共和党の副大統領候補に選出されたJ.D.バンス上院議員(写真中央)。いまやトランプ後継者の筆頭候補だ(写真:Bloomberg)

貧困白人労働者の生活を描き、ベストセラーとなった少年時代の回顧録『ヒルビリー・エレジー』。あれから8年。作者のJ.D.バンスは共和党の副大統領候補としていまやトランプ運動を引き継ぐ最右翼に躍り出た。彼の正体を上編、下編に分けて読み解いていく。

大統領選挙は終盤戦に入った。バイデン大統領の突然の撤退で、選挙情勢は急変した。7月の共和党全国大会でトランプ前大統領は正式に大統領候補として承認され、副大統領候補にオハイオ州選出のJ. D.バンス上院議員が指名された。共和党全国大会は共和党の団結を示し、大統領選挙での勝利を確信して終わった。

一方、撤退表明後、バイデン大統領が大統領候補に推挙したハリス副大統領は、インターネットによる代議員選挙で99%という圧倒的支持で、大統領候補の指名を獲得した。これは、8月19日から予定されている全国大会に先立って民主党が実施したものである。同時にハリス副大統領はミネソタ州のティム・ウォルツ知事を副大統領候補に指名した。

公開討論会にやる気満々のバンス

共和党「トランプとバンス」VS民主党「ハリスとウォルツ」の対決が決まった。9月10日に大統領候補による公開討論会が開催され、10月に3回目の公開討論会(日にちは未定)が行われる予定である。また副大統領候補による公開討論会は10月1日に行われる。バンスはウォルツに対して討論会を2度行うように提案している。かつて副大統領候補による2回目の公開討論会は行われたことはない。バンスはウォルツに対して極めて挑戦的な態度を取っている。

ハリスの支持率は上昇し、トランプは全国調査だけでなく、リードしていた激戦州でも、支持率を逆転される現象が起きている。トランプ陣営はハリスを攻めあぐねている。トランプ陣営では、感情的かつ思い付き発言の多いトランプに代わって、バンスに対する期待が高まっている。政治サイト『Axios』は「バンスは攻撃犬(attack dog)の役割を果たす」と指摘している。国境警備問題や移民問題、犯罪問題、インフレ問題などで具体的、論理的な攻撃をハリス陣営に仕掛ける役割である。

バンスにとって公開討論会は極めて重要である。トランプが選挙で勝利しても敗北しても、トランプが作り上げてきた「MAGA運動」を引き継ぐ能力が自分にあるかどうかが公開討論の場で試されることになるからだ。

トランプは共和党全国集会でバンスを大統領選挙の伴走である副大統領候補に選んだ。39歳と若いバンスは一躍「トランプ後」を担う後継者として注目された。2022年の中間選挙で上院議員に初選出されたバンスはまだ就任2年目の新人議員である。政治経験も浅く、政界での実績もない。

回顧録『ヒルビリー・エレジー』がベストセラーに

バンスを有名にしたのは、2016年に出版され、ベストセラーとなった少年時代の回顧録『ヒルビリー・エレジー』である。バンスがイェール大学法科大学院2年生の時、教授に少年時代の体験をもとに回顧録を書くように勧められたことが執筆の動機である。

同書は、保守的で、貧しいアパラチア地域に住む白人労働者の生活の実態を赤裸々に描いた。バンスが生まれたオハイオ州ミドルタウンはアパラチア地域の一部である。そして、ミドルタウンは「ラスト・ベルト(錆付いた地域)」と呼ばれる荒廃した元産業地域の一部でもある。

かつては石炭産業や製造業が栄えた地域であるが、産業の衰退とともに人々は貧しい生活に陥った。多くの住民は貧しさゆえに、アルコール中毒や薬物依存、家庭生活の崩壊に苦しむ一方で、敬虔なキリスト教徒でもある。バンスも、両親は離婚し、母親は薬物依存症で、幼少期は貧困と虐待に苦しんだ。

