【続報・深圳日本人児童刺殺事件】犯行動機を巡って激突する「日中の攻防」最前線

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先週9月18日の現地時間朝8時頃(日本時間朝9時頃)、中国広東省深圳市にある日本人学校の手前約200mの路上で、10歳の日本人児童が、44歳の失業者の中国人男性に刺殺された。この凶悪事件の余波は、発生から一週間近くが経っても、一向に収まる気配を見せず、日中間の新たな火種となっている。

事件の背景には「中国経済の悪化」が

6月24日に上海郊外の蘇州の日本人学校のバスが襲われてから、3ヵ月も経たないうちに、2度目の惨事である。「都市部に出てきた中年の失業者による犯行」という点も同じで、中国経済の深刻な悪化が背景にあることを窺わせる。

深圳は「中国のシリコンバレー」と呼ばれる香港に隣接した1400万人都市で、私は2010年代に、何度も足を運んできた。アメリカが目の敵にするファーウェイ(華為技術)も、EV(電気自動車)で世界に躍進するBYD(比亜迪)も、中国で10億人が利用するWeChat(微信)を運営するテンセント(騰訊)も、本社は深圳にある。深圳を見れば中国の最先端が分かると同時に、世界の製造業の趨勢が見えるのだ。

私が最後に深圳に行ったのは、コロナ禍直前の2019年だが、その頃から景気は急速に悪化していた。東京・秋葉原の電気街をまねて作った「華強北」(ホアチアンベイ)は、秋葉原の電気街の約80倍の面積を誇っていたが、5年前の時点で、すでに閉店ラッシュとなっていた。当然ながら大量の失業者が出ているはずで、街自体が殺伐としていた。

私は深圳市政府の職員に、「犯罪が増加しているのでは?」と水を向けた。すると職員は、「市の全域に張り巡らせた防犯カメラが24時間見張っているので、犯罪は減っている」と胸を張った。

だが、その後の2020年から2022年まで、3年にわたる「ゼロコロナ政策」という愚策を続け、中国経済は決定的に下降。さらに、昨年3月に3期目を迎えた習近平政権の「総体国家安全観」(すべてに安全を優先させる政策)のゴリ押しによって、ズタズタになった。中国はいまや「世界最大の失業大国」と言ってもよく、失業者たちのイライラは募る一方なのだ。

特に、中高年の失業者が溢れるのが夏場だ。昨年6月は1158万人もの、今年6月は1179万人もの大学生・大学院生が卒業して社会に出たため、大量の中高年層がそのあおりを喰って、クビを切られたのだ。

中国当局による隠蔽

そんな中で、最悪の惨事が起こってしまった。本当は中国各地で「失業者による犯罪」が多発しているが、それらは中国当局の指示によって隠蔽される。習近平主席は昨年末以来、「中国経済光明論」(中国経済の明るい部分だけにスポットを当てて報道するようにという指令)を説いているので、「マイナス報道」は不可なのだ。

今回は被害者が外国人だったため、公(おおやけ)にされたと見るべきだろう。外国政府と外国メディアが騒ぐので、隠蔽できない。今回の事件も、中国の大手メディアはほとんど報道していない。

ともあれ、私は19日午前中に児童死亡のニュースが入った時、強いショックを受けて、このコラムに第一報を書いた。

深圳日本人児童刺殺事件の犯行動機は「反日」ではなく「失業のイライラ」⁉

https://gendai.media/articles/-/137863

ショックはいまだ収まらないが、日本と中国両政府の激しい「攻防戦」が展開中だ。その一角が見えてきた。19日に、北京から約2200km離れた深圳に急行した金杉憲治駐中国日本大使は、到着した深圳宝安空港で記者団に囲まれ、こう強調した。

「一番知りたいのは、日本人が狙われていたのか。さらには日本人学校が狙われていたのか。そこを知りたいと思っているので、そのあたりについては引き続き、中国側のしっかりとした説明を求めていきたいと思います」

金杉大使が述べたように、まさにこの事件の核心は、犯人の動機である。6月の蘇州の事件も同様だが、両事件は完全に通り魔的犯行である。金銭目的でもなければ、被害者への個人的な怨恨目的でもない。

犯人の動機は「反日感情」か…?

