48歳元パチプロの「その後の人生」。借金200万円をパチンコで返そうとした結果は…
◆プロ不毛の地だからオイシイ
岡本さんにとって、出玉状況云々よりもプロがいないことが大きなアドバンテージになったという。
「下北沢の印象は、ちょっとスロット好きな若者が知った顔で打っている街といった感じですね。シビアに打ち込まないので、そこそこチャンスなゾーンが転がっていたり、当時は2007年に撤去を迎える4号機が最後の花火を打ち上げていた頃だったので、明らかに高設定っぽい5号機が落ちてることも珍しくなかったんです。でも、こういう状況もプロがいたら争奪戦ですからね」
だが、そんなあややと蜜月は突然終わりを告げられることになる。ある朝ホールに向かうと、いつもある島には別の台が新台として導入されていたのであった。
「導入されて2か月くらいした頃から“撤去されてしまう恐怖”みたいなのがあって、ローテーションを変えたんです。新台は月曜日に導入されるので、週が明けたらいなくなってるかもしれないから、週末はひたすらあややを打ち込みましたね。週が明け、ひょっとして……と思いながらホールに行き、あややと会ったときにホッとする瞬間、これがもう本当に心臓に悪くて。だから、なくなった日の喪失感といったらもう、言葉じゃ言い表せないものがありました……」
◆パチプロをやめて働くことに…
とにかく回る“勝てる台”を失い、その後は「千円22回の台でも回らないと感じるようになっていきました」という岡本さん。そんなときに知り合いの広告制作会社から声が掛かったことをきっかけに、パチプロをやめて働くことに。そこからは仕事に没頭する毎日を送り、肝心の借金もその後1年で完済に成功したという。
「仕事を始めてからの2年間は、ほとんどパチンコ・パチスロは打ってないんですよ。仕事が本当に忙しくて、打つ時間よりもストレス発散で飲みに行ったりする時間が増えました。また打つようになったのは東北の震災の後くらいですね。でも、最近はとんとご無沙汰です。もう、スマパチとか、スマスロとかよくわかんないし、出玉も減って“怖くて打てない”なぁって。今は完全に5スロ、1パチの人ですね。それも月に1回打つくらいです」
◆もっとまったり打てる台が出てほしい
なお、岡本さんは現在、とある出版社で働いているという。そんな彼に今のパチンコ業界はどう映るのだろうか。
「パチンコ・パチスロの歴史は規制の歴史って言われるくらいの業界ですが、ここ数年の締め付けは異常としか思えないですね。これじゃあ新しいファンの獲得も難しいでしょう。昔と違って娯楽が多様化している昨今、これから這い上がるのはなかなか厳しいんじゃないでしょうか。私としては、昔の現金時短機のような1/200くらいで大当たり出玉は2000〜2200個、大当り後は時短が100回くらいついてくるような台をのんびり打ちたいんですけどね……」
◆思い出の一台は違法にチューニングされた沖スロ
では、最後に岡本さんに思い出の一台を聞いた。その台はマックスアライドの「ゴールデンルーキー-30」だという。
「沖スロって性に合わなくてほとんど打たなかったんですが、これだけは別でしたね。状態に入るとリプレイが異様に偏るんです。通常時、リプレイが揃い始めるとチャンスで、おっ! そろそろ来るかぁ〜ってかまえてると、カキーン!って。パチンコ・パチスロ雑誌時代にこの台の解析やってもらうように、もっと強く言えばよかったなぁと思っています」(※メーカーと裏モノは一切関係ございません。)
その後、筆者に熱くゴールデンルーキー-30について語ってくれた岡本さん。こんなプロもいるんだなぁと思いながら、あっという間に2時間のインタビューは終わったのであった。
取材・文/谷本ススム
【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター