『夢を叶えられる』という意味では、奨学金は必要な制度だと思います。ただ、ここまで利子を付ける必要あります?(笑)(写真はイメージです:EKAKI/PIXTA)

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。

たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

「小学生の頃に放送していたアニメ『ブラック・ジャック』(2004〜2006年/日本テレビ系)を見て、『わたしもブラック・ジャックになりたい!』という一心で育ちました」

手塚治虫による名作マンガ『ブラック・ジャック』に影響を受けて、医者を志したという話はよく聞く。平成生まれの杉村真希さん(仮名・25歳)もご多分に漏れず、神の手を持つ天才外科医に感化され、医者という職業に憧れた。

中学生のときに父が急死

杉村さんは神奈川県出身、きょうだい構成は兄と妹。家族5人で順風満帆な生活を送っていたはずが、父親が中学生のときに急死してしまう。

「父はリストラされたこともありましたが、普通に生活は送れていました。リストラ後も大きな会社に勤めて、家にも早く帰ってきてくれたのですが、わたしが中学3年生のある日、突然……。今思えば少し前から狭心症症状があったのではないかと思いますが」

自らの死期を予期していたわけではないが、杉村さんの父親は亡くなる前に家を購入していた。そして、自身が亡くなり、ローンの返済義務がなくなったことで、母子家庭となった杉村一家はその家に住み続けることができた。

また、中学3年生という高校受験を控えた時期の不幸ごとではあったが、幸い杉村さんは県立の一貫校に通っていたため、受験の心配はいらなかった。

「兄が高校受験をしていたので『わたしも受験したい!』という理由で中学受験しました。兄は私立高校でしたが、わたしは親に学費の高い私立はダメと言われ、受験校は公立を選びました。とにかく、わたしはブラック・ジャックになりたかったので、中学校から高校に上がるまでの受験の必要性を感じられず、6年間一括で勉強できる環境のほうが苦痛もないだろうと考えたのです」

ところで、間黒男(ブラック・ジャックの本名)は学生時代、ダーツやアルバイトに興じていた。そこで、杉村さんは勉強はもちろんのこと、遊びにも力を入れた。

「中学校では囲碁将棋部、高校では放送部や文芸部、大学ではテニス部という具合にいろいろな部活で活動し、アルバイトもしました。ゲームも好きでしたし、マンガやアニメもよく見ていました。文化祭や体育祭、合唱祭などの学校行事も全力で楽しんでいました。

というのも、勉強だけをしてきた人間よりも、いろいろなことを体験してきた人間のほうが、人に寄り添えると思ったからです。それに、ブラック・ジャックも人間性に溢れる人物として描かれていますからね」

すべて1次試験落ちで浪人を決意

とはいえ、家族も高校生の進路相談まで「まさか本当に医者になりたいんだ」とは思っていなかったという。そして、当然のことながら、現実的に医学部進学へのハードルは高かった。

「軒並みE判定でしたね。国立も私立も関係なく、なんとか引っかかりそうな大学は受験しましたが、すべて1次試験落ち……。ただ、一度だけC判定を取ったことがあったため、母も『行けるかもしれない』と考えてくれて1浪させてもらいました」

こうして杉村さんの浪人生活がスタート。中学・高校のときは「医学部はお金がかかるし、自分の力で勉強しても学内では十分以上の学力だった」という理由で学習塾は3カ月で辞めたが、今回ばかりは人の手を借りなければ勉強できなかった。

「医学部専門の予備校は、どこもお金がかかります。1年で200万円だったり、場合によっては500万円ぐらいかかることもあります。さすがにそういった予備校に通うのは金銭的に厳しいため、都内で年間の授業料が100万円を切る塾を見つけました。破格の値段ですよね。

実際に見学に行ったところ、小さな予備校だったのですが、わたしと母に向かって『今の受験方法ではダメだ! もっと本質を掴んだ勉強をさせるべき!』と、力説してくれました。わたしも詰め込み勉強ではなく、医者になってからも生かせるような勉強方法を教えてくれるところがいいなと思い、そこに通うようになりました。まぁ、一番の決め手は授業料の安さですけどね(笑)」