そうなると、考えられる動機は、主に2点に絞られる。一つは、「日本もしくは日本人に対する恨み」である。習近平政権になって、「中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現」をスローガンに掲げ、日清戦争(1894年〜1895年)以降の「日本に侵略された恨み」を、ことさらに強調してきた。

そのため、影響を受けて「反日感情」を強める庶民も多いのだ。中国には「恋愛ドラマ」「歴史ドラマ」などと並んで、「抗日ドラマ」というジャンルがあるほどだ。同様に、「抗日俳優」「抗日監督」なる人々までいる。

折りしも、深圳の事件が起こった9月18日は、1931年に満州事変のきっかけとなる柳条湖事件が起こった「国恥日」だった。旧日本軍は、現・遼寧省都の瀋陽郊外の柳条湖で爆破事件をでっちあげ、それを理由に満州(中国東北地方)一帯を占領していった。

それから93周年にあたるこの日の中国でのトップニュースは、やはり柳条湖事件だった。瀋陽で「恥辱を忘れないための式典」がおごそかに挙行され、9時18分には瀋陽の全市民が3分間、自動車のクラクションを鳴らすなどして、「国辱日」を忘れない決意を新たにした。

さらにこの日の2番目のニュースは、李強首相が国務院常務会議を主催し、「烈士褒揚条例」を可決したというものだった。「烈士」とは、主に抗日戦争で命を落とした兵士のことを指す。彼らとその子孫を褒賞する条例を定めたのだ。

こうしたことから、日本に恨みを抱く「愛国者」が、日本人を襲ったということは、確かに可能性としてある。ただ、犯行は現地時間の午前8時頃であり、瀋陽での「9時18分のイベント」が報じられたのは昼のニュースだったので、時間的な齟齬(そご)もあるが。

動機のもう一つの可能性

もう一つは、ムシャクシャした失業者による無差別の犯行の可能性である。犯人にとって、希望に胸を膨らませ、かつ抵抗できない幼児、もしくは母子は、格好の対象となる。中国経済の悪化については前述した通りだ。

もしくは、この2点とも動機だったという可能性もある。普段から失業して苛立っているさなか、普段の浴びるような「抗日ドラマ」「反日ネット・SNS」などを見て、「反日は無罪」と独りよがりして、日本人学校の近くに刃物を持って向かった――。

だが、金杉大使が面会した深圳市の幹部たちは、犯行の動機については、はぐらかしたものと思われる。犯人については、わずかに地元の官製メディア『深圳特区報』が、20日にSNSでこう報じた。

<記者が深圳市公安局から得たところでは、この事案の発生後、犯罪容疑者の鐘〇は、その場で取り押さえられた。取り調べの結果、鐘〇は男性で、44歳、漢族。固定の職業には就いていない。

2015年、公用電信施設の破壊容疑で、東莞警察に身柄を取り押さえられた。2019年には、デマを拡散させ公共の秩序を乱した罪で勾留された。鐘〇は、刃物で当該の児童に傷害を与えたことを認めている。

取り調べの結果、この案件は偶発的な個別事案であり、鐘〇の単独案件である。鐘〇は、すでに9月18日の事案発生当日から、公安機関によって、法に基づいて刑事勾留強制措置を受けている。現在、この案件はまさにさらなる取り調べの最中である>

以上である。ここで明らかにしているのは、犯人が鐘(ジョン)という姓の44歳、無職、漢族の男性だということだけだ。日本側が最も知りたい犯行の動機については、「現在取り調べ中」と逃げている。

中国外交部の「他人事」感

平日の午後3時から3時20分まで行われる中国外交部の記者会見でも、児童が死亡した19日には、共同通信記者が、犯行の動機について質した。だが、林剣報道官もはぐらかした。

