米川正悟医師

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 体幹を鍛える。姿勢を正す。よく耳にするが、さて、どうすればいいものか。膝痛や腰痛予防のための手軽な「必須のハウツー」を、ノンフィクション・ライターの西所正道氏が、WBC日本代表にチームドクターとして同行した“その道のプロ”の医師に聞いた。

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 少し歩いただけでふくらはぎが痛んだり足がつったりする。長い距離を歩くのが苦痛になった。腰が痛い。

 そんなふうに、ふと感じる場面はないだろうか。

「若い世代にはあまりない感覚ですよね。なぜこれらが起きるかというと、多くは筋力の低下や、関節が硬くなることが原因です」

 そう語るのは、東京城南整形外科院長の米川正悟医師(43)である。

米川正悟医師

「体がそのせいで動かしづらくなってくる。人間の体には具合の悪いところがあると、それを補おうとする特性が備わっています。すると本来の体の重心からズレが生じ、姿勢が悪くなってしまいます。その影響で関節のクッション部分に荷重がかかり、炎症を起こすこともあるほどです」

高齢者に特徴的に見られる歩き方

 実は米川医師、昨年世界一に輝いたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本代表のチームドクターとして激戦の地に同行し、選手らの健康管理や診察などにあたっていた。

 その米川医師が言う「重心がズレた状態」だが、体が自ら補整を繰り返すうち、厄介にもさらなる異変を招くのだという。

「重力に耐えかねたように首が前に出て、背中が曲がり、腰が落ち気味になって、膝も曲がり足を擦(す)る感じでゆっくり歩くようになる。高齢者に特徴的に見られる歩き方ですが、こうした状態を長く続けていると、骨や関節などに器質的な変化が起きる場合すらあるのです」(米川医師)

 とくに首や腰は、まわりに「支える組織」が十分ではないから問題なのだそうだ。たしかに首を支えているのは頸椎という7個の骨とわずかな筋肉で、重い頭を支えるだけでもかなり負荷がかかる。加齢とともに背中が丸くなると頭が前に出て、より一層の負担が首に集中してしまう。

体が十分動くうちに体幹を安定させる

「背骨は頸椎から、胸椎、腰椎へとつながっています。このうち胸の部分の胸椎は前に肋骨がついていて全体の剛性が高いのですが、腰や首はそうした“サポート組織”がまわりになく、骨や椎間板だけで頑張っている状態。悪い姿勢や重心のズレが習慣化していると、傷めやすく、不調をきたすことが多いのです」(同)

 さて、それを避ける一つの方法として米川医師が挙げるのが「体幹を安定させる」ことである。

「できるだけ早いタイミングで体幹を安定させ、重心のズレを修復できれば、症状が改善することもあります。また、体が十分動くうちに体幹を安定させると、首や足腰の不調などを予防することにもつながります」

 一口に体幹と言われても、ピンとこないかもしれない。

 体幹を安定させる方法を米川医師に聞いてみると、手をヘソの両脇あたりに置きながらこう言った。

「腹横(ふくおう)筋の周辺を意識しながら生活することが肝要ですね」

腹横筋を意識しながら歩く方法

 ここから先は、米川医師のクリニックで理学療法士として患者のリハビリなどを担当する石井斉氏(48)に解説してもらおう。

 石井氏は、立った状態で両手をヘソから左右の脇腹にスライドさせ、出っ張った腰骨のあたりで止めた。

「意識するのはヘソと腰骨の中間あたりです。そこに手を置いた状態で、少しお腹を凹ませ力を込めてみてください。手が押し返される場所が腹横筋のあるところです」(石井氏)

 実際に手を置いてグッと力を入れてみる。ヘソに重心が来てスッと背筋が伸びる。そんな感覚が得られないだろうか。

「腹横筋は腹部をベルト状に支える筋肉で、脇腹から斜めに走る腹斜筋などとともにコルセットのような働きをして、腰をサポートしています」(同)

 腹横筋を意識しながら、試しに歩いてみる。すると伸びやかに、軽やかに足を運べるような気がする。

「それは腹部や背骨がしっかり支えられ、上半身と下半身が連動できているためです。そのとき、自分の頭が上からピアノ線でつるされているとイメージできれば体幹が安定しているということ。腹横筋を常時意識するのは難しいかもしれませんが、1日に何回か思い出してやってみるだけでもいいと思います」(同)

「肋骨部がガチガチの人が増えている」

 もしその感覚が得られないなら、他に何らかの“事情”があると考えられる。

 米川医師が示唆するのは、肋骨の問題である。

「中高年の方で、肋骨部がガチガチに硬い人が増えているんです。肋骨の間には筋肉があって、胸椎や胸骨とあわせて胸郭という籠状の構造を形成しています。そこは必要に応じて広がるなど柔軟性を有していますが、胸郭が硬いと柔軟性は落ちてしまいます」

