井上尚弥、“ボクシングとの向き合い方”を変えたドヘニー戦は圧巻TKO それでも試合が「楽しくなかった」と語った理由
数多の敵を沈めてきた井上のラッシュは、ドヘニーの腰を破壊した。(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext
さぁここから――という局面で防衛戦はあっさりと終わりを迎えた。
9月3日、東京・有明アリーナでボクシングの世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥(大橋)は、挑戦者で、元IBF同級王者のテレンス・ジョン・ドヘニー(アイルランド)に7回TKO勝ちで2度目の防衛に成功。キャリア通算成績を28戦無敗(25KO)とした。
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試合の立ち上がりは静かだった。経験に裏打ちされた巧者ぶりにも定評がある37歳の挑戦者に対し、「12ラウンドを通して組み立てようかなと。後半見せ場を作ろうと思っていた」という井上は様子を見ながら相手を引き出そうとするような駆け引きを展開した。この戦い方に関しては、井上真吾トレーナーも「丁寧に、丁寧にと口酸っぱく伝えていて、尚弥はその通り、丁寧に頑張ってくれたので自分はもう満足」と一定の評価を下している。
変化を加えたのは、戦術面だけではなかった。この日、井上の当日計量での体重は62.7。前日計量からのリカバリー数は過去最高の7.4キロとなった。そこにも「今回は意図的に増やせるだけ増やしてみようと思った。自分のボクシングスキルが落ちない程度にどこまでリカバリーできるか」という当人の明確な意図があった。
試合展開から自身のコンディションニングに至るまで、あらゆることを変化させた。王座防衛戦で、ここまでさまざまなアクションを試せるのは、井上らしさとも言えよう。
ただ、試合は思わぬ決着を見た。少しギアを入れた井上がじわりじわりと圧力をかけ始めた中盤の7回、ロープを背に井上の連打を浴びたドヘニーが、突如として腰に手を当て、自らレフェリーに棄権をアピール。試合終了のゴングが鳴った。
試合後、本人に代わって会見に出席した敵陣営のヘクター・バミューデストレーナーによれば、6回にも井上のラッシュを叩き込まれていたドヘニーは「6回で攻撃を受けた段階で彼は腰の神経を痛めていた」。結局、大事には至らなかったが、自力では歩行もできないほどのダメージを負った。
たしかに仕留めた。だが、試合後の表情はいつも笑みはほとんどなかった。(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext
「ちょっと中途半端な終わり方になってしまった」と無念
ドヘニー戦実施決定が発表された今年7月の記者会見で、「技術の差を見せて、完封したいと思います」と宣言していた井上だけに、まさに有言実行。試合後の傷ひとつない顔は「完封」を十二分に印象付けた。
たしかに“モンスター”の破壊力を示す衝撃的な決着であり、相手に反撃の余地を与えないスキルも流石。井上尚弥が絶対王者たる所以を物語る内容だった。だが、そこには“消化不良”という雰囲気も少なからず残ったのも事実だ。
それは他でもない本人も認めるところである。試合後、どこか不満げな表情を見せた井上は「自分が理想としていた終わり方ではないので、たぶん見に来てくれたファンの方もやっぱりそうだと思う。ちょっと中途半端な終わり方になってしまったかな」と無念そうに語った。
「これを言ってしまうと見に来てくれたファンの方に申し訳ないですけど、守備、守備に回る選手と戦っていて、正直、楽しくはなかったですね」
今年5月のルイス・ネリ(メキシコ)との東京ドーム決戦で1ラウンドにキャリア初ダウンを喫し、ボクシングとの向き合い方も変わった。そして「あの1ラウンドがあったからこそ自分はまた強くなれた。そこは感覚的にも成長した、良い経験と捉えている」と言う井上は調整段階から己と格闘を続けてきた。だからこそ、相手が“亀戦法”を講じた22年のポール・バトラー(英国)戦がそうであったように守戦を選択した相手との試合はスリリングではなかったのかもしれない。
来る次戦は12月が有力視され、相手はIBF&WBO1位のサム・グッドマン(豪)が候補として挙がる。ここから先は将来的なフェザー転級も見据えながらの戦いとなる中で、井上はどう突き進むのか。「楽しくなかった」と言いながらも、「これから身体作っていって、それも視野に入れていくことはできるのかなと、そういう試合になったかな」とわずかな手応えも口にした偉才の声色は少しだけ明るくなっていた。
[取材・文:羽澄凜太郎]