「この案件はいまださらなる取り調べ中であり、中国の関係部門は法に基づいて処理することになる」

この回答に、日本経済新聞の記者が、「6月に蘇州で起こった日本人幼児襲撃事件の時と同様、『偶発的な事件』で済ますつもりなのか?」と詰め寄った。すると林報道官は、こう答えた。

「現在把握している状況によれば、やはり個別の事案だ。似たような事件は、どんな国でだって起こるものだ」

私はこの発言を聞いていて、思わず眉をしかめた。中国外交部の「他人事感」たるや、一体何を考えているのだろう? これが習近平主席が常々説いている、「新時代の要求にふさわしい中日関係」ということなのか?

翌20日の外交部会見で、林剣報道官は一体どんな発言をするのかと注視していたら、何と姿を消していた。代わりに、ベテランの女性外交官・毛寧報道官が現れたのだ。

これは「異変」である。外交部の会見は、月曜日から金曜日まで一週間、同一の報道官が務めることになっている。前後の日付の回答に整合性を持たせるためだ。「その件は昨日私が答えた通りだ」「昨日私は〇〇と答えたが、その後、△△という進展があった」というような回答がよくあるのだ。

19日は木曜日で、20日は金曜日。ということは当然、林剣報道官が出てくるはずだが、「先輩格」の毛寧報道官にすり替わっていた。これは推定だが、上述の林報道官の「問題発言」が、外交部の中でも問題視されたのではないか。ということは、中国側も焦燥感を滲ませているのだ。

実際、20日の外交部の会見は、全12問中、実に10問が日本に関することだった。こんなことは、2013年に習近平政権が発足して以降、前代未聞である。記者と毛報道官の間で、かなり激しいやり取りが交わされたので、少し長くなるがその一部を紹介する。

ブルームバーグ記者:水曜日に深圳で起こった襲撃事件について、日本側は昨日、孫衛東外交部副部長(副大臣)と日本大使が話したと発表した。その中で孫衛東副部長は、この案件は個人的なもので、犯罪容疑者には過去に犯罪記録があると伝えたという。だが犯行動機についての説明はなかった。

私が今朝日本大使館から受け取ったメールによれば、日本側は依然として中国側に、犯行の背景を含む詳細を発表するよう強く求めている。また、動機に関するいかなる情報提供もないと言っている。この場で犯行動機についての情報を提示してもらえないか?

毛寧報道官:中日双方は、関連する問題について意思疎通を続けている。昨日、孫衛東副部長と金杉大使が通話した時に、関係状況を説明した。深圳市が少なからぬ情報を提供したことも注視すべきだ。私の理解では、中国側の主管部門はいままさに、この案件の捜査と検証を行っているところだ。動機を含む具体的状況の進展については、中国側の主管部門に質してみてほしい。

日経新聞記者:今年6月に蘇州で、日本人母子と中国人女性が襲われる事件が起こったが、昨日の(外交部)報道官は「本件はいまださらなる捜査中」と述べた。6月以降に何が分かってきたのか教えてほしい。中国在住の日本人は、深圳と蘇州の二つの事件に大きな関心を寄せている。中国側は両案件の捜査終了後、犯罪者の動機、背景、案件の状況などの仔細について発表する用意があるのか?

毛寧報道官:私の理解では、中国の主管部門はいままさに、この案件の捜査と検証を行っているところだ。追って適切な時期に司法手続きを進めていくことになるだろう。私はいまのところ、具体的な進展及びあなたが関心あるそれらの情報について理解していない。中国の主管部門に問い合わせてほしい。

NHK記者:(日本産水産物の段階的輸入再開の)中日間の合意のニュースは、まさに深圳の日本人男児刺殺事件と時間的に近かった。両者は関係があるのか?