 原因の一つが、よくない姿勢で座っていること。

「コロナ禍の影響で外出が減り、会社員の方も在宅ワークの時間が増えました。よくない姿勢で漫然とダイニングのイスや居間のソファに座っていたり、在宅ワークの環境づくりが急ごしらえで椅子や机が体に合っていないまま長時間仕事をしているケースも。いずれも体には決してよくありません」(同)

胸郭の硬さをチェックする方法

 この胸郭の硬さをチェックする方法があるそうだ。

 まず床に四つん這いになり、右手を後頭部に添える。その状態から右肘を天井に向けて上げていき、その動きに合わせて顔も右上のほうにひねっていく。

「若い人だったら肘が90度近くまで簡単に上がり、普通に天井が見えるのですが、中高年の方は意外に難しい。70度、つまり天井が視野に入るぐらいまで上がれば及第点。もし天井が見えないようだと、かなり硬いなという印象です」(石井氏)

 それにしても胸郭が硬いと、どうして歩くことに影響するのだろう。

 石井氏によれば、人間は歩くときに腕を振りながら、上半身を“でんでん太鼓”よろしく右回り・左回りへ繰り返し運動させている。これによって推進力を生み、下半身とも連動して歩みを進めるエネルギーを生んでいるという。だが、胸郭が硬くて可動域が狭いと、そのような動きができずに下半身の推進力だけに頼りがちになり、歩くうちにふくらはぎが痛くなる。

 可動域は重要で、たとえばゴルフや野球のスイング動作をする人は、腰を過剰に動かして痛めることがあるので要注意なのだ。

「ゴルフクラブを振るとき、頸椎、胸椎、腰椎などからなる背骨を回転させます。胸椎は左右に40度ぐらい回る構造ですが、腰椎はせいぜい7度から9度。胸郭が硬い人がクラブをスイングすると、胸椎が動かない分を腰が補正しようとするんですね。するとスイングの勢いで腰椎が可動域を超えて回ってしまう。バットを振る際も同様で、成長期の子供では腰椎分離症(腰椎の疲労骨折)になることがあります。中高年の方ですと、腰椎や椎間板、椎間関節を痛める原因になり得ます」(同)

柔軟にする方法は

 ならばと、胸郭を柔軟にする方法を石井氏に教えてもらった。

 まず体の左右どちらかを下にして横向きに寝る。左側を下にした場合で説明すると、その状態で右足を前に、左足を後ろに投げ出し、走っているポーズをとる。そして右手を後頭部に添え、上半身をひねって天井を向く→顔を伏せて床を見る、という動きを繰り返す。胸を開いたり閉じたり、ストレッチする感覚でゆっくりと……。右側を下にしての運動も同様である。

 これを1日に最低左右5回ずつこなすと、徐々に胸郭が「柔らかく」なってくるという。やがて上半身の動きが下半身に伝わり、スムーズに歩ける効果が得られる。

腕は“振る”のではなく“振られる”

 上半身の回転や動きをよりダイナミックにするのが腕の振りだ。この点、米川医師によると、

「手は“振る”というよりも、体の動きに合わせて“振られる”というイメージを持たれてはどうでしょう。実は、野球のピッチャーも同じなんですよ」

 たとえばWBCにも出場した山本由伸選手と佐々木朗希選手のピッチャー二人。彼らの投球フォームは明らかに異なる。

「山本選手は重心がブレないように、脚をあまり上げずに投げる一方、佐々木選手は左脚を大きく上げるダイナミックなフォームです。ただ、下半身をうまく使って体重を移動させ、体の回転運動でエネルギーを生み出し、あとはその流れで腕をしならせるように振って投球するという点は二人とも同じ。つまり、腕は一連の動作で生み出されたエネルギーによって“振られる”イメージなんです。投球フォームが多様であるように、もちろん歩くときの腕の振り方も人それぞれ違ってかまいません」(同)

新聞紙を足の指で丸める

 上半身の次に下半身の動きもチェックしておこう。

 歩行にもうひとつ必要なのは、地面をつかんだり蹴ったりする力。これが弱いと、やはりふくらはぎや膝が痛くなる可能性がある。

 電車やバスで揺られて倒れそうになったとき、反射的に足先に力を入れて踏ん張り、場合によってはつり革をつかんで転倒を免れる。

 こうした「バランスを取る」動作は加齢とともに難しくなる。

 この力があるかどうかを測る方法を紹介しよう。

 はだしでイスに座り、床に広げた新聞紙を足の指先だけでクシャクシャに丸めることができるだろうか。丸めたら今度は指先だけで元に戻してみる。指先の力が弱いと容易でない作業だ。

 石井氏が言う。

「指先の力に不安を感じたら、はだしの時間を増やすのがいいかもしれません。家の中でスリッパを履く生活を送っている方なら、できるだけはだしにしてみるとか。冬場は冷えますので、畳やじゅうたんの上だけに限定してもいいでしょう」

