4月11日のアメリカ議会合同演説で饒舌だった岸田首相。首相として日米関係のクライマックスを迎えた瞬間だった(写真:ブルームバーグ)

8月14日午前、岸田文雄首相による突然の自民党総裁選不出馬宣言を聞きながら、筆者は「ああ、やっぱり岸田さんとジョー・バイデン大統領は、切っても切れない『ニコイチ』の関係だったのだなあ」と感じ入ったものだ。


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察するに7月21日、バイデンさんが大統領選挙への再選出馬取りやめを発表し、その後はカマラ・ハリス副大統領が民主党の正式な候補者となり、人気急上昇となってドナルド・トランプ前大統領を圧倒せんばかりの勢いになっているのを見て、岸田さんは何か感じるものがあったのではないのかなあと。

いや、政治家にとっての出処進退は、もとより覚悟のうえであるはず。岸田さんも思い悩んだ末での決断だったことだろう。何しろポーカーフェイスの方だけに、そこは余人のうかがい知るところではない。それでも「岸田さんとバイデンさん」は、日米関係史の中でもかなりユニークな一時期を築いてきたことは間違いない。ここではこの3年間の「岸田=バイデン関係」について振り返ってみたい。

アメリカ側が民主党政権だとなぜか日本の政権は短命

これは日米関係に関する定番のような法則だが、「アメリカ側が共和党政権であるときのほうが日米関係はうまくいく」。聞いた瞬間に、1980年代のロナルド・レーガンと中曽根康弘、2000年代のジョージ・W・ブッシュと小泉純一郎、そして2010年代後半のドナルド・トランプと安倍晋三などの関係がすぐに思い浮かぶ。いずれも日本国首相がアメリカ大統領と個人的な関係を結び、そのことによって長期政権化に成功したケースである。

これに対し、アメリカ側が民主党政権のときはどうだったかというと、ビル・クリントン政権時には日本側は7人の首相(宮澤喜一/細川護煕/羽田孜/村山富市/橋本龍太郎/小渕恵三/森喜朗)が入れ替わった。バラク・オバマ時代も、前半だけで日本側は5人(麻生太郎/鳩山由起夫/菅直人/野田佳彦/安倍晋三)が入れ替わった。相性をうんぬんする以前に、なぜか不思議と日本側では短命政権が続いたのである。

当たり前のことではあるが、自民党は保守政党であるために、同じ保守政党である共和党の方がやりやすい。逆にジェンダーやマイノリティの問題など、リベラルな問題には弱いので、アメリカの民主党を苦手とするのは致し方ないところがある。それを考えても、2009年から20 12年にかけての(日本の)民主党政権が短命に終わったことは惜しまれる。特に、沖縄基地問題をこじらせてしまった鳩山由紀夫首相は罪が重いといえる。

不思議な「政治基盤の弱いリーダー」の組み合わせ

過去をさかのぼれば、1970年代後半の日米関係に「大平正芳とジミー・カーター」という成功例もあった。大平氏は敬虔なクリスチャンであり、カーター氏もまた信仰心の厚い南部人であった。二人の間には深い交流があったと伝えられている。

「岸田文雄とジョー・バイデン」は同じく宏池会とアメリカの民主党の組み合わせとなるが、あいにく「どちらも政治的基盤の弱いリーダー」であった。そしてカーター氏は「1期のみの大統領」で終わり、大平氏は選挙期間中に病いに倒れたのであった。

そして今般、バイデン氏は高齢を懸念されて再選出馬を断念し、岸田氏も自民党総裁としての再選を求めない決断を下した。やはりこの二人、不思議と重なるのである。

最初から息が合っていたわけではない。岸田内閣が発足したのは2021年10月のこと。首相になってすぐに、岸田氏は訪米を希望した。とにかくアメリカ大統領に会って、日米関係を確実なものにしておきたい。それ自体は自然な発想といえるが、ホワイトハウスはなかなか時間をくれなかった。岸田訪米は「おあずけ」を食らってしまったのだ。

