妻はある日突然、夫に首を絞められ苦しみながら亡くなった(写真はイメージ)

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 介護という将来の不安に駆られる中、87歳の夫は些細な口論から58年間連れ添った妻を絞殺した。法廷で妻の“無念”を代弁したのは20代と思しき若き検察官だった。(前後編の後編)

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【写真を見る】犯行現場となった東京都・練馬区の住宅。大きな庭には立派な植木が何本も植えられていた

「私はご飯を炊いたことはありません」

 前編では、妻の京子さん(当時81)を絞殺した罪で裁判裁判にかけられることになった吉田春男(87)が犯行に至るまでの経緯や家族関係、3人の子供を含む遺族がこぞって吉田に寛大な処分を求めたところまでの法廷でのやり取りを伝えた。

 後編では被告人質問から判決までを追う。

 弁護人による尋問に吉田は、22年に京子さんが転倒事故を起こして足を悪くして以降、家事を分担してやるようになったと答えた。

妻はある日突然、夫に首を絞められ苦しみながら亡くなった(写真はイメージ)

弁護人「買い物は自転車で被告がやっていた?」
吉田「はい」
弁護人「調理は誰がやる?」
吉田「私はご飯を炊いたこともありませんので。私は出来合いのものを買ってきてレンジで温めるだけでした」
弁護人「一緒に食事をすることは?」
吉田「ほとんどしません」
弁護人「掃除、片付けは?」
吉田「私は自分の部屋だけはやっていた」
弁護人「京子さんは自分の部屋掃除していたか?」
吉田「全然していないですね。あまり掃除は得意ではなかったので」
弁護人「ゴミ捨ては?」
吉田「彼女がまとめてくれました。私は出すだけでした」
弁護人「洗濯は?」
吉田「京子がやりました。自分は干したり取り込んだり。彼女は背が高くないので」

「このままでは寝たきりになると思った」

 京子さんは足が悪くなって以降、風呂に入る頻度が減り、昼夜逆転し、深夜テレビを大音量で見る生活を送っていた。なぜ大音量だったかというと耳が遠くなっていたからだ。そんな京子さんに吉田は生活態度を改めるよう注意したが、京子さんは言うことを聞かなかったと振り返った。

弁護人「口論になったことは?」
吉田「(いくら注意しても)繰り返しになるものですから、いちいち言っても反論がこなかった」

 言うことを聞こうとしない京子さんの生活態度を見るうちに、吉田は将来を不安視するようになったという。

弁護人「このままだと京子さんはどうなると考えた?」
吉田「寝たきりになると」
弁護人「自分が亡くなった後、京子さんが寝たきりになったら誰が介護することになると思った?」
吉田「長男になります」
弁護人「長男に介護の経験は?」
吉田「ありません」
弁護人「長男が家事をすることは?」
吉田「ほとんどありません」
弁護人「自分が亡き後、長男に介護ができると思ったか?」
吉田「完璧な介護はできません。(長男は)ずっと独身生活を送ってきたので」

夫から首を絞められ絶命するまで、妻は足をばたつかせて抵抗していた

 そして、京子さんと自分のどちらが先立つとしたら、自分が残った方がいいと考えるようになったと話した。

「私が先か彼女が先かと考えたら、私が先に行ったとしたら長男が妻を介護することになる。どっちが良いか悪いか。私が残った方が(外部の人間と)コミュニケーションが取りやすいと思った」(吉田)
「家内はですね、結婚してからほとんど就職したりしていないから外部との接触が少なく、付き合いが少ない。家内と比べたら私の方が外の付き合いはできる」(同)

 事件当日の昨年12月14日午後1時過ぎ、昼食をまだ取っていなかった京子さんに「早く昼御飯を食べろ」と注意したものの「まだ遅くないんだ」と言い返されたことがきっかけで京子さんを押し倒し、首に手をかけたと話した。「介護のことが念頭にありました」と将来に対する不安から殺害に至ったと語った。

「それは当然(足を)バタつかせていました」と犯行の最中、京子さんが抵抗していた様子も淡々と明かした。

 いま京子さんに対してどう考えているか、との弁護人からの問いにはこう答えた。

「かわいそうなことをしたと思う。友達が少なかった。ずっと私と一緒になったせいで寂しい人生を送らせてしまった」(吉田)
「全部私の責任なんですが、こうなる前に気がついて話し合いが必要だった。そういう気持ちになったこともあるんですが、してあげられなかった。私が(一家の)責任者の立場ですから、本来なってはいけない人が責任者になったのは私が原因だと思っています」(同)