父親の残してくれた多少の遺産もあり、勉強に打ち込めた杉村さん。学力もメキメキと向上していき、予備校の講師に「もう1年浪人したら国立も目指せるよ」と言われたほど。

しかし、彼女はもう1年勉強するよりも「早く医者になりたい」という思いから、私立大学の医学部に照準を合わせた。その結果、家から通える距離の私立大学の医学部に合格することができた。

「本当は国立に行きたかったのですが、家から遠い大学だとひとり暮らしになりますし、そうなると2年目の浪人費、6年間の学費と生活費でかかる費用、1年多く働いて稼げる生涯賃金など考えると大きく変わらないんですよね。それに卒業後も実家の近くで勤務することができるなど、将来のことを考えると、その大学がベストな選択でした」

6年間でかかった学費は3770万円

無事に医学部生になることができた杉村さんだが、問題はお金である。医学部は6年間通って3000万〜6000万円という多額の学費がかかるというのがデフォルトだ。

「わたしの大学も1年目で1070万円、2年目以降は540万円、最終的には3770万円はかかりました。そこで、祖母から1500万円を無課税で生前贈与してもらい、父親が残してくれた1000万円の遺産を使うことにしました。そして、残り1200万円をどうするか……。ここで、奨学金を借りることになります」

条件は揃っているため、杉村さんは第一種奨学金(無利子)を満額で借りることができた。総額203万円。そして、第二種奨学金(有利子)も満額864万円借りた。私立医学部生であれば特別増額分をさらに借りられるそうだが、増額分は返済時の利子が高く設定されているため断念した。

「そして、2年生のときにあしなが育英会が給付型奨学金を始めたということを知り、父を亡くしたわたしは384万円を給付してもらえることになりました。ただ、これは全額返金不要というわけではなく、毎月8万円のうち3万円は給付で、5万円を将来返していくというシステムでした。

また、幸いなことに国の給付型奨学金も始まり、わたしの家は非課税世帯だったため、194万円を給付してもらえました。これで1600万円は確保できたので、なんとかやっていけるだろうという気持ちになりました」

ただ、それは同時に将来、給付型奨学金を除いた1200万円以上(利子を含めた最終返済額は1296万円程度)の返済生活が待っているということにもなる……。また、相当な覚悟を持って大学に通う杉村さんと異なり、同級生たちはモチベーションが低かった。

「熱意がない学生は思ったより多かったですね。わたしのように本気で医者になりたいのは1割程度、6割は『家族が医者だから』、残りの3割は『成績がよかった』から医学部に通っていた印象です。それはそれで、大学側がモチベーションを上げるために大変そうでした」

そんな中、杉村さんはブラック・ジャックになるため必死で勉強した結果、学年2位という成績で大学を卒業した。そんな彼女のために、学費免除でもあれば肩の荷が降りるわけだが、通っていた大学にそのような制度はなかった。

「昔はあったらしいのですが、『騙し合い』が勃発したらしいのです。ある人たちが『この問題は試験に出ると教授が言っていたぞ』という嘘を流して、それにみんなが翻弄されてしまう事件が起きたとか。大学側は可能な限り、通っている学生たちみんなに医師免許を取得してほしいのに、そんなことされたらたまったものではないですよね。そのせいで、学費免除はなくなり、学年5位以内に入っても2万円の図書券と表彰盾がもらえるくらいでした(笑)」

「見習い医師」として病棟の患者たちに対応

そして、大学を卒業後、今は1年目の初期研修医として、神奈川県内のとある大学病院で勤務している杉村さん。今は「見習い医師」として病棟の患者たちの「マイナートラブル」に対応しているという。

「『熱が出ました』や『頭が痛いです』という患者さんの話を聞いて解熱剤や頭痛薬などを処方したり、救急車が来たときに最初に診察して上級医に伝達したり、診療に必要な手技を練習し実践させてもらったり、といった具合です」

