日本らしい強さ/島田明宏
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】
ちょうど30年前の1994年、ブリーダーズカップが開催されたアメリカのチャーチルダウンズ競馬場でのことだった。
スタンド上階の馬主や調教師が集まるエリアの座席に、20人ほどの日本人の関係者が座ってコースのほうに顔を向けていた。そのなかに、取材で親しくなった獣医師がいたのだが、私は人の名前を覚えるのが苦手で思い出せなかったので、後ろから「先生」と呼びかけた。すると、そこにいたほとんどの日本人が振り向いた。自分のことではないと気づいた人たちは気まずそうで、申し訳ないことをしたが、そこにいた人たちの3分の2ほどは調教師だったようだ。
競馬サークルは確かに「先生」だらけの業界ではあるが、世間一般でも、教職員、医師、弁護士や税理士などの士業、作家、政治家、料理学校の講師や職人の師匠など、いたるところに「先生」がいる。
そもそも「先生」はどういう意味か。手元の『岩波国語辞典』によると「教師・医者など、学識のある、指導的立場にある人。また、そういう人、自分の師事する人に対する敬称。▽親しみやさげすみを含んだ呼びかけにも使う」となっている。「▽」の補足に頷いたり笑ったりした人も多いだろう。
なぜこんなことを書く気になったかというと、最近見はじめたアメリカのテレビドラマ「GOTHAM/ゴッサム」で、登場人物が自身に武芸を指南した相手に「センセイ」と言っていて驚いたからだ。私が見ているのは日本語字幕版なので、オリジナルでは「teacher」や「master」といった字幕が入っているのかもしれないが、ともかく、「スシ」や「フジヤマ」「ゲイシャ」「ハラキリ」などのほかにも、他国で使われる日本語が増えているのはやはり嬉しい。
別のドラマだったかもしれないが、「サヨナラ」とか「イイネ」と登場人物が口にするシーンもあった。
それはひょっとしたら、先日エミー賞を受賞した『SHOGUN 将軍』がヒットした影響も多分あるのかもしれない。
同じアメリカで、MLB(メジャーリーグベースボール)シンシナティ・レッズのエリー・デラクルーズ選手が、大谷翔平選手と話すために日本語を勉強していると話していた。クレバーな選手なので、先述した「先生」という普通に使われる言葉であっても、「▽」の補足のような含みがあることまで理解して初めてきちんとコミュニケートできることをわかっているのだろう。
大谷選手を好きな人は世界中にいるが、私たち日本人がここまで強く彼を支持しているのは、彼が、例えば、四球で歩くときボールボーイに優しく触れたり、強い打球がファールになったとき行方を気にして手を挙げたりといった、日本のスポーツマンらしい振る舞いをつづけることによって、日本のよさも世界に知らしめているからだろう。
成績の悪い選手が同じことをしても注目されないが、あれほどの結果を出しているからこそ、彼の人間性も賞賛される。そして、大谷選手の場合、野球が盛んな北中米カリブを中心に、スポーツを教育の一環として行っている日本のスポーツマンシップを伝えている。彼を見ていると、そのうちMLBでも、日本のように、死球を与えた投手が謝るようになるのではないかと思う。故意ではないとはいえ、相手にぶつけておきながら、詫びもせず、ミスをした自分に対して怒るだけというMLBの考え方をこちらが理解するよりも自然というか、スムーズではないか。
話はヨーロッパに移り、先週の土曜日、シンエンペラーが愛チャンピオンSで3着と好走した。直線で進路を切り替える苦しい局面がありながらも最後まで伸びた走りは見事だった。次走の凱旋門賞への期待がさらにふくらんだ。
早くから海外遠征をつづけ、「世界のヤハギ」と呼ばれるようになった矢作芳人調教師と、海外で腕を磨いた弟子の坂井瑠星騎手、そして、おそらく競走馬を所有するようになってからこれほど短期間のうちに多くの海外遠征をした馬主は史上初の藤田晋オーナーのタッグだからこそ、しっかりした裏打ちのある強さになっている。もともと凱旋門賞はポッと行って勝てるレースではないが、試行錯誤を重ねて方法論を模索しながら強くなったチームだけに、大きなチャンスを感じる。
武豊騎手もアルリファーとのコンビで、実に11回目となる凱旋門賞騎乗に臨む。こちらも付け焼き刃ではない、じっくり鍛練された強さを持っている。
ヨーロッパでも、日本らしい強さを見せつけてほしい。