バンスは、アパラチア文化を「社会の衰退に対抗するのではなく、ますます衰退を促進する文化」と呼び、「悪い状況に対して最悪の形で反応する」絶望的な社会であると描いている。暴力と無責任、怠惰、そして「自分以外のすべての人を責める」社会であると手厳しいコメントをしている。

バンスは厳しい環境を抜け出すために、高校を卒業すると、海兵隊に入隊した。軍隊に入るのは、アメリカでは貧困から抜け出す有効な手段である。除隊すると「GI法(復員兵保護法)」で大学進学の奨学金がもらえる。

バンスは除隊後、地元のオハイオ州立大学に進学し、2013年にイェール大学法科大学院に入学している。卒業後、短期間、弁護士として働いた後、サンフランシスコに移り、ベンチャーキャピタルで働く。その後、オハイオ州に戻り、自らベンチャーキャピタル企業を設立した。2022年にオハイオ州上院議員選挙に立候補し、勝利している。そして一気に副大統領候補にまで駆け上った。まさに「アメリカンドリーム」を実現した人物である。

バンスはかつては「反トランプ」を主張していた。彼の反トランプの立場は2016年7月4日のリベラル派の雑誌『The Atlantic』に寄稿した「Opioid of the Masses(大衆のオピオイド)」に端的に表現されている。寄稿したのは、2016年の大統領選挙が行われている最中である。彼は32歳であった。バンス議員は次のように書いている。

真っ当なるトランプ批判を展開していた

「トランプが提案しているのは痛みから簡単に逃避することである。あらゆる複雑な問題に対して、彼は簡単な解決策を約束する。海外に進出した企業を罰することで雇用を取り戻すことができるという。ニューハンプシャー州の集会で彼は聴衆に向かって、メキシコとの間に壁を作り、麻薬カルテルを締め出せば、拡大する麻薬中毒を癒やすことができると語った。彼は、無差別に爆撃することで、アメリカを屈辱と軍事的敗北から救うことができると言う。トランプは自分の計画がどのように実行に移されるのか、決して計画の詳細を説明しない。それはできないからだ」

「大きな悲劇はトランプが指摘する問題が現実であることだ。彼が指摘する多くの傷を癒やすには、政府だけでなく、コミュニティの指導者と住民も真剣に考え、組織的な行動を取る必要がある。しかし、人々が一時的な高揚感に頼り、他人を攻撃している限り、国が必要な対応を取るのを遅らせることになる。トランプは“文化的なヘロイン”である。彼は一部の人を少しばかりよい気持ちにさせるが、人々を悩ましている問題を解決することはできない。やがて人々は、そのことに気が付くだろう」

「人々が、そのことにいつ気づくかわからない。数カ月後かもしれない。トランプが選挙で負けた時かもしれない。トランプの支持者が、トランプ政権の下でも、家庭が依然として戦場であり、新聞の死亡欄が若死にした人の名前で埋め尽くされ、アメリカンドリームへの信仰が揺らぎ続けていることに気が付くには数年かかるかもしれない。そんな時が来るだろう。私は、アメリカ人が多くの問題の解決に取り組むために、最大の力をもって、問題を見つめることを願っている。そのとき、アメリカは、『アメリカを再び偉大に(Make America Great Again=MAGA)』という安直なスローガンではなく、本当の薬を手に入れるだろう」

引用が長くなったが、バンスの痛烈な「トランプ批判」であり、正鵠を射た指摘である。2016年の大統領選挙の際のインタビューで、バンスは「自分は決してトランプ派ではない。トランプが好きだったことはない」と語っている。さらに「トランプに人気があるのは、彼に特別な資質があるからではなく、人々が既存のメディアや政治家、金融家に怒りを覚えており、それがトランプ支持に結びついている」と分析している。

