「500歩サッカー」は全員が500歩しか動けない。残り0歩になったら退場だが、その場で休憩すれば歩数が回復するため、プレー中に休憩することがメリットとなる(写真:世界ゆるスポーツ協会サイトより)

「ゆるスポーツ」をご存じだろうか。その名の通りスポーツをゆるめたもので、年齢や性別、運動神経、障害の有無などに関わらず、誰もが楽しめる。現在120以上の競技が生まれ、25万人以上が体験。2021年以降、中学校の保健体育の教科書にも掲載されている。次々と新たな「ゆるスポーツ」をつくり出し、広める活動を行うスポーツクリエイター集団「世界ゆるスポーツ協会」代表理事・澤田智洋さんに誕生秘話や最新の動向を伺った。

スポーツのほうが人間に歩み寄る「ゆるスポーツ」

──澤田さんは本職がコピーライターで、広告会社に籍を置きつつ「世界ゆるスポーツ協会」の代表理事をされています。どのような経緯で協会が発足したのですか。

「世界ゆるスポーツ協会」は2015年に発足し今年で9年目です。設立の個人的要因としては、僕自身スポーツが苦手なのと、全盲の息子が参加できるスポーツが少ないことから、僕らを含めたあらゆる人が楽しめるスポーツをつくりたいという思いがありました。


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社会的要因としては、国が掲げる“成人のスポーツ実施率を高める”という目標に寄与したいというのがあります。スポーツ庁の「スポーツの実施状況等に関する世論調査」によると、「週1日以上運動・スポーツをしていない20歳以上の人」の割合は40%以上。

医療費や社会保障費が膨れ上がっている今の状況を打開するためにも、病気になる前に運動不足を解消するという視点は重要だと思います。その中で、日本は諸外国に比べて、みんなが気軽に参加できるスポーツカルチャーが圧倒的に欠けているというイメージがあり、協会設立に至りました。

──「世界ゆるスポーツ協会」の主な活動内容を教えてください。

メインの活動内容はスポーツをつくることです。世界でも唯一無二の、ユニークなビジネスモデルだと言われています。スポーツをつくることで、スポーツが苦手な人を減らして、スポーツが好きな人を増やすことがミッションです。

スポーツが不得意な人は、学生時代の授業から何度も挑戦してスポーツに歩み寄っているのに、なかなかうまくいきません。ということは、スポーツから人間への歩み寄りが足りないのではと考えました。「人間は変わらなくていい。スポーツが変わればいい」というスタンスで、勝っても負けても楽しめる、多様な楽しみ方ができるスポーツを生み出しています。

1つエピソードを紹介します。サッカーでシュートを決めたいという夢を持つ、心臓病の少年がいます。彼は1分ほどなら走れますが、走った後はこまめに休憩して心拍を安定させなくてはいけません。「この要素をスポーツ側にインストールしてみよう」と考え、誕生したのが「500歩サッカー」という競技です。


(写真:世界ゆるスポーツ協会サイトより)

「500歩サッカー」では全員が500歩しか動けず、残り0歩になったら退場です。ただし、その場で休憩すれば歩数が回復。つまり、プレー中に休憩することがメリットになります。彼の身体状況は変わらずとも、スポーツが変わることで、サッカーを心置きなく楽しめるようになりました。

人間の変化や変化スピードには限界があるため、社会が変わるほうが効率がいいと考えています。政策や法律を変えるというアプローチもありますが、僕たちは「ガチガチの世界をゆるめていいんだよ」というメタメッセージを発信しながら、スポーツをはじめ芸術(ゆるアート)や音楽(ゆるミュージック)などを変える方法で活動中です。

必然性だけでスポーツをつくれば、流行に左右されない

──「世界ゆるスポーツ協会」の競技数は現在120を超えますが、特に個性が光る競技を教えてください。

「くつしたまいれ」は、シンプルながらよくできたゆるスポーツです。バラバラに散らばった靴下の中から同じ柄を探し、ペアにして重ねて丸め、カゴに投げる。運動会でやる玉入れと同じく、たくさんカゴに入れたチームが勝ちです。靴下とカゴさえあればできますし、 “お手伝いスポーツ”としても人気です。


(写真:世界ゆるスポーツ協会サイトより)

これは玉入れに“ペアを探す”・“丸める”という複雑性を加えているのですが、複雑性があるということは役割が増えるということ。玉入れでは腕力がある子などが活躍しますが、「くつしたまいれ」では、色や形をそろえて整理整頓する特性を持った、とある発達障害の子もヒーローになりました。

