「あなたはやればできるのよ」が呪いの言葉に…「ほめる子育て」が子どもにもたらす意外な影響
※本稿は、中室牧子『「学力」の経済学』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。
■自尊心の高い生徒は学習意欲も高い
「子どもはほめて育てるべきなのか」
私が友人からよく受ける相談です。友人によると「ほめ育て」というのは子どもたちの自尊心を高めるような育児法で、多くの人に支持されているそうです。
ためしにほめ育てを推奨している育児書を読んでみると、たしかに「子どもをほめて育てると、自分に自信を持ち、さまざまなことにチャレンジできる子どもに育つ」という趣旨のことが書いてありました。
自分に自信を持つ、言い換えれば自尊心を高めること――これはとても大切なことように思えます。心理学の研究では、自尊心が高い生徒は、教員との関係が良好で、学習意欲が高く、実力に見合った進路を選択している傾向があることが指摘されています。
直感的にも、子どもの自尊心が低いと、教員との関係がうまく築けなかったり、学習に対して意欲がわかなかったり、自分の実力を過小評価して進路を選択してしまう、というのはどれも正しいように思えますので、「ほめ育て」が一定の支持を集めているのもうなずけます。
■日本人は「自分はダメ」と思いがち
そんな中、日本人は、他の国の人々と比べると自尊心が低いことが指摘されています。図表1は、日本青少年研究所が日本、米国、中国、韓国の中高生を対象に行った調査で「自分はダメな人間だと思う」と答えた人の割合です。日本の中高生は他国の生徒たちと比して自分の能力に対する自信に欠けていることがわかります。
■自尊心を高めるよう働きかけるべき?
しかも、日本人の自尊心は、他の国と比較して低いだけではなく、学年が上がるにつれて徐々に低下していく傾向がみられます。とくに、小学校低学年から中1にかけての低下が顕著です(図表2)。
こうした調査を受けて、「家庭や学校で自尊心を高めるように働きかけることが重要だ」という識者もいます。この主張は正しいのでしょうか。
自尊心のような目に見えないものを数値化するのには、心理学の手法を用います*。
*自尊心を計測する有名な指標としては、心理学者であるローゼンバーグ教授によって提案された「ローゼンバーグ自尊感情尺度」が有名。
たとえば、調査対象者に対して「少なくとも人並みには価値のある人間であると思うか」とか、「自分には自慢できるところがあまりないと思うか」などの質問をして、その回答から自尊心を表す指標を作ります。
こうして図表2のように数値化された自尊心の指標を用いて、さまざまな研究が行われました。
■アメリカで行われた大規模プロジェクト
いくつかの研究では、自尊心が高いと学習意欲や学力が高く、未成年の喫煙や飲酒などの反社会的行為が少ない一方、大人になってからの勤務成績、幸福感、健康状態は良好な傾向が示されました。
これを受けて米国のカリフォルニア州では、「社会問題の多くは個人の自尊心が低いことに起因している」という考えから、1986年以降、州知事主導で自尊心にかんする大規模な研究プロジェクトを始動させました。
「子どもたちの自尊心を高めれば、学力や意欲が高まり、反社会的行為を未然に防止することができるのではないか」と期待してのことです。
■自尊心はあくまで「結果」にすぎない
しかし、この大規模な研究プロジェクトは思いもよらぬ結果に終わりました。自尊心が高まれば、子どもたちを社会的なリスクから遠ざけることができるという有力な科学的根拠は、ほとんど示されなかったのです。
それどころか、著名な心理学者であるフロリダ州立大学のバウマイスター教授らが過去の研究をまとめた丁寧なサーベイによって、「自尊心が高まると学力が高まる」というそれまでの定説は覆されました。
バウマイスター教授らは、自尊心と学力の関係はあくまで相関関係にすぎず、因果関係は逆である、つまり学力が高いという「原因」が、自尊心が高いという「結果」をもたらしているのだと結論づけたのです。
また、別の大規模な高校生の追跡調査に基づく研究でも、学力の高い子どもの自尊心が結果として高くなっているだけであることが示されています。
■自尊心を高める取り組みは逆効果かもしれない
この研究では、高校1年のときに成績がよかった生徒が高校3年になったときに自尊心が高かったことは示されました。しかし、逆に高校1年のときに自尊心が高かった生徒は、高校3年になったときに成績がよかったかというと、そのような結果はみられなかったのです。
一連のこうした研究を受けて、バウマイスター教授らは、子どもの自尊心を高めるようなさまざまな取り組みは、学力を押し上げないばかりか、ときに学力を押し下げる効果を持つ、と警鐘を鳴らしました。
これに加えて、バージニア連邦大学のフォーサイス教授らが行った実験も、バウマイスター教授の主張を裏づける、大変興味深いものでした。
フォーサイス教授らは、自分の授業の履修者のうち、最初の試験で成績の悪かった学生たちをランダムに2つのグループにわけ、毎週、メールで別のメッセージを送りました。
ひとつ目のグループ(=処置群)には、宿題にかんする連絡とともに(「あなたはやればできる」というような)自尊心を高めるようなメッセージを送りました。一方、残りのグループ(=対照群)には自尊心を高めるようなメッセージは送らず、かわりに宿題に関する事務的な連絡や、個人の管理能力や責任感の重要性を説くメッセージを送りました(図表3)。
■「やればできる」がナルシストを育てる
この結果、自尊心を高めるメッセージを受け取ったグループの学生は、受け取らなかったグループの学生よりも、期末試験の成績が統計的に有意に低かったことが示されました。
この研究は、学生の自尊心を高めるような介入は、学生たちの成績を決してよくしないことを示しています。また、このような介入が、すべての学生に悪影響だったわけではなく、とくにもともと学力の低い学生に大きな負の効果をもたらしたということも明らかになっています。
つまり、悪い成績を取った学生に対して自尊心を高めるような介入を行うと、悪い成績を取ったという事実を反省する機会を奪うだけでなく、自分に対して根拠のない自信を持った人にしてしまうのです。
「あなたはやればできるのよ」などといって、むやみやたらに子どもをほめると、実力の伴わないナルシストを育てることになりかねません。とくに、子どもの成績がよくないときはなおさらです。
しかし、私は子どもをほめてはいけないといっているわけではないことを、ここであらためて強調しておきたいと思います。重要なのは、その「ほめ方」なのです。
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中室 牧子(なかむろ・まきこ)
慶應義塾大学総合政策学部教授
慶應義塾大学総合政策学部教授。慶應義塾大学卒業後、米ニューヨーク市のコロンビア大学大学院でMPA, Ph.D.を取得。専門は教育経済学。日本銀行等を経て、2019年から現職。デジタル庁シニアエキスパート(デジタルエデュケーション担当)、東京財団政策研究所研究主幹、経済産業研究所ファカルティフェローを兼任。政府のデジタル行財政改革会議、規制改革推進会議等で有識者委員を務める。日本学術会議会員(第26期)。テレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」コメンテーター(木曜隔週)。朝日新聞論壇委員。著書に『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社)がある。最近の論文には、Takahashi, R., Igei, K., Tsugawa, Y., & Nakamuro, M.(2024). The effect of silent eating during school lunchtime on COVID-19 outbreaks. Social Science & MedicineSato, K., Fukai, T., Fujisawa, K., & Nakamuro, M. (2023). Association between the COVID-19 pandemic and early childhood development. JAMA Pediatricsなどがある。
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(慶應義塾大学総合政策学部教授 中室 牧子)