中国民航で1980年代に日中間に就航していたボーイング767-300(筆者撮影)

写真拡大

 日中直行の航空路が初めて開設されたのは、1974年のことである。それまで両国の往来は主に香港経由のルートで結ばれていた。1972年の国交正常化を受け、日本と中国本土の直行便の開設により新たな時代が幕を開けた。
 日本航空(JAL)と中国民航(CAAC)は東京と北京間に初の定期便を運航し、これが両国間のビジネスや観光、文化交流の促進に大きく寄与した。今年9月は両国間に航空路が結ばれて50周年になる。

◆日中航空路50年の歩み

 この間、日中間の航空路は多くの変化を遂げてきた。1980年代から1990年代にかけて、経済成長に伴い両国間のビジネス交流が活発化し、航空便の需要も急増した。ANAが中国路線を開設したのは1987年のことだ。

 1988年には中国が、国営の中国民航を民営化し中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空などが誕生した。またJALに統合される前の日本エアシステム(JAS)は広州などへ飛んでいた。2000年代には、観光客の増加により、さらなる路線の拡充が進み、中国は3大エアラインを中心に多くの航空会社が新たなルートを開設し、運航便数を増加させた。

 特に2007年には、羽田空港発着枠の増加で上海(虹橋)直行便のできたことが弾みとなった。2010年には春秋航空が定期チャーター便として茨城空港に就航し、定期便の足掛かりを作った。2012年以降LCCの就航でピーチアビエーション、ジェットスタージャパンが上海線を開設し、これにより中国からの観光客が急増し、日本の観光地や都市部は中国人観光客で賑わった。

 この時期以降、政府の中国人に発給するビザの要件を段階的に緩和したことから訪日中国人観光客数は毎年のように記録を更新し、日本の観光業にとって重要な存在となった。

◆コロナ禍による影響

 しかし、2020年に世界中を襲った新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、日中間の航空業界にも大きな影響を及ぼした。中国からの国際便は大幅に減少し、両国間の人の流れは一時的にほぼ停止した。この影響は日本のインバウンド観光にも及び、多くの観光地や商業施設で経営困難な状況に直面した。

 2023年現在、日中間の航空便も徐々に再開されつつあるが、コロナ禍以前の水準にはまだ戻っていない。中国国内での感染対策や出入国規制が依然として厳しく、ビザの発給や航空便数も制限されているのも要因のひとつだ。

◆インバウンド6000万人達成の鍵

 日本政府は2030年までに年間インバウンド観光客数を6000万人にするという目標を掲げている。この目標を達成するためには、中国からの観光客の回復が不可欠である。中国は世界最大の国際観光旅客供給国であり、日本にとって重要なマーケットである。

 では、どのようにして中国人観光客を再び日本に誘致することができるのであろうか。

 日本の観光地や文化を中国国内で積極的に宣伝することが重要である。特にインフルエンサーの意見に影響を受ける人々の多いお国柄から、SNSを活用したプロモーションは当然として、中国でのLINEにあたるWeChatをもっと使いこなせるようになれば中国人の関心を惹くことができる。

◆ビザ発給の緩和、直行便の増加

 さらに中国からの観光客が日本を訪れる際のビザ発給手続きを簡素化し、迅速化することが求められる。個人旅行には経済力を証明する年収制限をさらに下げることも必要だ。観光ビザの取得が容易になることで、訪日意欲が高まるであろう。

 日中間の直行便を増やすことで、移動の利便性を向上させることができる。特に日中双方の地方都市間の直行便を充実させることで、地方への観光客誘致にも繋がるであろう。

 一例では、静岡空港杭州と結ぶ北京首都航空の存在がある。両国の地方同士を結ぶ航空路として格好の事例になる。静岡県は、富士山という観光資源があり、杭州には西湖という世界遺産がある。徐々に航空路線は戻りつつあるが、コロナ禍前の便数には戻っておらず、まずはコロナ禍前を目指す必要がある。