そして、気になる奨学金の返済だが、今月から始まった。

「1200万円を20年で返していくので、240回払いなんですよね。返済額は毎月5万円。『医者になるのだから、そこまで負担にならないのでは?』と思われるかもしれませんが、わたしの今の給料は基本給25万円に当直費などアレコレ手当が入って、手取りは22万〜28万円くらいです。ということは、社会人3年目の友達とそんなに変わらないんですよね」

いくら、医者といえども初任給はどの業界も低いもの。そこで、杉村さんは可能な限り、節約を心がけている。

「初期研修医になる前から、手取りが22万円程度になるのはわかっていたため、生活費をかけないように準備していました。例えば、初期研修医は寮に入れるのですが、光熱費込みで2万円です。普通に暮らそうと思うと、家賃は6万円くらいはかかりますよね。それが光熱費込みで2万円というのは『実質無料』という感覚です」

いくら研修医とはいえ、夢がなさすぎるのではないだろうか……? その一方で、街の病院に勤務すれば1年目でも、1カ月で手取り46万円もらえることもあるという。ただ、教育機関として医学教育を行う大学病院でしっかり学んだほうが実力のある医師になれると考えたこと、専門医の資格を取得するためには大学病院での研修が必要になることなど、将来を考えて大学病院で勤務することに決めたそうだ。

そんな、茨の道を選んだ杉村さんだが、奨学金返済を見越して、そのほかにも準備はしてきた。

「第二種奨学金を20年かけて返済すると、利子の関係で返済総額が1000万を超えると知ってびっくりしてしまいました。借りたのは864万円ですが、『思ったよりも高くついたな……』と思いましたね。

そのため、繰り上げ返済ができるように、学生時代からアルバイトで貯金した分と4月から毎月15万円前後、夏ボーナス分すべて貯金して、今は200万円貯まっています。これを来月一気に『ドン!』と返したいですね。

第一種奨学金とあしなが育英会は無利子のため、特に気になりませんが、今後は奨学金返済と貯金のバランスをうまく考えていきたいと思います。例えば、勤務地的に将来的に自動車が必要になるのですが、車のローンよりも奨学金の金利のほうが低いんですよね。

そのことを考えると『貯金を繰り上げ返済に使うより、車の頭金にしたほうがいいのでは?』と思ったりしています。とはいえ、早く第二種奨学金を返すに越したことはありません」

これから1200万円を返していくと考えると先の長い話だが、それでも杉村さんは奨学金のおかげで、子どもの頃からの夢だった医者に一歩近づいた。

ただ、医学部の学費が高いのは仕方がないとはいえ、その壁を越えるためには、1000万円以上の奨学金を借りなければならない現状を、どう思っているのだろうか?

「すべての奨学金を無利子で借りられるように!」

「わたしは奨学金の力で医学部に通うことができたため、『夢を叶えられる』という意味では、奨学金は必要な制度だと思います。一度も後悔はしたことありません。ただ、ここまで利子を付ける必要あります?(笑)


例えば、第二種奨学金を『変動性』にすればもっと安くなるという話も聞きますが、『変動性』や『固定性』などと専門用語を並べて、受験に焦る高校3年生に『ほら、選べ』というのはあまりにも酷だと感じます。

しかも、前出の車もそうですが、住宅ローンなども奨学金の利子とあまり変わらないんですよね。国がやっている施策なのにですよ? そのため、奨学金に0.905%(※杉村さんの場合。人によって異なる)もの利率を掛けているのは、まったくもって政府の怠慢だと思います! 

わたしは途中で給付型奨学金もいくつか給付してもらえたのが救いでした。『すべての奨学金を給付型に!』とは言いませんが、『すべての奨学金を無利子で借りられるように!』とは声を大にして言いたいですね。やはり、第二種奨学金は制度としておかしいと思います」

これは筆者も常々感じていることだが、なぜ「人命を救う」職業に就こうとする者たちに、国はまったくサポートしないのかということである。このままでは、1000万円以上の奨学金を抱えた医者たちが、ゴロゴロと溢れかえる未来もあり得るのではないか? 奨学金制度は重要ではあるが、そのあり方に変革が求められている。

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(千駄木 雄大 : 編集者/ライター)