今から思えば、アメリカ側は「また日本の悪い癖が始まった」と考えたのであろう。バイデン大統領が就任したのは2021年1月20日のこと。その時点の日本首相は菅義偉氏であった。4月には菅首相が訪米して日米首脳会談を行うが、このときの日米共同宣言は52年ぶりに「台湾海峡の平和と安定性」を書き込むという画期的なものであった。

ところが菅義偉首相は、その年の夏には「自爆」してしまう。おそらくアメリカの民主党の面々は、「ああ、ジンクスは健在だった」と頭を抱えたのだろう。こうなると日本の新首相には怖くて会えなくなってしまう。だって半年後に辞められたりしたら、目も当てられないではないか。それくらい日本政治には悪しきトラックレコードがあったということだ。

アメリカの要求以上のことを実現した岸田首相

状況が変わったのは明けて2022年2月、ウクライナ戦争が始まってからである。国連の常任理事国たるロシアが、国境を越えてウクライナに侵攻したのだから大変なことである。いかに超大国アメリカといえど、核保有国相手に喧嘩は売れない。経済制裁をということになるのだが、そこで重要になるのがG7の合意である。対ロシア金融・経済制裁は前例のない規模のものとなったが、ここから日米の密接な協力が欠かせないものになる。

この年の5月にはバイデン大統領が訪日する。この機会に合わせて「QUAD」こと日米豪印首脳会談が東京で開催され、「IPEF」ことインド太平洋経済枠組みの第1回会合(こちらはリモート参加がほとんど)も行われる。いずれも日本外交が、バイデン政権を強力にアシストしたケースである。

この年の7月には安倍晋三元首相が凶弾に倒れるが、岸田氏はその安倍氏が望んでできなかったことを成し遂げる。年末に行われた防衛3文書(国家安全保障戦略+国家防衛戦略+防衛力整備計画)の閣議決定がそれだ。反撃能力の保有や防衛費倍増といった課題も決定し、まさに戦後防衛政策の大転換であった。

ここに至って、さすがにバイデン政権の誤解も氷解する。戦後長らく日本にとっての対米関係とは、「対日要求をいかに値切るか」がテーマであった。ところが岸田内閣は、「アメリカに要求される以上のことを、先手を取って実現してしまう」のである。

もちろんそれは「アメリカの圧力に屈したから」ではない。日本を取り巻く安全保障環境が激変し、「今日のウクライナは明日の東アジア」かもしれないと認識したからだ。2023年1月に岸田首相は念願かなってワシントンを訪れ、日米首脳会談において「日米の拡大抑止」を確認している。

この年の5月には、広島G7サミットが行われる。ウクライナからウォロディミル・ゼレンスキー大統領がやってきたのもさることながら、筆者の目には平和記念公園でのセレモニーが焼き付いている。

原爆を落とした国と、落とされた国の首脳同士が、共に並んで原爆の犠牲者に花束を捧げる。そしてそのことに対して、異を唱える人がほとんど出てこない。2016年にバラク・オバマ大統領が広島を訪問した際には、数々の障害を越えなければならなかったことを思えば、隔世の感があった。

2023年8月には、キャンプ・デービッドにおいて日米韓首脳会談も行われた。極東にロシアと中国、北朝鮮という厄介な相手がいるにもかかわらず、日韓関係が悪いことはアメリカから見て長らく「のど元に刺さったトゲ」であった。ところが2022年5月に当選したユン・ソンニョル大統領との間で、日韓関係は劇的に改善する。バイデン大統領にとっては「願ったりかなったり」の展開であったことだろう。

アメリカの国賓待遇に応えた岸田首相の議会合同演説

こうして振り返ってみると、今年4月の岸田首相訪米が「国賓待遇」になった意味がわかってくる。同月11日の議会合同演説における岸田氏は、日本国内ではけっして見せないような饒舌さを披露した。あの場で伝えられた以下のくだりは、まさにアメリカが同盟国から「この言葉を待っていた!」というものではなかっただろうか。