──企業や自治体とコラボして生まれた「ゆるスポーツ」もあるとか。

「ハンぎょボール」は、ハンドボールとブリの街である、富山県氷見市とつくりました。ブリのぬいぐるみを脇に挟んだままボールを投げるのですが、得点すると脇に抱えるブリが出世して大きくなります。つまり、だんだんシュートを決めづらくなるわけです。物を脇に挟むことで全員が平等に下手ですし、活躍するほど動きにくいというジレンマも、出世魚であるブリの特性が反映されているので、腑に落ちるんですよね。


(写真:世界ゆるスポーツ協会サイトより)

僕らは「ゆるスポーツ」と謳いながらも、ルール設定は「ガチ」です。スポーツマイノリティーの人たちも楽しめるかは念入りに検証しますし、すべてのルールに必然性を持たせたい。必然性だけでスポーツをつくれば、作り手の邪念や流行が入る隙はできません。そのため、一時のブームに左右されない普遍的なコンテンツが完成します。100年後も残っておかしくない「ゆるスポーツ」づくりをしています。

遊びの価値は、思い切りトライアンドエラーできること

──近年の「ゆるスポーツ」の傾向として、特徴的な流れはありますか。

「ハンぎょボール」のような「ご当地ゆるスポーツ」が増えています。「世界ゆるスポーツ協会」の地域支部「横浜ゆるスポーツ協会」が誕生し、地域でご当地スポーツをつくって自分たちで運用し、イベントなどを回していく動きがあります。

小学校を中心に、学校で自発的に「ゆるスポーツ」をつくる動きも増えています。例えば昨年、徳島県三好市の某小学校では、ご当地ゆるスポーツをつくるための年間スケジュールを先生と児童たちで決め、50時間以上かけて完成させました。お披露目イベントも企画し、地域の人にビラを撒いたり、徳島県知事にも連絡して来訪してもらったそうです。

──子どもたちは「ゆるスポーツ」づくりを通じて成功体験を得られるのですね。

想像以上に子どもたちの発想が豊かで、僕たちも勉強になっています。このような経験は、子どもたちの大きな未来につながるのではと強く感じています。

協会立ち上げ当初から、活動を通していろんな人を“プレイヤー”と“クリエイター”にしたいという方向性を掲げていました。スポーツは見るよりプレーするほうがリターンも多い。オーディエンスからプレイヤーにしたいですし、みんなの中に眠っているクリエイターマインドを掘り起こしたいと思っています。

スポーツはたかだか息抜きで遊びです。ということは、うまくいかなくても支障はありません。だからこそ、普段はできないフルスイングができるし、たくさん失敗できる。これこそが、スポーツを含めた遊び全般の価値ではないでしょうか。この社会は遊びを過小評価しすぎているきらいがあるので、遊びの再定義も含めて動いています。

スポーツとは、“再生一時停止ボタン”である

──最後に、澤田さんにとってスポーツとはなんですか?


澤田智洋(さわだ・ともひろ)/世界ゆるスポーツ協会代表理事、コピーライター。2004年広告代理店入社。映画「ダークナイト・ライジング」の『伝説が、壮絶に、終わる。』等のコピーを手掛ける。 東京2020パラリンピック閉会式のコンセプト・企画を担当。2015年誰もが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」設立。100以上の新スポーツを開発し25万人以上が体験、海外からも注目を集める。一般社団法人障害攻略課理事として、障害があっても気軽に着られるファッションブランド「裏表のない世界」、視覚障害者アテンドロボット「NIN_NIN」など福祉領域のビジネスも多数プロデュース。著書に「マイノリティデザイン」「ガチガチの世界をゆるめる」「ホメ出しの技術」。2024年元日の能登半島地震を受けて4日で支援プラットフォーム「届け.jp」を立ち上げ、30,000点近い物資を的確に災害弱者へ届けた(写真:本人提供)

「Play(プレー)」は、スポーツをするうえで重要なワードです。「Play」には「遊ぶ」などいろいろな意味がありますが、僕が1番好きなのは“再び生まれる”と書く「再生」。僕にとってのスポーツを一言で表すと、「再生一時停止ボタン」です。

そもそもスポーツの語源が「港から離れる」であるように、スポーツは日常を一時停止して非日常を再生し、新しい自分や本来の自分に再び生まれ変わる行為だと感じています。

例えば、親である自分や上司である自分を一時停止して、いったん保留する。そしてまた同じボタンを押して日常に戻る。

ただしスポーツがすばらしいのは、勝つという嬉しい体験や、友達ができたという確かな財産が日常にも生きることです。非日常でも完全なファンタジーではなく、得たものが人生にフィードバックされるという、日常と地続きである点がよいですよね。

「人生に大きな影響を与えるボタンである」と、存在の大切さをかみしめながら日々スポーツの現場に立っています。

(せきねみき : ライター・コラムニスト・編集者)