だが、8年後、バンスは副大統領候補としてトランプと一緒にステージに立っている。現在、トランプの「最大の崇拝者」と言われるまでになっている。バンスに何が起こったのか。自分を「白人労働者」と語ったバンスは、今や極右を代表する政治家に変貌し、トランプ後の「MAGA運動」を引き継ぐ政治家と見られている。トランプが当選し、バンスが副大統領に就任すれば、バンスは2028年の大統領選挙で共和党の大統領候補になる可能性もある。

バンスの転向を読み解く

何がバンスを変えたのか。バンスの“転向”あるいは“変節”は、2022年にオハイオ州の上院議員に立候補したときから始まった。「トランプ批判者」から「トランプ崇拝者」に変わった。人が変わるのは別に悪くはない。ただ、なぜ変わったのかを理解することは重要である。

なぜバンスがサンフランシスコでの裕福な生活を捨て、2017年に故郷のオハイオに戻ったのだろうか。バンスは2017年3月16日の『ニューヨーク・タイムズ』に「なぜ私は引っ越しをするのか(Why I’m Moving Home)」と題する記事を寄稿している。

バンスは、転居する理由を次のように説明している。

アメリカには地域的な不平等が存在している。高等教育は、貧しい地域から優れた若者を吸い上げ、有能な若者を大都市に再配分している。そうした「頭脳流出」が、地域的、階級的な格差を作り出し、政治の分極化を作り出している。

「すべてのことが悪くなると感じている場所(オハイオ州)から来た人間にとって、人々が生活はつねによくなっていくものだと感じている社会(シリコンバレー)に住むことは不愉快なことである」と書いている。生活が悪化するのが当たり前の地域で生まれたバンスにとって、豊かで、希望に満ちたサンフランシスコで暮らすのは不愉快なのである。

「私は、教養があり、一般的に善意な人々が、“中西部の遅れた地域”や、そこで住む人々について醜い言葉を話すのを聞いたことがある」と、故郷に対する思いを書いている。「こうした楽観主義がシリコンバレーで暮らす人にアメリカの他の地域の本当の問題に対して盲目にしているのではないかと思っている」と指摘する。

「オハイオ州に移住する実際的な理由がある。私はオハイオ州のオピオイド(医療用麻薬)蔓延と戦う組織に資金を提供している」と、移転の理由を説明している。荒廃する故郷で福祉団体(Ohio Renewal)と投資会社を設立している。同時に政治的野心も抱いていた。ただ、こうした活動は思ったような成果を生み出さなかった。

バンスの批判者は、こうしたオハイオ州での活動はバンスの政治的野望の隠れみのだったと批判している。事実、帰郷した次の年の2018年に上院議員への立候補を検討し始めている。バンスのオハイオ州への帰郷の本当の狙いは、荒廃する故郷の復興という名分とは別に政界への進出にあった。

バンスは上院選挙立候補でトランプの支持を求めた

バンスは上院議員に立候補する際に、かつて批判したトランプに支持を求めた。オハイオ州出身とはいえ、バンスは選挙基盤を持っていない。予備選挙を勝ち抜き、本選挙で民主党候補を破るには、後ろ盾が必要だった。

バンスは、恥も外聞もなく、上院選挙出馬を前にトランプ批判のSNSへの投稿をすべて削除した。トランプの怒りを収めるために何度もフロリダを訪れ、トランプに謝罪した。

『The Atlantic』で書いた文章について、「自分のトランプ反対論は間違っていた」と語っている。そして「トランプの影響を受けて、自分のトランプに対する考えが変わった」と釈明している。「誰かを評価するとき、判断が間違っていたら、自分が間違っていたことを認めることはよいことだと思う」「最も重要なことは、5年前に何を言ったかではなく、アメリカ国民の利益を実際に守るために、立ち上がるかどうかだ」と、苦しい弁明を繰り返している。

そして「トランプの支援がなかったら、選挙で勝てなかっただろう」と素直に認めている。トランプへ忠誠心を示し、トランプの最大の擁護者になっている。バンスは改宗者のような情熱を持ってトランプ主義を受け入れている。

(中岡 望 : ジャーナリスト)