家の中で家長然と振る舞っていた被告

 検察官は反対尋問で、家事分担について細かく追及した。

検察官「食器を洗っていたのは?」
吉田「私はそういうことはしませんので」
検察官「あなたは掃除をしていたのか?」
吉田「私は(自分の)寝室と居間を」
検察官「それ以外は?」
吉田「私が気がつけばやりました」
検察官「洗濯は?」
吉田「京子がやりました」
検察官「あなたの服は?」
吉田「私です」

 吉田の物言いからは足を悪くした京子さんを労っていた様子は微塵も感じられなかった。むしろ家の中で家長然と振る舞い、気ままに暮らしていた印象を受けた。

検察官「あなたは一日どのようにして過ごすのですか?」
吉田「パソコンで麻雀ゲームをしたり、散歩をしたり、知り合いの喫茶店に行ったり」
検察官「どの部屋で過ごすのですか?」
吉田「居間です」
検察官「テレビは日中、観ていたのか?」
吉田「興味があるものがあれば」

 吉田は「昼間はテレビを独占していた」「妻と一緒にテレビを見ることはほとんどなかった」とも語った。

妻は台所で立ったまま食事をしていた

 また京子さんは以前から台所で一人食事をしていたと明かした。

検察官「台所でどうやって?」
吉田「立って食べていました」
検察官「足が悪いのに?」
吉田「寄っかかることはできますし」
検察官「なぜ居間で食べるように言わなかったのですか?」
吉田「そういうことは言わなかった」

 その後、裁判員や裁判官の質問で京子さんを殺害した場面について再度問われ、こう答えた。

「これは言ってこなかったことですが、(抵抗されて首を絞めるのを)途中で止めようと思ったことはあった。ただここで止めると言語障害が起こりうる可能性があると考え、かえって悪い結果になると瞬間的に考えました」

妻の“無念”を代弁した若い検察官

 検察官は論告でこう吉田を厳しく指弾した。

「京子さんは突然、長年生活を共にしてきた夫である被告人から、自分や息子には介護ができないといった身勝手で理不尽な理由で、首を絞められ、驚きと苦痛の中でその生涯を閉じることになったのであり、その無念さは計り知れない」
「被告人が感じていた不満は自己中心的なものであり、京子さんの殺害を決めた理由も不合理で身勝手かつ短絡的である」

 遺族が寛大な処分を求めている点についてはこう訴えた。

「被害者である京子さんを悼む言葉は少なく、京子さんの気持ちを代弁しているとは思えず、斟酌するにも限度がある」

 そして懲役12年を求刑した。被告人質問や論告を行った3人の検察官のうち2人はまだ20代と思しき若い男女だった。遺族がこぞって吉田を擁護する中、京子さんの“無念”を代弁したのは検察官だった。

裁判長「後悔の念を抱いているように見受けられない」

 一方、弁護人は、事件2カ月前に精神的に頼りにしていた甥が亡くなったことがきっかけで判断能力が低下し、突発的に起こした犯行だったとして懲役5年が相当と訴えた。

 結審後、吉田は裁判長から「何か言いたいことはありませんか」と問われたが、「特にありません」と答えた。

 9月20日、東京地裁は吉田に懲役8年を言い渡した。野村賢裁判長は「身勝手な動機に基づく短絡的な犯行」とした上でこう述べた。

「被告人は犯行を認め、反省の弁を述べているが、その供述からは被害者の無念に思いを致したり、殺害に及んだことに後悔の念を抱いているように見受けられない」

 吉田は淡々と判決を聞き、礼をしてから姿を消した。最後まで涙ひとつ見せることはなかった。

前編【「介護の不安」で81歳妻を絞殺した87歳夫に懲役8年 「自分が残った方が子供たちに迷惑をかけない」58年間連れ添った妻を殺めた“身勝手すぎる理由”】では、吉田が事件を起こすまでの家族関係や証言したり陳述書を出した遺族がこぞって吉田を擁護した様子を伝えている。(文中呼称略)

デイリー新潮編集部