6月8日、桂宮宜仁親王十年式年祭 墓所祭の儀に参列された愛子さま /(C)JMPA

写真拡大

8月2日、愛子さまが乗られたワンボックスカーが、港区にある日本赤十字社本社の地下駐車場に入っていった。

4月に日本赤十字社(以下、日赤)に入社されてから4カ月。当初は、“週2〜3日の勤務になる”とされていたが、ほぼ毎日出勤されている状況なのだ。

「これから社会人としての日々が始まりますが、早く職場になじみ、皆さまのお役に立てますよう、頑張ってまいりたいと思っております」

入社当日、取材にそう答えられた愛子さま。その意気込みは、いまもまったく衰えを見せていないという。

「東北地方の豪雨被害のため、最終的には辞退されましたが、天皇ご一家は8月2日から、静岡県の須崎御用邸で静養される予定でした。本来はお休みを予定されていた日にもかかわらず、愛子さまは出社されたのです。

いまはボランティアに関する情報誌の編集などの業務を担当されているそうですが、情報を整理して発信するというお仕事に強い意欲を燃やされているのでしょう」(皇室担当記者)

しかしいま、そのような日々を送られている愛子さまに対して厳しい報道も相次いでいる。

「8月1日発売の『週刊文春』が《「公務選り好み」にも心配の声が… 遅刻連発で迫る母娘シンクロの悪夢》というタイトルの特集記事を報じています。

記事中には『公務の回数が少なく、ご興味がある分野にしかお出ましにならない愛子さまも、かつての(雅子さまへの)ようなバッシングがいつ起こってもおかしくありません』という宮内庁幹部の談話が掲載されています。

また7月25日発売の『女性セブン』も《愛子さまに「公務させない」許されざる圧力》というタイトルの記事を報じています。

いずれの記事も、愛子さまの単独ご公務が、5月の国立公文書館での文学展をご覧になった1度だけであることをポイントにしているのです。特に『週刊文春』は、秋篠宮家の長女・眞子さんの新社会人になった時期と比較し、“眞子さんの約三分の一しか公務をされていない”としています」

こうした報道に対して、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。

愛子さまが社会人となられて、まだ4カ月。この時期に、まるで“あらさがし”のような記事が報じられていることは非常に残念です。ご公務は、数が多ければよいというものではないと思います。一つひとつに丁寧に向き合われることが大事で、さらに国民にとっては皇室の方々が自分たちに寄り添ってくださっているのが感じられることを望んでいるのではないでしょうか」

そもそも愛子さまは、多忙な日々を送られている。ほぼ毎日、日赤に出社されており、ときには夜8時までお仕事をされていることもあるのだ。

■宮中祭祀ご奮闘は皇族の自覚の表れ

7月30日は日赤をお休みになっていたが、それも宮中祭祀に臨まれるためだった。

宮内庁関係者によれば、

「7月30日は明治天皇の命日に当たります。今年も皇居・宮中三殿の皇霊殿で『明治天皇例祭の儀』が営まれ、天皇陛下と秋篠宮ご夫妻が拝礼されました。

愛子さまも参列されたのですが、このことはほとんど報じられていません。明治天皇が崩御して112年、百年式年祭といったような節目ではありませんでした。それにもかかわらず、愛子さまが日赤をお休みになってまで参列されたことからも、いかに祭祀を重視されているかが伝わってきます」

愛子さまは最近だけでも、6月8日の「桂宮宜仁親王十年式年祭 霊舎祭の儀・墓所祭の儀」、6月16日の「香淳皇后例祭の儀」、7月24日には「後宇多天皇七百年式年祭」など、多くの祭祀に参列されているのだ。

「特に後宇多天皇七百年式年祭に参列されるにあたっては、事前に天皇陛下や雅子さまとごいっしょに、後宇多天皇のご事績に関するご進講も受けられています。

皇霊殿などでの祭祀は、写真や詳細が公表されるわけではありません。しかし、愛子さまは皇室が守ってきた伝統を大切に受け継がれようと、ひそかに奮闘されているのです。

当面は日赤でのご勤務と祭祀を、おつとめの2つの柱とされるものと思われます」(前出・宮内庁関係者)

愛子さまのご姿勢について、小田部さんは次のように語る。

「祭祀への参列には国民の平和や安寧を祈るほかにも、長い皇室の伝統を継承し、天皇家のみならず国民が築いてきた歴史や文化を振り返るという意味があります。愛子さまが皇室の一員としてご自身の立場をふまえられているというご覚悟の表れであり、そうしたお姿を知れば、国民はさらに愛子さまに敬愛の念を抱くのではないでしょうか」

心ない誹謗に負けず、これからも愛子さまには、内親王としてひたむきに歩んでいただきたい。