 米川医師が補足するには、最近はソールに高反発素材を使って前への推進力を生み出す高機能のシューズが普及し、それを身に着ける陸上競技選手の中には地面をつかむ力が強くない人もいるそうだ。

 指先の力をつけることは転倒予防にもつながるので、普段歩くときはそうした新素材の靴などは避けたほうがいいだろう。

お尻の筋肉を意識

 下半身の使い方でのさらなるポイントは、お尻の筋肉を意識することだ。

「歩いたり走ったりするときは、できるだけ大きな筋肉を使ったほうが疲れにくいのです。歩くときに使う筋肉では大殿筋、つまりお尻の筋肉の構造が大きい。お尻の筋肉を使うように意識すれば、階段などの負荷がかかるところでも少し楽に歩けるようになります」(石井氏)

 人間は動物=動く生き物だ。それだけに日常生活の何気ないシーンで、体を痛めることだってある。

 車の運転席から後部座席のものを取ろうとしたとき、肩などにピキッという痛みが走ることがあるが、下手をすれば肩の腱を損傷することも。石井氏によると、この類いのケガは珍しくないという。原因は、体が動くメカニズムを頭に描いていないからだ。

「目覚めたとき」も盲点

 イスに座って背後のものを取る場合、まず股関節が回旋し、次に胸椎が動き、胸部の筋肉も反応する。その後で肩甲骨が動いて腕が背後に振られる、という運動のリレーが行われる。

 それらの段階を一つひとつ確認するイメージで、無理のない動きを心がけることが大事だと説く。

「この一連の動作の中で最も自由度が高いのは肩なんです。いろんな方向に動くので“便利”なのですが、骨と骨が適度にはまっている股関節などと比べると、肩は非常にはまりが浅いです。だから脱臼が起きやすい」(石井氏)

 肩に備わる広い可動域は、人間が二足歩行に進化する過程で脱臼しやすいリスクと引き替えに獲得した利便性だ、とは米川医師の解説である。

「ただし解剖学的に言いますと、人間は視野に入らないものを取れるようには進化してきていません。だから背後のものに手を伸ばす際は注意してください」

 夜中にトイレに起きるときや、朝、目覚めて起き上がるとき。これもケガをしやすい瞬間で、意外に盲点になっているという。

「高齢者には、寝起きに腰の痛みを感じると訴えられる方が珍しくありません。睡眠後の、長時間じっとした状態から体を動かす場合、出力を一気に上げなければならず、高齢になるとそれが難しくなる。出力が十分上がりきらないうちに動いてしまうと、体に負荷がかかってしまいます。夜中や朝方に起きる際は、すぐに急いで立ったりせず、しばらく布団やベッドの上で体を動かしたり、ストレッチ運動などをしてから起き上がったほうがいいでしょう」(同)

年齢を重ねてからでも効果が

 最後に、どちらかの脚をケガした場合の歩き方について聞いた。家の中や外出先で階段を使わざるを得ないとき、どう歩けばいいのだろうか。石井氏が言う。

「基本的なルールとしては、階段を上るときは痛くないほうの脚から上がり、その足で踏ん張って、痛む側の脚を上げてそろえます。逆に下りるときは、痛む側の脚から下ろします。そのほうが負担は少ないからです」

 体幹や柔軟性、指先の力などについて、それぞれ機能を高める方法などを紹介してきたが、年齢を重ねてからでも効果はあるとか。

「普段あまり使っていない筋肉は、筋肉自体が“少しサボっている”ような状況だと考えてあげればいいでしょう。動かしてやることで刺激を与え、機能を復活させることは不可能ではありません」(米川医師)

 古来、ヘソから指3本ほど下の「臍下丹田(せいかたんでん)」に力を入れると健康と勇気が得られる、などと言われてきた。

 今回、そのすぐ近くの腹横筋付近に意識を置くことで体幹を安定させることを学んだ。歩くエクササイズといえば「歩数」を考えることが多い。だがこれからは、ヘソと骨盤の真ん中あたりを意識し、姿勢や重心、バランスを念頭に置いて息災に過ごしたい。

米川正悟(よねかわしょうご)
「東京城南整形外科」院長。1981年、東京都生まれ。順天堂大学医学部卒業。2023年WBCに日本代表チームドクターとして同行。24年5月、東京・目黒区自由が丘に「東京城南整形外科」を開業した。

石井 斉(いしいひとし)
理学療法士。1975年、東京都生まれ。都立小山台高校では野球班に所属。「日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー」として多くのアスリートに関わる。

西所正道(にしどころまさみち)
ノンフィクション・ライター。1961年奈良県生まれ。京都外国語大学卒業。著書に『東京五輪の残像』『「上海東亜同文書院」風雲録』『絵描き 中島潔 地獄絵1000日』など。

2024年7月25日号 掲載