毛寧報道官:中日双方で合意した内容と発表時間は、双方の集中した交渉を経て確定したものだ。深圳の男児襲撃の個人案件については、中国として何度も立場を表明してきた通りだ。両者は無関係だ。

ブルームバーグ記者:私は昨日、深圳の公安機関に、犯人の犯行動機について問い合わせたが、いまだ回答がない。孫衛東副部長が昨日、日本大使と話した時に、容疑者には前科があるなどと細々と語った。そこから見て、日本政府との窓口部門は外交部だ。

あなたは先ほど私に、中国の主管部門に聞いてくれと言ったが、私の理解では主管部門とはすなわち外交部だ。そこでもう一度聞くが、犯行動機は何だったのか? なぜ情報提供をしないのか?

毛寧報道官:この案件はいま、公安部門が捜査を進めている。すなわち案件は現在、捜査の過程にあり、いまだ結論が出ていない。中日両国の外交部門はやり取りを続けている。これは必要なことであり、また正常なことだ。あなたが関心ある問題については、主管部門がさらに権威付きの情報を提供できるだろう。

共同通信記者:深圳のメディアが今日報道したところでは、深圳日本人学校の案件は偶発的な案件だという。これについてはどう考えるか?

毛寧報道官:そのメディア報道は注視している。同時に深圳市が伝えた状況もだ。内容には根拠が伴っていると思う。

NHK記者:深圳の問題について重ねて聞くが、日本側が最も知りたいのは、犯人が日本人を狙ったのかどうかだ。このことについて、中国外交部はどう見ているのか?

毛寧報道官:そのことについて、日本側及び中国在住日本人の懸念は理解できる。私が言いたいのは、容疑者はすでに公安部門によって刑事勾留を受けているということだ。犯人の動機がどうだとかいった具体的なことに至るには、真摯な捜査を確定させる必要がある。私は現在、それに関する情報を持っていない。

ブルームバーグ記者:もしも犯行動機を掴んでいないのなら、どうして個人的な案件であると確定できるのか? あなたは一方では動機について分からないと言い、もう一方ではこれは個人的な案件だと言う。これは自己矛盾ではないか?

毛寧報道官:一つの事件が個人的な案件かどうかを判断するのには、容疑者の動機以外にも、多くの他の要素が絡んでいる。現段階での状況判断として、これは個人的な案件としたのだ。ただし具体的な状況については捜査結果を待たねばならない。

今回の事件の日本への影響は

以上である。重ねて言うが、中国外交部の焦燥感が滲み出た会見だった。中国側はおそらく、昨年8月からの日中間の懸案事項である日本産水産物輸入禁止措置(福島原発のALPS処理水を「核汚染水」と呼んで非難している)を解除すれば、日本は「親中」に傾くと考えたのではないか。もっと言えば、このカードを出せば、27日の自民党総裁選で、8月15日に靖国神社を参拝した「A級戦犯」(と中国側がみなしている)の小泉進次郎、高市早苗、小林鷹之の各候補を後退させられると判断した。

ところが、20日の「解除発表」が吹っ飛ぶほどのインパクトを、深圳の日本人児童刺殺事件が日本にもたらした。自民党総裁選では、右派の高市候補が、9人の候補者の中で最も中国に強硬だったが、この事件が起こって以降、いわば候補者全員が「高市化」してしまった。

また、日系企業の「中国撤退・縮小」の動きも加速するのではないか。6月の蘇州の事件の時にも述べたが、いまや少なからぬ日本企業が、経済悪化に歯止めがかからない中国からの撤退・縮小を志向している。だが諸々の理由(莫大な撤退費用の負担、日本の本社の決断の鈍さなど)によって、進んでいないところも多かった。

これが今回の事件を契機に、一気に進む可能性がある。実際、「最も親中的な日本の団体」と揶揄(やゆ)される北京の中国日本商会ですら、連日、懸念の声明を発表している。

後編【続報・深圳日本人児童刺殺事件】声を上げる中国人は「排除」する中国社会の根深い「隠蔽癖」では、中国国内の日本人、中国人の声も紹介する。

【続報・深圳日本人児童刺殺事件】犯行動機を巡って激突する「日中の攻防」最前線