世界は米国のリーダーシップを当てにしていますが、米国は、助けもなく、たった一人で、国際秩序を守ることを強いられる理由はありません。

世界中の民主主義国は、総力を挙げて取り組まなければなりません。皆様、日本はすでに、米国と肩を組んで共に立ち上がっています。米国は独りではありません。日本は米国と共にあります。

ただし岸田氏は、来月には自民党総裁として丸3年の任期を終えて、首相の座を降りる。

バイデン氏もまた、すでに「レームダック大統領」の立場である。日米関係における「岸田=バイデン時代」は間もなく終わりを告げる。次のチャプターを担うのは、アメリカ側はトランプ氏か、それともハリス氏か。そして日本側は……、いやもうまったく見当がつかない。

「岸田=バイデン最後の首脳会談」をやらせてあげたい

岸田氏とバイデン氏、いずれも政策的にもそれほど間違っていたとは思われない。しかし支持率は低迷し、ともに再選の機会を逃すこととなった。これは世界的な現象であるけれども、インフレ時代の民主主義国の政治家はやはりツラいのだ。

自民党総裁選挙の日程はまだ確定していない。「9月中旬に実施して、直後に臨時国会を開いて首班指名を行い、国連総会には新首相が出席すべし」との意見もあるらしい。

だが普通に総裁選は9月末に実施することにして、国連総会には岸田さんに行ってもらい、バイデンさんとの間で「最後の日米首脳会談」をやらせてあげればいいのになあ、と筆者は考えている(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

ここから先はおなじみの競馬コーナーだ。18日の日曜日は札幌記念である。夏競馬唯一の「ローカルG2レース」だが、「早く国際招待のG1レースに昇格させるべし!」とは多くの人が提言するところである。

筆者ももちろん賛成だ。夏の札幌は過ごしやすいし、他国開催の大型レースとかぶることもない。世界の競馬関係者が8月の札幌競馬場で一堂に会する、というのはかなり「いいアイデア」ではないだろうか。

しかしながら、札幌記念はちと癖のあるレースである。G1馬が多く集まる一方で、しばしば人気馬が不覚を取る。その証拠に、過去10年で1番人気は【0−4−3−3】と一度も来ていない。2番人気は【5−1−0−4】と優秀であり、3番人気も【2−0−0−8】と要注意。大穴は滅多に来ないし、上位陣はそこそこ信頼できるのだが、買い方にはひと工夫が必要だ。

思うに札幌記念には、秋の海外レースを目指す馬が「調整目的で」集まる一方、本気で賞金を稼ぎに来る馬や、札幌競馬場を得意とする馬もいる。多様なモチベーションを持つ馬が激突することで、「少し難あり」のレース結果がもたらされるのであろう。

札幌記念は人気馬の誘惑を避け「あの馬」で勝負

今年も12頭と小ぶりながら、いいメンツが集まった。中でも昨年の札幌記念の覇者にして、前走クイーンエリザベス2世カップではあのロマンチックウォリアー(安田記念の勝ち馬!)にクビ差と迫ったプログノーシスの強さは格別といっていいだろう。しかも鞍上の川田将雅騎手は、このレース過去10年で3勝もしている。

とはいうものの、これぞまさしく「買ってはいけない」人気馬の誘惑なのではあるまいか。そこで本命には、皐月賞馬ジオグリフを指名することにしよう。このところ不本意なレースが続いているものの、札幌2歳ステークス(G3)を勝って以来の札幌競馬場で、5歳馬としての覚醒を期待する。ジオグリフからプログノーシスやシャフリヤール、ステラヴェローチェあたりに流してみたい。

もう一頭、気になっているのは昨年の2着馬トップナイフだ。斥量は55キロから58キロに増えてしまうが、鞍上が「テン乗り」名手の田辺裕信騎手である。しばしば無欲なときに穴をあけるので、ここは軽く押さえておきたい。

※ 次回の筆者は小幡績・慶應義塾大学院教授で、掲載は8月24日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(かんべえ(吉崎 達彦) : 双日総合研究所チーフエコノミスト)