも意識的になり、自炊で栄養に気遣う(撮影:梅谷秀司)
玄関先にも、好みのオブジェや器などを飾って(撮影:梅谷秀司)
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(蜂谷 智子 : ライター・編集者 編集プロダクションAsuamu主宰)